世界は江戸と呼ぶんだぜ!? 〜なんかよく分からない歴史を辿った世界で姫は下らない日々を過ごす〜
時は西暦六三一四年。『むさい男は好きですか』が流行語大賞を受賞した年である。
なんかしらんけど江戸幕府は生き残り、世界がとんでもないことになっても生き残り。助けを求めた人々に応えていたら、世界という名称が江戸になってしまった地球。
幾度かの地殻変動的な大陸や島々の変化を乗り越え、各地の地名が尾張や陸奥などと変わっていった現代で、人々はのんびりと暮らしていた。
「――ねぇ、クソ執事?」
「なんです姫様。口が悪いから縫い付けてやろうか」
「そんな物騒な口を利くからクソって呼ぶの。それより、この歴史の教科書なんだけどさ、――二行しか書いてないんだけど?」
「添削しすぎたんでしょうね」
南方遠江の国に暮らす、姫こと私――ゆる姫は、今日もなんともくだらない世界でくだらない日々を過ごすのだ。花の十六歳。ようやく勉強を始めたばかりであった。
とまぁ、そんな歴史的な背景から始まったものの、正直覚えておかなくてはならない歴史なんてものは、早々ない。前文の通り、なんとなーく世界は江戸になったよ。各地にはそれに因んだ地名がいっぱいあるよ。と、そのくらいで充分過ぎるくらいだ。
そんな世界に暮らす、私の一日を、今回は紹介してみたいと思う。
「ふんふふーん。ふふんふーん」
ご機嫌にスキップを決め、リズムに乗って華麗にターン。加齢とは無縁なプリティな私は、何故かカレイ(魚である)の置物が所々に置かれた廊下を進んでいた。もちろん畳である。わたくし、姫ですから? 柔らかい場所でしか歩けないのですことよ。
「あ、パンツ履くの忘れてた」
華麗にターンを決めた後、ふと思い出した。天井裏に潜んでいた忍者がズッコケた。
「ウソウソ。ちゃんとパンティを履いてるよーんだ。パンツなんてズボンのことでしょ。もう、エッチなニンジャなんだかにゃ!?」
タライで復讐されるとは思わなかった。
なんなの、私、姫だよ? なんで護衛の忍者にタライを落とされないといけないの? タライは落とすものじゃない。回すもんだ!
とまぁ、それはさて措くとして、私は今、ご機嫌なのだ。汚い忍者に構っている暇はない。何故こんなにもご機嫌なのか、気になる人も多いだろう。多いハズ。多くないと拗ねるので、ぜひ気になっていて欲しい。
ズバリ、言ってしまおう。今日、お父様が、神秘蝦夷の国から帰国するのだ。お土産を持ってね。そのお土産というのが、なんと、なななんと!
「ふんふーん。はやくメロい恋人食べたいなぁ」
なんとも変な名前のお菓子なのです。チョコレートを甘酸っぱいベリージャムで包んで飴で閉じ込めた甘さの暴力の化身ともいえるお菓子である。
それを私は舐めるのだ。飴を溶かして中のジャムを口いっぱいに溢れさせ、最奥にあるチョコレートを味わうのだ。そんなお菓子に私はメロメロ。……なんでメロンジャムではないんだろう?
ともあれ、そんなご褒美が待っているのだ。早くお父様、帰ってこないかなぁ。待ち遠しくて、廊下を徘徊している訳なのです。天井裏の忍者は大変だと思うけれど、しっかり着いてくるように。トイレ以外。
「ご機嫌ですね。姫様」
「あ、クソ執事。なんなの廊下の曲がり角で。もしかして待ち構えてた?」
「はい。行動パターンを考えると、そろそろこちらを通るだろうと」
「ほほう。……どんなパターンを予想した?」
「たくさんコーヒーを飲んだいたので、そろそろトイレに行くのではないかと」
うん。……だからトイレに行こう思ったのに、なんでその目の前で待ち構えるかな! 早く行きたいんですけど。あんたの背後にある扉の先の、そのオアシスに早く入りたいのですけど!
