第36話 見知らぬ、体
石動景隆が目を覚ました場所は、知らない部屋だった。
(ここは……どこだ?)
ゆっくりと意識が戻ってきた景隆は、白い天井と消毒液の匂いに包まれた病室の中にいることに気づいた。
景隆は手首に痛みを感じた。
自分の手首に縫合された跡があり、深刻な状況であることが伺えた。
(これ、自分の手じゃないような……)
「翔太!気がついたの!」
病室に入ってきた、自分より年上と思われる女性が声をかけてきた。
状況的に親しい人だと思われるが――
「どなた……ですか?」
そう言わざるを得なかった。
「――っ!」
女性は引きつった顔に変わった。
「翔太? あなたは何があったか覚えている?」
景隆は思い出そうとするが、直近の記憶が出てこない。
「あの、私は誰ですか?」
「翔太、もしかして――」
相手の反応は予想通りだったが、こう言わざるを得なかった。
女性が自分に対して呼んでいる名前と、自分が認識している名前が違うのだ。
一刻も早く状況を確認したかった景隆は、鏡で自分の顔を確認して――驚愕した。
(えええっ?!!!)
明らかに自分の顔ではない。
自分よりも、二回りくらい若いと推定される。
この状況をこのまま説明すると、大変な混乱を招くことは容易に想定できた。
「どうやら記憶がないようです。
すみません、あなたと私のことを教えてください」
逡巡した結果、こう答えるのが最適解に思えた。
女性は柊昌子と名乗った。
自分の名前は柊翔太だと言った。
さすがに、この状態で自分は「石動景隆です」とは言えなかった。
昌子はすぐに医師を呼び、景隆はいくつかの検査や問診などを受けた。
医師が言うには、脳への酸素供給不足による脳障害の可能性があり、意識障害の後遺症の一種ではないかという見解だった。
柊翔太について、詳しい情報を知りたかったため、昌子に確認したところ、携帯電話を渡された。
(ガラケーだ……懐かしい……え?!)
幸いなことに、携帯電話はロックがかかっていなかったため、操作を行えたが――
景隆が認識している日付よりもかなり前だった。
最後の記憶が具体的に西暦何年かと言われると曖昧だ――記憶喪失ということは嘘ではないことになる。
当然、柊翔太としての記憶は全くない。
昌子からの連絡で、柊翔太の父である翔平が病室に入ってきた。
姉の蒼は東京にいるため、すぐには来られないらしい。
(ん? 東京?)
景隆の記憶では自分はずっと東京に住んでいたはずだ。
「すみません、ここはどこですか?」
「「!!」」
記憶がないと、わかっていながらもショックを受けてしまうらしい。
これについては申し訳ないが、状況が整理できるまで慣れてもらうしかない。
「ここは仙台にある病院だよ。
私と母さんは近くに住んでいるんだ」
翔平が優しく言った。
両親の反応を見る限り、ネガティブな関係ではなさそうで一安心した。
景隆は自分が柊翔太であるという前提で、自分の状況を伝えた。
「あ、あの……自分のことは全然思い出せないのですが、会話をしたり文字を読んだりはできそうです」
両親は落胆しながらも、ほっとしたような表情を見せた。
柊翔太に辛い出来事があり、自殺を図ったのだろうと推察した。
ほっとしたように見えたのは、そのことを蒸し返したくないのだろう。
その後、医師と両親とで相談し、無理に記憶を戻そうとはせずに経過を見守りつつ、生活ができるようリハビリを続けることになった。
「翔太これは何?」
昌子が板状のものを景隆に渡しながら言った。
「――っ!!!」
景隆はあまりの衝撃に大声を出しそうになり、寸前で堪えた。
これは、ここに存在するはずのないものであった。




