5 不穏
石畳の暗い通りを足早に抜けていく戦士の姿があった。グランだ。
革鎧の上に粗末なマントを羽織り、腰には短剣一本だけを差して、グランは人混みをすり抜けていった。
露店が立ち並ぶ通りを抜け、荷を積んだ馬車や行き交う人々の隙間を器用にすり抜けていった。
その背は人混みの中で頭ひとつ飛び抜けており、どうしても目立ってしまう。
マントのフードを目深くかぶり、目立たぬよう気を配りながら街に出ていた。
かつて傭兵として幾つもの街道を踏みしめた経験を生かし、買い出しと情報収集を一手に引き受けていた。
市場で干し肉と乾いたパン、果実を仕入れたあと、ふと「……ホーガイ」と聞こえて立ち止まったのは、寺院の石門のそばだった。長剣を手に入れたいと思っていた矢先のことだった。
「……やはり、封印が持ち出されたのは確かだそうだ。聖都から伝令の鳩が来た」
「騎士団が動いているらしいな。……街道に検問が敷かれているらしい」
「下手人は商人、名は……ホーガイとか」
「あの、守銭奴の」「死罪は免れまい。連れも全員、報奨金付きの捕縛対象に」
「復活したという……あの竜猿も、あれがきっかけだと……」
震えるような声で、僧侶たちの表情には、恐れと興奮がないまぜになっていた。
だが彼らの口からは、鉄の箱車の話は出てこない。
封印?
森での出来事を振り返ると、思い当たることがありすぎた。
やけに高額な依頼料と怪しげな品を扱う評判の悪い商人。
所属する傭兵団の団長指名で「銀の刃」と傭兵団のトップクラスの仲間が呼ばれた時は、なんて大仰なと思った。
そういうことか……
ホーガイめ!よりにもよって、なんてものを持ち歩いてるんだ!
金銭に目のない団長の顔が、脳裏に浮かぶ。
ダメだ、奴に雇われたことは傭兵団はもとよりギルドも知っている。
今、一人で逃げてもすぐに捕まる。
グランは背筋に冷たい汗を感じながら、素早く踵を返した。
あの森で、猿どもに殺された仲間達のことを思い、拳を握りしめた。
助けられなかった男は、傭兵団の同期入団の戦友で、幾多の戦場で背中を預け合ってきたのだ。
酒を飲み交わし「死ぬときゃ一緒だ」と笑っていたあいつの顔が、ふとよぎった。
この依頼で得た金で酒場を開くんだ、綺麗な嫁さんもらってと酔い潰れたあいつを介抱したのはたった三日前だ。
命を賭けている傭兵とはいえ、あんな森で訳の分からぬ依頼で命を落とすのは無念すぎた。
今は戻ってホーガイに直接問いただすしかない。
グランは何度も背後を振り返った。寺院の鐘が遠くで鳴る。
誰かに見られている気がしてならなかった。
街の入り口近く。小さな石橋のたもとに、商人ホーガイが立っていた。
迎えに来たつもりだったが、グランの様子にただならぬ気配を感じて首をかしげた。
「……聞いたぞ。封印の件、お前の名が出ていた」
寺院での一部始終を語ると、ホーガイの顔から血の気が引いた。
「嘘だ……娘を、イリナを救いたかっただけ……まさか……こんなことに……」
足元がぐらつき、地面に崩れ落ちそうになった。
グランは咄嗟に腕を伸ばして支え、周囲の視線をごまかすように声をかけた。
「病人のふりをしろ。頭巾をかぶれ。口を開くな」
グランは商人の肩に腕を回し、連れを装って足早にジムニーのもとへ向かった。
ホーガイの脚は震え、息は上がりきっていた。
「……なんということを……娘よ……イリナよ……」
繰り返されるつぶやきに、グランは何も返せなかった。
ジムニーでは、田崎とリューシャが、車内で所在なさげに待っていた。
助手席のリューシャが背筋を伸ばし、遠くから近づいてくる二人を凝視した。
「……?」
異様な雰囲気に、田崎も運転席から身を乗り出した。
リューシャがドアを開けて車外に飛び出し、ホーガイへ駆け寄った。
グランが無言で頷き、田崎に手振りで合図した。
田崎は助手席を前にスライドし、二人を後部座席に乗せるスペースを作った。
グランはホーガイの肩を支えながら、なんとか座らせた。
リューシャも乗り込み、ドアを閉めると、車内は一気に静まり返った。
「……」
沈黙を破ってグランが口を開く。異国の言葉でリューシャに何かを告げている。
彼女の表情が変わった。
愕然とし目を見開き、口をぱくぱくと動かすが、言葉にならなかった。
ホーガイが突如叫んだ。
「い、イリナのところに行ってくれ!金は出す、いくらでも出す!頼む、包囲される前に!」
小柄な体を震わせ、後部座席で田崎の肩にすがろうとする勢いだった。
「おいおいおい、な、なんだ……?」
意味は分からないが、ただならぬ空気に田崎は戸惑った。
「……あの町だ。娘がいる、別宅の……!」
そのとき、小人のオムカがおもむろに前に出た。
杖を握り、カチッと音を立てて左の方向を示した。
田崎は短く息を吐き、キーを回した。
キュルル、ヴオン……ジムニーのエンジンが低く唸りを上げた。
車が街の外れを離れて、緩やかに走り出した。
誰も口を開かない。田崎はただ、ハンドルに指を添えて道を見つめていた。
舗装されていない土の道はでこぼこしており、4WDに切り替えざるを得なかった。
ガソリン……この調子じゃ、あと……。
メーターが僅かに下がったことを確認し、田崎は走行距離をざっと頭で計算した。
おそらく、あと走れて二百キロほどだろう。
悪路走行が続いたせいでサスペンションもへたっている。タイヤの摩耗も気になる。
エンジンから微かな異音が混じっているような気がする。
揺れる車内で、どこまで走れるかと不安がよぎった。
夕暮れが迫るなか一行を乗せたジムニーはうねる丘陵地を越え、再び森林地帯へと差しかかっていった。
揺れる車内でグランは思う。
この異界の者に、命を預けても大丈夫だろうか。
グランは短剣を撫で、窓の外の闇に目を凝らし、新たな戦場への覚悟を決めた。
──そのころ、森の奥深く、岩肌の間に身を潜める黒き影があった。
青白く痩せこけた身体に全身を覆う黒衣の外套。
その目は閉じられ、額には汗が滲んでいた。
地を這うように伸びる影の糸が動いていた。
「……感じた。封印の……影の脈動……」
黒き影使いが、かすれた声で呟いた。
影は地面を伝い、森を抜け遥か空へと伸びていった。
その先に、鉄の箱車が走っていた。後部座席に荷物とともにうずくまる商人の姿があった。
「ようやく……見つけた……」
影が空に溶ける。
夜の帳が、静かに迫っていた。




