1 道なき旅路
薄暗い木々の合間を縫い、オムカの杖の指す方向へ、ジムニーは突き進む。
藪や灌木を車体で薙ぎ倒すたび、鉄板が軋み、枝が車体を擦る甲高い金属音が響いた。
右のヘッドライトは光量を失い、頼りない。
スピードは出せず、速度はせいぜい時速十五~二十キロといったところか。
木に衝突すれば、即座に立ち往生だ。慎重に進むしかない。
だが、それは騎士たちに追いつかれることを意味した。
背後から蹄の音と怒声が迫る。
グランが何か叫ぶ。
ヒュン!と矢がジムニーの右側面をかすめ、木の幹に突き刺さった。
次の矢がバックドアをカーンと打ち、グランが慌てて首を引っ込める。
リアのガラスはすでにない。
矢が車内に飛び込んで誰かに当たりでもしたら、怪我では済まない。
その瞬間、助手席にビィーンと矢が突き立った。
矢尻がリューシャの左腕すれすれから飛び出していた。
リューシャが呻き、グランが素早く矢を引き抜いた。
ホーガイはイリナを抱きしめ、後部座席の床で丸まっていた。
「……マジかよ!怖ぇよ!」
田崎は、首をすくめて叫んだ。
猿のバケモノの次は武装した騎士。田崎の頭は混乱していた。
リューシャが小弓に矢をつがえようとしている。
バックミラーにちらちらと木々の合間に見え隠れする騎馬の姿が見える。
「リューシャ!やめろ」田崎はそれを左手で制し、オムカに叫ぶ。
「オムカ!どっちだ!」
オムカが杖で左手の斜面を指し示す。
「登れってか!」
田崎はハンドルを切り、エンジンが爆音を上げる。
四輪駆動が悪路を掴み、車体が駆け上がった。
焦げ臭い排気ガスが車内に入り込み、喉を刺した。
ジグザグに最後の岩を乗り越えると、騎士団が斜面の下で立ち往生しているようだった。
斜面の上は草地の下り坂で、その先に再び森が広がっている。
杖の指す方に車を向けた。
枝葉が車体を叩き、窓のない車内へ容赦なく吹き込む。
木の根が車を跳ね上げ、ぬかるみがタイヤを滑らせた。
……この調子だと、すぐガソリンがもたない。
田崎の額に冷たい汗が浮かぶ。
夕闇が迫る頃、騎士団の馬蹄の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。
グランが後ろを振り返り、安堵したように何かを告げた。
「…振り切ったか」
田崎は大きく息を吐いた。
前方のライトの中、グランとリューシャが素早く動く。
グランが蔦を短剣で断ち切ると、リューシャが倒木の枝をへし折り、車の通れる幅を確保する。
「右だ!根っこが出てる、気をつけろ!」
二人が何事か声を掛け合い、道なき道に、かろうじて道を作っていく。
街道は騎士団に封鎖され、戻る道はない。頼れるのはオムカの杖のみ。
日が暮れると、光源はジムニーの心許ないヘッドライトだけになった。
ナビゲーターのオムカはジムニーを降り、鼻歌まじりに地面を叩きながら先を行く。
ぬかるむ獣道を、小さな足で軽やかに跳ねるように先導する。
だが、ジムニーはそうはいかない。
落ち葉に覆われた岩混じりの坂で、後輪が空転する。
「くそっ……」
何度も切り返しながら、沢を渡り、泥濘を越える。
一行は、暗闇に包まれた山道を、じりじりと進んでいく。
エンジン音とタイヤが枝を踏み砕く音だけが響く。
田崎はハンドルを握りしめたまま、小さく息をつく。
ジムニーの前方に見えるのは、誰も踏み入れたことのないような、深い闇だった。
「くっそ!……」
ジムニーの右前方のライトが、明滅を繰り返したのち、不意に闇へと沈んだ。
燃料計の針がまた下がり、水温計の警告灯が赤く点滅を始める。
田崎は思わずブレーキを踏んだ。
苦しげなノッキング音を残し、エンジンが沈黙する。
前後のガラスのない車内に、冷たい夜気が吹き込む。
田崎はジムニーを停め、全員が無言のまま外に出た。
「もう、これ以上は無理だな……」
田崎は周囲を見回した。
暗闇の中、道なき道を片目のヘッドライトで進むのは不可能だ。
ボンネットの隙間から白い蒸気がかすかに立ち上っている。
もしオーバーヒートを起こしたらエンジンが焼き付く、修理もできない。
オムカは腰の袋から白い粉を取り出し、まじないの詠唱を始めた。
やがて、周囲を包んでいたざらりとした気配が、わずかに薄れたように思えた。
「影が……遠ざかったのか……?」
田崎はつぶやくが、確証はない。むしろ、心細さは募るばかりだった。
厚い雲に覆われ、月明かりが閉ざされる。
グランが硬いパンと果物をそれぞれに配った。
風が枝を鳴らし、森の奥からサルとも人ともつかぬ叫び声がかすかに響いた。
簡単な食事を済ませると、一行は冷え切った車に戻った。
本当に、家に帰れるんだろうか。
この世界にきてから、何度も掠めた不安で、胸が押し潰される。
ほんのかすかに、父の影を探そうとする自分に気づき、首を振った。
「最悪だな……」
ぼそっとつぶやく田崎の言葉は、静かな森の闇の中に消えた。
田崎は深くため息をつき、後部座席へ視線をやった。
そこではリューシャが、眠るイリナの背をそっとなでていた。
時折、青白い顔が苦痛にゆがみ、小さくうめき声を漏らす。
そのたびにリューシャの指先が、よりやさしく背をなぞった。
「これ……使って」
田崎は、自分のダウンジャケットを脱ぎ、リューシャに手渡した。
彼女はきょとんとした表情でそれを受け取り、柔らかく軽い生地をまじまじと見つめたのち、そっと羽織った。
イリナを胸に抱き寄せ、ジャケットの中へ包み込む。
田崎は後部座席へと身を乗り出して、ジッパーを静かに引き上げた。
フロントガラスのない車だ。もし何かの衝撃で、幼い身体が吹き飛んだら……
その想像が、喉の奥を冷たく締めつける。
夜が更け、風が森を鳴らした。
助手席では、グランが闇を睨みつけるように未知の危機への気配を探っている。
ふとグランと目があう。
グランはにっと口角を上げると、無言で拳を田崎に向けた。
田崎も、その固い拳に自らの拳を合わせる。
言葉は通じない、しかしその力強い視線と重い拳はグランからの信頼の証だった。
まだ数日だったが、絶体絶命の逃走、鬼猿との戦いを乗り越え、確かに芽生えつつある友情だった。
後部座席では、ホーガイ、リューシャ、イリナが肩を寄せ合って眠っている。
床に丸くなったルーが、リューシャたちを守るように身を寄せる。
ときおりリューシャを見上げるようにして、耳をぴくりと動かした。
「コビトノサト、ホホーイ、コビトー、サトー…」
ダッシュボードの上でオムカが子守唄のようにひそやかに歌い出す。
小人の里…、そこに行けば帰還への道が開けるかもしれない…
明日は、この道なき道をさらに走破しなければならない。
今は、休もう……
田崎は目を閉じた。




