4 交錯する軍勢
闇の森の南端がざわめいていた。
木々が密集する薄暗い森で、黒ずくめの影が蠢いている。
黒い霧が地を這い、枝葉の隙間から差す光は鈍く、不気味な静寂が森を支配していた。
巌窟ドームの地下では、影を織る女たちが、糸のような影を束ね黒い布を紡いでいた。
それは彼らにとって衣であり、力の器でもある。
男たちは、地下から湧く闇の泉を汲み上げ、祭壇の石を磨く。
巌窟の上のテラスでは、森の民の子どもたちが月光を浴びながら、子猿たちと鈴を鳴らして遊んでいた。影の波長を調整する訓練になる。
森の子どもたちは、こうして使役の信頼を築いていく。
才のある子は影の使い方を学び、闇の奔流を自らの手で管理する術に備える。
もうじき新月がくる。
月のない夜は力が枯渇する忌むべき時であった。
森の民は通常の食物を口にできず、闇の力と巌窟の泉、月光だけが糧となる。
月さえ出ていれば、たとえ雲が厚く、雨が降る夜であろうと、そのわずかな光を飢えたように浴びることが出来る。
子どもたちの歌が風に乗り、巌窟ドームの祭壇にも微かに響いている。
祭壇の下では影使いの長と長老が深刻な顔をして話し込んでいた。
「子らの未来のため、影をもっと深く……」
そのためには邪魔者たちをまず片付ける必要があった。
「騎士団の動きが速い」
影をまとった男が言った。
傍らにいた長老が杖を地面につき、低く答える。
「…まだ軍勢が足りぬ。だが躊躇するな。騎士団を血祭りにあげよ。封印を…解放する前に、余計な火種は潰しておけ」
影使いはうなずくと、南の森に展開する猿使いたちへと影をのばし命を伝えた。
「森の獣を森の南へ集結させよ。邪魔するものは、誰であろうと…皆殺しだ」
その目が濁った闇に血のような光を灯していた。
そのころ、聖都にある騎士団本部でも動きが始まっていた。
壁一面に広げられた地図の前で、聖戒騎士団総団長グリファスが腕を組んで立っていた。濃い眉の下、鋭い眼差しが地図の一点を睨んでいる。
そこはかつて竜猿を封印した闇の森の巌窟寺院。
全ての封印が塗り潰されれば、数十体の竜猿が解き放たれる。
慌ただしく伝令が行き来し、緊張が張り詰めた本部で部隊長が命令を待っている。
机の上には、各地の砦から届いた伝書が積まれていた。
「闇の森南端の動きが、前よりもさらに活発になっている…」
呟く声に、部下たちが緊張した表情で応じた。
グリファスは即断した。
「部隊を二手に分ける。ひとつは『警戒部隊』として森の南端に展開し、影の軍勢を封じよ。もう一つは『封印奪回部隊』。北方の街道沿いに展開し封印を確保せよ」
「はっ!」
「デルグラ、ヴォルノにそれぞれの部隊を率いさせろ」
伝書鳩が命令書をくくりつけられ、真昼の太陽の元飛び立つ。
グリファスは最後に、地図上の北から森の南端へと指を滑らせた。
「ここから先、一歩でも封印を北上させるな!」
その時、田崎たちは深い木々に囲まれた林の中にいた。
木々の隙間から、うっすらと開けた街道の一部が見える。
曲がりくねった細い道が、森の影に沿って延びていた。
そのまま木陰で野営となった。
オムカが低くまじないの詠唱を始める横で、田崎は手際よくガスバーナーを点け湯を沸かす。
クッカーの湯に粉末スープを溶かし、皆で硬いパンを浸して口にする。
粗末な食事でも温かさが胸にしみた。
顔を寄せ合い、互いの表情を見やれば、疲労の色が隠しようもなくにじんでいる。
そんなとき、
リューシャが抱えていたイリナが、パンくずをぽろりと落とした、。
ルーがすかさず鼻先でおいかけ、ぺろりと平らげる。
イリナがくすりと笑った。
その笑い声に、一同の顔がほころぶ。
ホーガイの目に、涙が光った。
ルーが調子に乗って、イリナの頬をぺろりと舐める。
イリナは肩をすくめて、目を閉じた。
それでもやがて、恐る恐るルーの頭に手を伸ばす。
柔らかな毛並みに触れた瞬間、イリナの表情がふわりと緩んだ。
リューシャが優しく微笑む。
その横顔を見て、田崎は胸の奥が温かくなるのを感じた。
グランは硬いパンを噛みながら、ふっと笑みを漏らす。
オムカは詠唱を止め、くるりと輪になって踊り始めた。
「ほーい、ほほーい」
その小さな体が、焚き火の影を楽しげに踊らせる。
暗闇の向こうには、影が身を潜めている。
明日からは再び、あの恐ろしい森に戻らないといけない。
竜猿の恐怖を思い出すと、身がすくんだ。
それでも今この瞬間だけは、温かかった。
火がぱちと弾ける。
イリナがルーに寄り添い、小さなあくびをした。
ホーガイがそっと娘を抱き上げ、毛布にくるむ。
リューシャが傍に座り、イリナの髪をそっと撫でる。
食後、ホーガイが屋敷から持ってきた羊皮紙の地図を広げた。
森の西端と山岳地帯の境に、赤い点が記されていた。
そこが「小人の里」だと、オムカが杖で指し示す。
いよいよ明日、あの森に再び戻る。
ゆらめく炎の向こうに、仲間たちの顔がある。
一人ではない。
その思いが、少しだけ恐怖を和らげてくれた。
浅い眠りの中で、夜が更けていく。