「じゃあ退いてよ! 私は早く入りたいの!」
「どこに?」
「あんたが予想したところだよ!」
「姫様、予想ではなく予測です。先ほどから間違えないでください」
「最初っから、予測も何も言ってないんですけどー!?」
「そんなに騒ぐと出ちゃいますよ?」
「女の子に向かって何を言ってんの!?」
「いや、文句が」
「もう遅いんですけどー!?」
こいつは私の発言を聞いていないのだろうか。聞いてないよね? 聞いていたらさっさと退くはずだもん。退かないということは、私をバカにしているということ。そう、つまりはやはり、こいつはクソ執事なのだ。……トイレだけにね!
「いいから、退いてよ。私は着物を着ているんだよ。その下にはスカートを履いて、――フリルがふんだんに使われたプリティなフレアスカートだよ? 太陽フレア並みに熱いデザインだよね! そんな可愛いファッションをしているの。だから、トイレの時はちょっと邪魔くさいなぁ、と思うのだけど、ファッションのために仕方がなく、ね。だからその慎重さのために余裕を持ってトイレに行きたいの。ね、早く退いて?」
「そんなにトイレ、トイレと、恥ずかしくないんですか?」
「そういう乙女心は捨てた」
「流石です」
執事は褒めちゃ駄目だと思うなぁ。お父様はね、私の性格がお淑やかになるようにって、そう願っているんだよ。それなのにこの執事ときたらテキトーなことばかり言ってくるからに。私もこんな性格になってお父様も哀しむんだ。
まぁ、そのお父様もお父様で、だいぶ甘やかしてくるのだけどさ。あぁ、宇宙に探検に行くと言って地球から飛び出したお母様。あなたは、どんな私をお望みですか?
――子沢山よー!
変な声が聞こえた気がした。
「ならば、退くしかありまけんね。――あぁ、その前に一つだけよろしいですか?」
「なんなの、ミステリーみたいなことを言って。まぁ、いいや。一つだけね」
「殿のご帰宅は明日になりました。飛行機が遅れているようで。ついでにお土産を買い忘れたそうです」
たぶん二つくらい言ってない? というツッコミを、私はすることが出来なかった。それくらい落ち込んだ。
その日の昼食を頂きながら、私は通算四度目の暗殺計画を練り始めた。
そして午後。麗らかな午後。麗しいわたくしは意気揚々と城を飛び出して、城下町へ繰り出した。もちろんパンティは履いている。忍者も屋根を伝って走っている。それに驚きカラスが飛び立ち、猫がにゃーと驚き飛び降りた。
それをキャッチした私とキャットは、しばらく眼と眼を合わせて見つめ合う。通じ合えるだろうか。当分お通じは来ないだろう。出かける前にしておいたから。
なかなか結論が出ないため、キャットを抱えながら歩き出す。大人しいし、首輪をしていたことから考えると、きっとキャットは誰かの飼い猫だろう。まだ誰のものでもない飼い猫などいないはずだから。
そう言えば城下町の中程にあるキャンドルショップで、毛足の長い可愛い猫――キャット型の可愛らしいキャンドルをキャプチャーした記憶がある。欲しいなー。可愛いなー。と眺めていたら、優しい店員さんがくれたのだ。ちょっとひと休みしていかない? 気持ちのいい玩具があるよ? 気分爽快ぶっ飛ぶよ。などと、怪しい発言をしていたのも気になって、店の奥へついていくと……。
「あのサンドバッグ、気持ち良かったなぁ」
いい休日になったなぁ、って感じを味わえたし、殴った時の感触が気持ちよくて、ぶっ飛んでいくその姿には気分も爽快だった。お父様の姿がプリントしてあったのも尚良し。そのセンスに勲章でもあげたい気分だった。
