12 火の手と逃走
オムカがふいに杖を高く掲げ、田崎の肩に飛び乗った。
そのまま杖の先を、重々しい扉の向こう、屋敷の玄関の方向へとぐいと突き出す。
「……車に戻れと?」
田崎がつぶやき、息を吸い込むと、意を決して扉を押し開いた。
夕刻前の冷たい風が、張り詰めた顔を打つ。
ルーが後に続いて駆け出し、慣れた足取りで庭を越えてゆく。
田崎は屋敷の前に停めておいたジムニーへ飛び乗る。
キュルルル……ブオンッ!
エンジンが唸りを上げ、車体が震えた。メーターの針がじわりと光る。
走行距離はここまで百八十キロ。燃料計は半分を切り、不安だけが胸に残った。
見知らぬ山道を抜け、草原、でこぼこの街道を走ってきた。
「まだ……いけるか」
舗装路だったらあと二百キロは走れるだろう。しかしこの燃費の悪さから考えると、走行距離はあと百五十キロといったところだった。
「……気にしても始まんねえか」
オムカがダッシュボードに飛び乗り、杖で建物の裏を回るよう指し示した。
田崎はその方向へジムニーを進める。
屋敷の裏は林に囲まれていた。
そこでオムカは杖を地面に向けて突き出した。
待て、という合図だった。
ほどなく裏口が開き、沈黙を破るように数人の影が飛び出してきた。
グランが先に走り、リューシャが痩せ細った少女イリナをしっかりと抱え、足早に続く。
ホーガイは最後に戸口を出て、周囲を見回してから低く言った。
「ここで待っていてくれ、すぐに戻る……!」
田崎は、驚いて声を上げた。すぐに後を追う。
「おい?待てって!」
だがホーガイは振り向きもせず屋敷へ戻っていく。
その間に、グランとリューシャは黙って車へと乗り込んでいた。
少女は小さく震えながら、リューシャの腕に顔をうずめる。
ルーが助手席の下で鼻を鳴らし心配そうに見上げていた。
田崎が屋敷に入ると、居間に淡く灯る光が、窓越しに見えた。
ホーガイが手にしていたのはランプだった。
カーテンに火を近づける彼の姿を見たとき、田崎は悟った。
彼は屋敷ごと焼こうとしているのだ。自分たちの痕跡を、一切残さずに。
田崎はジムニーに戻り、荷台の奥から灯油缶を引きずり出した。
重たいプラスチックの缶を抱え、再び屋敷へ駆け戻る。
中ではすでにカーテンに火が移り、ぱちぱちと音を立て始めていた。
「ホーガイ!」
彼は振り向いた。その目には決意の光が宿っていた。
田崎は缶のキャップを外し、床に灯油を撒き散らす。
火が一気に走り、焦げた木と油の匂いが鼻を突く。
室内の空気が一瞬で灼熱に変わった。
「おい、早く来い!」
灯油缶を投げ捨て、ホーガイの腕をつかんで引きずる。
バックドアを開け放ったままのジムニーにホーガイを押し込むとドアを閉めた。
まさにその瞬間…
轟っ!火の手が大きく上がり、屋敷全体を赤く染めた。
騎士団の怒声が玄関の奥で響き、やがて裏手にも回ってくる気配がする。
「う……うしろだ!」
グランが何かを低く叫ぶ。田崎がバックミラーを見ると、剣を構えた騎士がこちらに駆けてくるのが見えた。
兜の隙間の双眸が、猛禽のように鋭く光った。
「クソ……!」
ギアをバックに入れ、勢いよく車体を後退させた。
ハンドルを切り返し、ギアをローに入れる。
車輪が土を蹴り、タイヤが悲鳴を上げる。
「止まれぇぇぇッ!」
背後から怒号。
「どっちに行けばいいんだッ!?」
田崎が怒鳴るように叫ぶ。
オムカがダッシュボードの上で杖を林の奥へ向けた。
「そっちか!?」
小人は、こくりとうなずき、そして、短く口を開いた。
「……里、小人の里」
世界から、音が消えた。
エンジンの唸りも、燃え盛る炎の音も、追手の怒号も、すべてが遠のいていく。
背筋を氷の指がなぞったかのような衝撃。
聞き間違えようのない、故郷の言葉。
懐かしいその響きが、脳を直接揺さぶる。
鼓動が、一瞬止まる。
我に返った田崎は、衝動的にギアを4WDに入れた。
アクセルを踏み込む。エンジンがうなり、車体が跳ねた。
後方では、崩れ落ちる屋敷の炎が夕暮れをさらに焦がし、追撃の蹄の音と怒号が混じり合っていた。
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