3 束の間の光
梢を抜けた朝の光が、ジムニーの車内を金色に染めていた。
昨晩、屋敷を逃れ騎士団に追われ 黒い影の追跡をオムカのまじないで退けた。
森の静けさと朝の陽光が、束の間の安堵をもたらしていた。
出発前、田崎はシートベルトの付け方を教えた。
言葉は通じないが身振り手振りで必死に伝えようとする田崎に、鼻で笑っていたホーガイもやがて従う。
フロントガラスはすでになく、リアガラスも怪我防止のために取り外した。
もし衝撃で飛び出せば命に関わる。
田崎の真剣な指導に、リューシャは驚きながらも素直に従う。
走り出すとすぐに、皆は体が座席に守られていることに気づいた。
一行は、オムカが杖で示す方角に従い、ジムニーを進ませていった。
倒木と蔦が複雑に絡み合い、人の痕跡のない森は静まり返っていた。
田崎は慎重にハンドルを切り返し、ジムニーの車体を木々の隙間にねじ込む。
進路を塞ぐ太い倒木を、グランが外に出て腕力で押しのけ、蔓を短剣で手早く切り払っていく。
道なき道を、少しずつ、確実に切り開いていった。
助手席のグランは短剣を握りしめ、いつでも飛び出せるように身構えている。
後部座席では、ホーガイが幼い娘イリナを胸に抱いていた。
隣には、毛布にくるまって座るリューシャの姿がある。
田崎から渡されたダウンジャケットを脱ぎ、それをイリナにそっとかけた。
ルーは後部座席の足元で丸くなっている。
時折、イリナのほうを見上げると、優しい眼差しを向ける。
しかしイリナそのたびに怯え、青白い顔で呼吸を乱した。ホーガイは小さく娘の名を呼び、なだめ続けた。
リューシャの瞳がどこか憂いを帯びて遠くを見つめていた。
故郷の森ではない。
この静けさの奥に郷で過ごした孤独な日々が重なる。
汚れた異形と罵られ、誰もが目を背けた暗黒の日々。
けれど今、必死にこの鉄車を操っている田崎を見ると、胸の奥が不思議と落ち着いた。
昨晩彼が差し出した外套は、柔らかく暖かく初めて他人からもらった温もりだった。
言葉は伝わらない。
けれど、目が合うたび、何かが通じた気がしてしまう。
強く優しい。
田崎に惹かれ始めている自分に気づき、その初めての感情に困惑した。
ダッシュボードの上で胡座を組んだオムカは風を受けながら、杖をこまめに動かし続けている。
杖の導く先は常に北を指し続けていた。影の気配は、今のところない。
やがて湧水が湧き出る岩場にたどり着く。田崎が「飲めるか」というように顔を向けた。リューシャは息を飲んでうなずく。目が合った瞬間、頬がわずかに熱を帯びた。
田崎は口をつけ喉を鳴らす。
他の仲間たちが順に水をすくう中、田崎は空のペットボトルに水を注ぐ。
その横顔を、リューシャはただ黙って見つめていた。
引き続き、ぬかるんだ道を滑るタイヤで強引に進んでいく。
しかし、エンジンから不穏な金属音が響き、水温警告灯が再び点滅した。
「くそっ」
田崎は小さく毒づきながら、車を停めた。
田崎は振り返り、異世界の一行に両手を広げて首を振り、降りるよう促した。
ボンネットを開けると、ラジエーターのホースの接続部から水が漏れていた。
田崎はペットボトルの水を補充し、布テープを工具箱から引っ張り出して、ホースに巻きつける。配線も危ういが、工具はない。奇跡的に断線せずに持ったことに息をつき、気休めに絶縁テープを巻いていった。
その手は休まることがなかった。
リューシャはその背中を見守っていた。初めて自分を守ろうとしてくれる存在。
思わず、その自分より大きな背中に手を伸ばそうとして躊躇する。
やがて、ため息をついて小弓を片手にどこかに姿を消した。
ホーガイはイリナを抱き上げ、岩に腰をおろしていた。
