2 闇は集い、光は細く
夕闇が山肌を包み込もうとしていた。追跡部隊の指揮官は、燃え続ける屋敷の敷地の一角に急造された天幕の中で、地図を睨みつけていた。
「もう、これ以上は追えません。騎馬では岩場が多く、徒歩でも遭難の恐れが」
部下の報告に、指揮官は眉を寄せた。
「……斥候と地元の狩人を呼べ。あの『鉄の箱車』の痕跡は、山の者たちなら見失わん」
疲労の色をにじませながらも命じると、すぐに伝令が駆け出していった。
すでに夜気は冷たく、山からの風が火の粉を巻き上げる。残された炎は、証拠となる物の多くを灰にしようとしていた。
「消火を急げ。手がかりが焼け落ちる前に……」
指揮官は小机に向かうと、ペンを取り続報の報告書をしたためた。
「鉄の箱車、山中に逃走。追跡は困難。斥候と狩人に交代。北西へ向かった模様」
報告を筒に収めると、鳩の脚に巻きつける。
「聖都へ…飛べ」
黒い鳩が夜空へと消えた。
そのころ、さらに遠い北。
濃い霧が立ちこめる巌窟の奥、闇の民の長老が座す祭壇の前では、影使いの長が両腕を掲げていた。封印の影の脈動を追い、黒い影が蛇のように地を這う。
やがてそれは一つの像を結ぶ。森を越え、沢を渡ると鉄の箱車が浮かび上がった。
「……見つけた」
影使いの口元が緩んだ。しかし、彼の額に皺が寄る。
「またか……!」
影の像が裂けた。見えぬ障壁に断ち切られ、跡形もなく消えた。
「まじない……小人の力か」
呪的な抵抗により、追跡は途絶えた。だが、鉄の箱車が向かっていた方角、それは北。
「北か……」
影使いは立ち上がり、手を振ると部下の猿使いたちが現れた。
「羽猿、豹猿、鬼猿、熊猿を南に集めろ。森の南端だ。やつらを必ず仕留める」
そしてその奥、影に紛れるようにして立つ長老が、低く呻くように呟いた。
「まだ……足りぬ。今度こそ確実に……葬らねばならぬ」
闇の力はますます強い。影を操る封印を解かなければ、やがてわれらも闇に飲まれる。そうなれば、もう手遅れだ……あの一族のように……
五年前の闇の民の暴走で我が子を失い、光の民に森を蹂躙された記憶が蘇る。
翌朝、聖都。
聖戒寺院から西に伸びる回廊を抜けた先に騎士団の本部がある。
その作戦室に聖戒騎士団総団長グリファスはいた。
石造りの壁に張られた地図を前に、グリファスは両手を背に組み、じっと報告の書簡を見つめていた。
「この移動速度……常識では考えられん。南のアジトには、何か理由があって向かったのだろう。だがその後、北へ」
指先が、地図の上をなぞる。
「南西の森での猿どもの死骸…」報告によると猿の死骸は百に迫り、その中には羽猿や豹猿、そして鬼猿の姿もあったという。
聖典の中の鬼猿が現存していた。それをあの箱車の一行が退けた。
恐るべき脅威だった。
「南のアジトから山を越えて北、闇の森の西、山岳地帯との境界線」
グリファスは目を細めた。五年前、あの森で息子を失った……猿の牙に引き裂かれ、影に飲み込まれた姿が、今も夢に現れる。
「封印を森に近づけてはならん……」
封印が解ければ、闇がこの世を覆う。五年前とは比べ物にならない災厄がこの世界を襲う。グリファスの額に冷たい汗が流れた。
「全軍に告げよ。闇の森南端、街道沿いに集結せよ。鉄の箱車とその一行…これを、最大脅威度の敵とみなす」
命が下ると同時に、号令が鐘のように響き、聖都の騎士団が再び動き出した。




