2 審議の間にて
朝の陽射しが、色ガラスを通して床に長い影を落としていた。
古の石で築かれた聖戒寺院の奥は、柱が立ち並ぶ静謐な空間だった。
澄み渡った空気に香が満ち、僧たちの衣擦れの音さえも際立っていた。
半円を描くように設えられた長椅子の上に、高僧たちが粛然と座っていた。
すべての視線は、中央にうなだれる若い報告者に注がれている。
「……我らが守護する封印が……持ち去られました」
空気が揺れる。言葉を失う者、祈りの印を結ぶ者。
だが最も歳を重ねた高僧は、ただ眼を閉じていた。やがて厳かに問いを発する。
「……誰の手に?」
報告者は息を呑み、しばし逡巡したのち、かすれる声で答えた。
「……目撃されたのは……盲目の僧です」
沈黙が落ちた。
誰もが、その名を出すことをためらった。
「封印を納めた扉を最後に開けたのも、彼と……確認されました」
ざわめきが起きる。
かの僧は一代の聖者とも称えられ、秩序の象徴であったはずだった。
「だが、あの者は……」
誰かが言いかけて、言葉をのみ込む。
「……すでに姿を消しております」
報告者はうつむいたまま、続けた。
「昨夜、我らの聖戒騎士団が捜索に出ました。下手人の数人は確保されましたが……」 少し間を置き、意を決したように顔を上げる。
「封印は、あの悪名高き商人の手に渡ったとのこと」
その名を聞いた瞬間、何人かの僧が眉をひそめた。
高僧は沈黙を保ったまま、報告の続きを促すように小さく顎を引いた。
「奴は数名の護衛とともに、北方の闇の森へ向かったとのことです」
その場にいた誰もが、名を口に出すことすらためらう地、黒き森。
「さらに……」
報告者は、ひときわ声を潜めた。
「森の南端、砦に隣接する寺院より、竜猿が動いたとの報が届いています。かつての封印はまだ完全に消えてはおらず、あの一族の力も復活には至っておりません。ですが……何らかの儀式が行われた形跡があると……」
室内が重く、鈍い沈黙に包まれた。
五年前の闇の森の獣たちの暴走を連想し、緊張が走る。
「だが、まだ封印そのものは……?」
高僧の声が、まるで一筋の灯のように響く。
「はい。現時点では、影に塗りつぶされてはいないと見られております」
数人の高僧がほっとしたように息をついた。
しかし、それで安心できる者はいなかった。
高僧は、傍らの弟子に筆を取らせ、短く告げた。
「商人には最高額の懸賞金を。生死は問わぬ」
「……は」
さらに続ける。
「護衛、協力者もすべて捜索し、捕縛のうえ裁きを受けさせよ。とくに、あの者と接触した村の者たちにも調査を怠るな」
「すべての寺院に伝書鳩を飛ばせ、ささいな異変も見逃すな」
書記官が筆を走らせる音だけが、しばし空間を満たした。
やがて高僧は目を開き、宙に視線を向ける。
「……闇は、いつも人の隙に忍び寄る。あの僧も……最初から裏切っていたとは思いたくないが」
誰も言葉を返せなかった。
ただ一人、沈黙を守っていた若い僧が小さく呟いた。
「盲目のふりをして、我らの中に潜んでいたとすれば……光の加護を受けたふりをして、闇の名のもとに……」
若い僧のその言葉に、高僧の胸にかすかな刺が刺さった。
「いずれ、すべては明らかになる。だが今は、封印を護ることがすべてだ」
聖戒の言葉は影を払い、光の加護は闇から身を守る。
あの盲目の僧侶は厳しい修業に耐え続け、誰よりも強い加護を得ていたはず。
なのに、刺のように疼くのはなぜか。
封印が、完全に影に塗りつぶされれば世界が暴走した闇に包まれる。
五年前の惨劇どころか千年前の暗黒の時代に戻ってしまう。
それだけは避けなければならぬ。
「そのために…手段を選ぶな」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
高僧は宙を見つめ、盲目の僧侶の最後の祈りを思い出していた。
あの声に潜む翳り、光の加護が、いつか影を生むことを予感していたのかもしれぬ。
刺の痛みが、静かに胸に残る。




