9 魔の刻、鳩は舞う
聖戒寺院の最上階、灯火の絶えぬ評議の間。
石の床に足音はなく、冷たい空気に蝋燭の炎だけが揺れていた。
重厚な扉の内側、楕円の円卓が沈黙の中心にあった。
卓上には地図、斥候の走り書き、伝書鳩の紙片が折り重なり山となっていた。
十名を超える高僧たちが卓を囲み、いずれも険しい顔を伏せていた。
「……また確認できずか」
ひとりの老僧が、乾いた声で呟いた。
結界で覆われた書見窓のそば、白髪をきちりと束ねた報告官僧が小さく頷いた。
「はっ、ホーガイの別邸に向かった第五隊、第七隊、第十隊、いずれも接触できず。痕跡なしとの報です」
「まるで、風に紛れたかのようだな……」
別の僧が低く唸った。
「奸商ひとりに何日を要するか。……聖戒の名が泣くぞ」
「だが、奴が持ち出したものは聖戒の封だ。慎重を期せねばならぬ」
議論は重く、拮抗していた。
焦燥と疲弊が混ざり合い、空気が石のように重くなる。
誰も視線を上げず、ただ沈黙だけが場を押し潰していた。
そのとき。
カラン、と鐘が静寂を破った。
伝書鳩が飛来した合図だった。
「報告、南西より!」
若い僧侶が鳩の脚から筒を取り外し、即座に開封して読み上げた。
「斥候ナーガタより。南西街道沿い、カスーミの村にて、巨大な鉄の箱車を確認。護衛に銀の刃のリューシャと称される耳長族の女傭兵、ならびに巨人の男とホーガイに酷似した男を伴う、とのこと!」
室内の空気が凍る。
「鉄の……箱車……?」
「何だそれは。戦車か? 南方の遺物か?」
「銀の刃といえば、あの商人が雇った護衛の一人……」
「南西街道沿い……その早さ、あり得ない……」
「続報!」次の鳩が到着する。今度は別の斥候からのもの。
「同村の先の街道にて、鉄の魔獣のような箱車出現。人語を発さず煙を吐いて地を鳴らす。見たこともない速さで走り去ったとの報」ざわり、と円卓の周囲が揺れる。
「……封印の箱と、それを手にした商人。そして鉄の魔獣……三つが揃えば『災厄の扉も開かれる』」 誰かが聖句の一節を呟いたが、誰もそれに応じなかった。
「グリファス」
低く、重い声でひとりの高僧が指名した。
白銀の鎧を半ば脱ぎ、報告書の山に手をつけていた聖戒騎士団総団長グリファスが、無言で顔を上げた。
「即刻、近隣の寺院詰め所と町の駐屯地に鳩を飛ばせ。鉄の箱車が向かった方角に潜伏の町がある。……早急にその道を押さえよ」
「はっ」
グリファスは聖戒の重圧に唇を噛み、封印を守る決意を胸に秘めた。
「必ずや、必ずや封印を守り抜き、闇の民の思惑通りにはさせませぬ」
グリファスが起立するのと同時に、指を二度鳴らす。
五年前の魔の獣の暴走が脳裏を駆け巡る。
騎士団に多大な被害を出した災厄。もう二度と同じ轍は踏まぬ、
控える部下に出動準備を命じる。
伝令の僧侶たちが鳩の籠を開き、次々と命令書を巻きつけていく。
深夜の空がかすかに啼いた。
聖域の塔から、夜空を切り裂くように鳩たちが散る。
鉄の魔獣。常識を超えた存在を操る者たちの目的はいまだ不明。
だが確かに、聖戒の秩序には小さなほころびが生まれた。




