第8話 評価された努力
「柊さん……か」
自宅に戻った神代はアクシススタッフの仕事を思い返していた。
翔太らと別れた後も、分刻みのスケジュールで仕事をこなしていたが、後の仕事に集中できず、珍しく橘から小言を言われてしまった。
「私のことを全く知らない人がいるなんて思いもしなかった」
神代は老若男女問わず知名度があるため、こんな反応をされたのは、この仕事をして初めての経験だった。
神代は幼少の頃から非常にモテていた。
それは仕事においても同様で、近づいてくる俳優は後を絶たなかった。
そのため、異性からの視線には敏感で、如何に男性と距離を置くかが彼女の処世術だった。
「かっっっんぜんにフラットに接してくるんだもんなぁ」
神代が心を許せる相手は田村を含む極わずかの友人、そして橘くらいだった。
過去に色々あったことで、特に異性は苦手としていた。
初対面で気を楽に話せたのは、翔太が初めてだったかもしれない。
ここまで自分に興味を持たれないのは初めての経験だったので、逆に翔太に興味を持ってしまう結果となった。
これまで天才女優ともてはやされていた神代だったが、役作りのための努力を欠かしたことはなかった。
今回の仕事でも、事前に田村から教材を調達し、橘にPCを用意してもらいながら、講師役としての練習をしっかり行っていた。
「柊さんはちゃんと見てくれた」
これまでも、弁護士役の仕事では、役作りのために裁判の判例を読んだり、裁判を傍聴したりと、努力を重ねてきた。
しかし、その努力は十分に評価されることはなく、容姿や実績で評価されることが多かった。
彼女は誰よりも努力をしており、難しい演技もこなせていたが、それ以上の演技を要求されることはなかった。
そのため、今回のように短時間での高いレベルの演技を要求されることは、非常にやりがいがあり、何よりも楽しかった。
「なんであんなに私がびっくりしたのか、わかってないんだろうなぁ……ふふふ」
神代は思わずニヤけてしまう。
最後はあまりにも異性として意識してくれなかったので、イタズラをしてしまった。
「アレはやりすぎちゃったなぁ……どうしてあんなことをしてしまったんだろう」
これまで、男性に対して距離をとることはあっても、自分から近づきにいくことは皆無だった。
衝動的な行動ではあったが、周囲に人がいないこと、お互いに怪我をしない距離だったことをちゃんと確認してから彼の胸元に飛び込んだ。
これまでの女優としての経験を活かした会心の演技……だったと思う。
「柊さん、まさか気づいていないよね?もし気づかれてしまってたら――」
電話が鳴った。神代の連絡先を知っている数少ない友人の田村からの連絡だった。
おそらく、今日のことを心配してかけてきたのだろう。