もう一度、思い切り殴らせてもらおう。そう思って歩みを進めると、何故か嫌がるように身を捩るキャット。そして腕の中から飛び降りると、路地裏の方へと駆け出していく。
追うべきか、追わざるべきか欧米か。
「にゃー」
戻ってきたキャットが鳴いていたので……、無視をして先を進むことにした。慌てて後を追いかける猫。逃げる私。鳴く猫――じゃない、キャット。今日の私は動物をそんな感じで呼ぶとノリで決めたのだ。牛はビーフ。豚はもちろんトンだ。自慢じゃないが、学はない。姫だから学校になっていかなくてよかった。そう甘やかされて、今年ようやく勉強を始めたのだ。でも、漫画や小説である程度の知識はある。どんなものでも学ぶことができるなんて、姫は優秀だなー。もちろん吾輩は猫ではない。ないが一杯で涙を飲んだ。飲んで飲んでので飲んで飲んでので、飲んで? 二十歳になったらお酒を飲もう。一杯。
背中に張り付いたキャットに無視を決め込んで、私はキャンドルショップの前に立つ。どうやらキャンペーンでイメージキャラクターのキャレンダー……、もとい、カレンダーを配布しているらしい。今、何月だっけ? 持ち運びができて人工知能を搭載したちょー賢い携帯電話を取り出して訊いてみた。
「へぃ、フォンフォン? 今日って何月?」
「ガツガツ食べたい冷やし中華。三月です」
ポンコツが。温暖化もまだそこまではいっていない。
すかさず胸元に仕舞って、入り口ドアに貼られた告知のポスターに目を向ける。世の中そうそう甘くはない。二千円以上お買い求め頂いたお客様に限る、のだから。
自慢じゃないが、私は無一文だ。金は忍者が持っている。その忍者は――。
屋根の上で熊――もとい、ベアーほどあろうかという巨大なカラスと戦っていた。……あれ、カラスってなんて呼べばよかったんだろう? まぁ、どちらも私にとっては重要ではない。そんなことよりも私は、『ただ』という言葉がなによりも好きだ。そして私は、『姫』である。
「すみませーん。キャットっていくら換算ですかー?」
ついでに言うと、畜生のけがある。
「十五キャラットで千円です」
おぉ、猫をキャラット換算する人を初めてみた。流石、サンドバッグを勧めてくれたお姉さんだ。はたして、猫――もとい、キャットは一匹何キャラットなのだろうか。
「一キャットは何キャラット?」
「ゼロキャラットでございます」
ぶつりのほうそくがみだれる!
「そもそもダイヤモンドではありませんからね」
「成程。お姉さん賢いね」
「そんな事ありませんよ。脳みそは筋肉ですからね。鍛えれば育ちます」
あぁ、いい意味だった。斜め上の謙遜だ。
「じゃあ、なんでキャラットなんて言ったの?」
「今日のお昼はカラッと揚がった唐揚げだったので」
「へぇ、どの部位? モモ? ムネ? テバ?」
「ゼニゲバ」
そんな部位はない。脳みそ筋肉め。
「そんなことよりさ、わらしべ長者って知ってる? 物々交換で成り上がる話」
「……話が長くなりそうですね。どうぞ、中へお入りください」
どこをどうやったら長くなるんだろう。そんな疑問を浮かべながら、私は促されるままに店の中へと入った。
「その辺で見つけた石ころと交換してくれー!」
「こっちは草だ! 綺麗だろ!」
「俺は花だ! こっちのほうが綺麗だろ!?」
中は戦場だった。
「みんな、わらしべ長者を狙っているんです」
「え、なんで二千円分の買い物をしないの?」
「残念なことに、商品が品切れでして。カレンダーだけが、余りに余ったのです。仕方がないから、二千円くらいの価値がありそうなものと交換しますよー、と宣伝したらこんなことに」
けいえいせんりゃくがみだれる!
