6 襲撃 1
夕暮れの巌窟。
赤く揺らぐ灯りが、漆黒のドーム内に陰影を落としていた。
影使いが手をかざすと頭上で黒い影がふわりと舞い上がった。
その後ろに控える猿使いが鉄の鈴を鳴らす。
チリィィン……
その鈴の音は実体のない影の中を抜け、ジムニーの上空で響き渡りながら反響し、重く紡ぎ出されていった。
次の瞬間、ジムニー前方の鬱蒼とした森の奥で無数の赤い目が一斉に光り、咆哮が森を裂いた。牙と涎が夕陽に照らされ、森の猿たちが一斉に走り出す。
闇の森から遠く離れた南の街道沿いに広がる森。
昼なお暗い鬱蒼とした木々の間を駆け抜ける獣たちがいた。
鉄の箱車が向かった南へと追跡しているのだ。
先頭を行く豹猿に乗っているのは年若い猿使い。
その後ろに豹猿の背に揺られているのは、二本のツノを生やした大柄の猿。
その手には丸太のような棍棒が握られている。
さらに数頭の豹猿が続き、頭上には、羽猿の一団が滑走していた。
夕闇が迫る頃、猿使いの耳に前方に伸びる影から鈴の音が聞こえた。
猿使いは合図をして一団を止め、影使いからの指令に目を凝らした。
影は、宙をくるっとたゆたったのちに方向を変え、ジムニーの方角を指し示す。
「……封印は近い、今度こそあの鉄車を血祭りにあげろ」
田崎は、ぼんやりと前方の街道を眺めながらジムニーを走らせていた。
ヘッドライトが石で整備された街道を白く照らしていた。
「……なんか、変じゃないか?」
誰にともなく呟いたその声は、当然誰にも通じない。
助手席のリューシャ、後部座席のグランとホーガイ、ダッシュボードの上で胡座をかいたオムカも、どこか空気の異様さを感じ取っているようだった。
重い。何かに見下ろされているような感覚。
空の上から、意志を持った何かが、こちらを覗き込んでいる。
「……?」
田崎はハンドルを握る手に力を込めた。
街道は次第に森へと呑み込まれていく。
木々が近づき、嫌な記憶が蘇る。背中に汗がつうっと流れた。
「危ねえっ!」
その時、突然、何かがジムニーの前に飛び出し田崎は思わす叫んだ。
フロントに叩きつけられるようにして現れたのは、毛むくじゃらの猿。
目を爛々と光らせ、その奥には殺意が宿っていた。
バンパーに弾かれ、猿は道端に転がって動かなくなる。
次の瞬間、
「ギャアアアアッ!!」
樹上、道の奥、四方からけたたましい声が響き渡る。猿たちが、ジムニーを包囲し始めた。
「囲まれるぞ!」
田崎がオムカを見る。小さな手が杖を振り、右を指した。
「こっちか!? マジでこっちかよ!」
田崎は叫びながら、ハンドルを右に切る。
猿が激しい叫び声を上げながら、鋭くルーフに飛び乗った。
フロントガラスに爪を立て牙を剥いた猿が、田崎の顔近くで唾を飛ばして喚き散らした。
「クソッ、どけええっ!」
ウォッシャー液が勢いよく噴射されると、猿は一瞬滑り、そのまま吹き飛ばされた。
だが、次の猿がすぐに飛びかかってくる。
「ッツ!!」
田崎が反射的にハンドルを今度は左に切る。助手席のリューシャがダッシュボードを押さえ、後部座席ではホーガイが叫び声を上げグランに覆いかぶさっていた。
両脇の木々がぎりぎりで通り過ぎる。
ルーフ、フロント、リアウィンドウどこもかしこも、赤い目と黒い毛で覆い尽くされていく。
田崎はたまらずジムニーのホーンをプゥー!プゥー!と鳴らした。
その迫力のない音に、却って興奮した猿たちは窓ガラスを叩き、吼えた。
もはや、ジムニーは獣の塊のように猿たちに覆い尽くされていた。
田崎は視界を完全に奪われ、歯を食いしばってハンドルを蛇行させる。
吹き飛ばされた猿が宙を舞い、木に激突する。
一瞬、視界が戻る。
が、その先に突如として大木が目の前に迫ってきた。
「きゃああああああああああ!!」
リューシャの絶叫。
田崎も息を飲み、目と口を大きく開いた。
床を踏み抜く勢いでブレーキを踏み込む。
キキキキィィ!!
ボンネットとルーフにしがみついた猿たちが前方に投げ出される。
車体が木の根に乗り上げ、一瞬浮き、
ぐしゃ!!
重く鈍い音とともに、ジムニーが停止。
木とバンパーの間で潰された猿の体が飛び散り、恨めしい目が田崎と交差する。
潰れた頭部から脳漿が溢れ、血が跳ねた。
折り重なった猿の死体がクッション代わりになり、エンジンへの致命傷は避けられた。
ジムニーの頑丈なフレームが軋む音に耳を澄ませた。
この車は、悪路でもギアの切り替えで生き返る。
田崎はすかさずバックにギアを入れ、猿の血と毛をまき散らしながら街道まで後退した。
再び、ギアを4WDに入れて前進する。
車内には、ぐったりとした仲間たち。
オムカはダッシュボードの上で胡座のままひっくり返り、リューシャは座席下でおでこに手を当ててうずくまっている。ルーが鼻を鳴らして抗議し、ホーガイとグランは床に伏せたまま動かない。
「くそ!戦場だったら役にたてるのに!」グランが何も出来ない悔しさで叫ぶ。
獣に里を襲われ両親を殺された幼少期に、何も出来なかった記憶が甦る。
「イリナ待ってろ、絶対に帰るからな!」ホーガイも苛立たしげに声を上げる。
闇の呪いが娘の笑顔を奪った。あの笑顔を取り戻せるならどんな苦難も耐えてやる。
あの箱と小人、ようやく希望が見えてきた。こんなところで死ぬわけにはいかない。
ジムニーは猿の血と臓物をまきちらしながら、猛然と森の街道を突き進んだ。
だが、枝の上には、猿、猿、猿。
叫び、跳躍してジムニーに襲いかかる。
後方の道には、転がる猿の死骸が無数に散乱していた。
田崎は絶叫した。
「マジで……これ、なんなんだよッ!!」
田崎は、恐怖で体が震え、心臓が激しく鼓動しているのを感じた。
もはや車の傷は気にしてはいられなかった。
ジムニーは走る。
止まるわけにはいかない。