田崎は、泥や小枝が詰まったタイヤの溝をブラシでこすり落とし、シャフトに絡みついた蔦や泥を取り除いていった。これまでの道のりでタイヤはかなり摩耗していた。
その田崎の頭上に影が差した。
グランだった。グランはタイヤを指差しブラシに手を伸ばした。
田崎は驚きつつ、笑顔を向けるとブラシを手渡す。身振り手振りでタイヤとシャフトの掃除を頼んだ。
田崎は再びボンネットを開き、エンジンルームの点検と補修をしていく。
「これで少しはマシになるかな」
手を止めた頃、森はもう夕闇に沈みかけていた。
リューシャは森でうさぎを狩ってきていた。
今夜はその場で野営になった。
リューシャはナイフで手際よくうさぎを解体すると、田崎が出したクッカーに入れていく。田崎はめんつゆを取り出すと、ためらわずに肉に振りかけた。
リューシャが眉を寄せたが、田崎は笑って、しかし断固として言った。
「絶っ対に、絶対おいしくなるから!頼むから、か け さ せ て!」
言葉は通じないが、その真剣さに目を丸くし思わず吹き出した。
今夜はごちそうになりそうだった。
田崎は焚き火のそばにクッカーを取り出すと、手慣れた様子で炊き込みご飯の準備を始める。クッカーに米を入れ、ペットボトルの水とめんつゆを注ぎ込む。
そこにサバ缶の中身を丸ごと加えると、焚き火に五徳を置きクッカーをのせた。
やがてぐつぐつと湯気が立ちのぼり、森の空気に香ばしい匂いがほのかに広がった。
ウサギ肉の醤油の香りがそれに混ざる。
紙皿はすでに尽きていた。グランが剥ぎ取った木の皮を皿の代わりにして行き渡らせた。リューシャがナイフで削った木のスプーンを皆に配る。
焦げた醤油の匂いがするウサギ肉も焼き上がった。
一口かじったリューシャは驚いた。不思議な甘塩っぱい味が口に広がる。
グランが親指を立てて夢中でかぶりつき、田崎の肩を叩く。
ホーガイも異世界の不思議な味に、思わず目を閉じて頷いた。
炊き込みご飯を、皆が黙って口にする。
少し焦げた、香ばしい香りが口いっぱいに広がり、やがてみんな笑顔になった。
イリナには、ステンレスのコップにスープを作って渡した。
少ししか飲めないようだったが、それでも一口飲んだイリナはほっとしたような表情を浮かべた。
リューシャは嬉しそうに食べる田崎を見つめ、この時間が続けばいいのにと思っていた。
薪の燃える音と、星のない夜空の静けさが、心にわずかな平穏をもたらした。
翌朝、田崎はガスバーナーでウサギ肉の雑炊を作った。コメや調味料、残ったウサギ肉はビニール袋に入れてクーラーボックスにしまっておいた。
深い森の中をのろのろと、だが着実にジムニーは進んでいった。
森の南端では、騎士団の主力が街道上に集結しつつあった。
騎士たちは各々の武具を整え、焚き火の周囲で作戦を待つ。
焚き火の煙が空に昇り、緊迫感が周囲を包んでいた。
そのさらに北、闇の森で黒い影がうごめく。
異形の闇の獣、猿の顔を持つ羽猿、豹猿、鬼猿たちが、森の奥から集まりつつある。
夕暮れが迫る頃、ジムニーは原生林を抜けた。
斜面を下るにつれ、緑の中に少しずつ光が増えていく。
しばらく走ると、木々に囲まれた高台から、うっすらと街道のような線が夕日に照らされて光っているのが見えた。
一行はジムニーを停めて顔を見合わせる。
このまま進めば、街道に出る。
だがその先には村もあり、騎士団が待ち受けている可能性も高い。
山を抜けて、闇の森へ入り、山岳地帯にある小人の里を目指す。
その道は、容易ではないことを彼ら全員が理解していた。
ジムニーのエンジンはまだ静かに息をしている。
だが進むべき道を選ばねばならなかった。街道か、闇の森か。
夕陽が森の端を染め、束の間の光は消えていった。