「いっそ、配ったらいいのに」
「それではいけません。カレンダーの発注にはお金が掛かっているので、すこしでも回収しませんと。もしも本当に価値がありそうなのものが持ち込まれたら、それを元手にして利益を確保するのです」
あ、わらしべ長者が逆転した。正にゼニゲバ。自分のことだったか。
「じゃあ、この猫なんてどう? 毛並みもいいし、結構いいところの猫ちゃんかも」
人と話をする時は、マイルールなんてクソ食らえだ。
「無理ですよ。その猫はうちの子ですから。……金持ちを呼んでこいといったのに、無一文を連れてきやがって」
目の前の姫をディスる人、初めてみた。思わず綺麗な二度見した。それでも視線が合わないので、呪詛のような呟きが聞こえるので、私はそっと店を出た。裏路地を進めば良かったと後悔しながら。ごめんよキャット。今度、機会があったらニンジン型のクッションをプレゼントするので、無残に引き裂くといい。
ともあれ、どれだけカレンダーを発注したのだろうか。正にお疲れンダー。十メートル程離れたら、ボソッと小声で呟こう。
軽くなった背中で長い髪を棚引かせ、私は目的もなく城下町を彷徨い歩く。メインストリートに建ち並ぶのは、専ら安い居酒屋ばかり。昼間っから呑兵衛が世間話に花を咲かせていた。
――姫可愛い。
――姫愛らしい。
――姫と結婚したい。
――姫を甘やかしたい。
全部、私の妄想だ。現実は下世話な話ばかりで、つい聞き耳を立てたのは、人気芸能人のスキャンダルくらい。
結婚を発表したその芸能人に、隠し資産が発覚される試算が高まったという。ページを埋めるためのテキトーな記事だろう。内容なんてきっとないのが、言葉から分かる。
ところでこの世界の芸能人には、家柄のいい人達が多くいる。徳川だとか、武田だとか、前田に上杉に島津など。そんな苗字ばかりなのだから、アイドルユニットのグループ名が山崎の合戦みたいな感じになってしまうのだ。応仁の乱はない。この世界のマーケティングは、いささか戦国時代に偏っていると思う。
なんせ、『おだっちゅーねん!』とか、『竹だけで作ったビル? 植えすぎー!』という、よく分からないギャグが流行るくらいだから。
「なんか、飽きてきた。お腹空いた」
三時のおやつには、まだまだ早い。でも散策には飽きてきたし、気持ちを切り替えるために甘味が欲しい。そもそも、私は、何のために城下町を散策しているのだろうか。……忍者は何も答えてくれない。答えられない。カラスとの戦闘はクライマックスだ。
その戦闘を眺めながら、私は、試食品の団子とお茶をおやつとした。
そして夜。歩き疲れた私は、のんびりと広々とした湯船で入浴を楽しむ。輪ゴムを動力とした船を走らせ、それを追いかけるようにバタ足を披露する。頭を洗ってくれた女中は、微笑ましそうに眺めていた。
「姫様も、……ようやく六歳ですか」
「いや十六歳だよ!」
年齢に相応しくない行動をしているけどさ!
「てかさ、このお風呂広過ぎない? 城のワンフロアを全部風呂にするって、どんだけ風呂好きなの?」
「殿がいろいろ楽しむために、と設計したのです」
「いろいろって?」
「色々です。欲々考え欲しいものですよね」
なんか漢字が意味深だった。風呂にも当然、深いところがある。私の身長では到底足がつかず、一度だけ溺れかけたのを憶えている。その時は、お父様の屈強な体にしがみついたんだっけ。……うん、屈強だった。
「……そんなところを、誰でも自由に使えるなんて」
この城はラブホテルかよ。どこかに回転するベッドがあるのかも。
「そんなことよりさ、お父様って明日のいつ頃帰ってくるのかなぁ。そもそもなんで飛行機が遅れているんだろ」
「食パンを咥えた別の飛行機とぶつかったんですよ」
「そんなギャグに巻き込まれてかわいそう」
「エンジンに頭を突っ込んでビンタされたそうですよ」
「ふーん。お父様は、どっちに乗っていたの? 咥えていたほう? ビンタされたほう?」
「咥えて……ビンタ?」
この女中、何を顔を赤らめているのか。もういい。無視しておこう。頭は洗ってもらったし、体は自分で洗ったし。後はもう、この入浴を思う存分に楽しむだけ。そしたら、アイスを食べて、漫画を読んで、ふかふかなベッドで朝までぐっすりなのだ。
「へい、忍者! 私の裸はセクシーかい!」
「はい、とても」
声は直ぐ近くから聞こえた。……え、この女中って忍者だのっ!?
「……なんでタライを落としたの?」
「見事な洗濯板が見えたので」
この城の、姫の地位って如何ほどなのだろうか。そう悶々と考えながら、夜はどんどん更けていく。
そして翌日。お父様は食パンを咥えて帰宅した。
そんなよく分からない日々が、私を取り巻く日常だ。だって、なんだかよく分からないままに進んだ歴史なのだから、これからも、この先もきっと、よく分からない日常が待っている。
そんな日常を羨ましいと思うか、不思議だと思うか、下らないと思うか。それはきっと、人それぞれだ。だけど一つだけ言えることがある。どんな世界だろうと、どんな歴史を歩もうとも、今、笑えていて、みんなも笑顔ならば。それが幸せだ。
来年は、西暦六三一五年になる。『むさい男はごめんだ』なんて、言われちゃうのかな?