第324話 勇み足
「もう、大丈夫です。後は私が処理しますので、ひかりを連れて――」
檜垣は小声で翔太に言った。
(処理て……)
翔太は暴力団はもちろん怖かったが、それ以上に檜垣のことが恐ろしい存在だと感じた。
庭場組の若頭がどんなに強かろうが、檜垣に勝てる人類は存在するのだろうかと思っていた。
『庭場組』と確定したのは、目の前にいる若頭と面識があったからだ。
しかし、今は皇の姿であるため、若頭のほうは翔太のことを知らないだろう。
とにかく雫石の安全が第一なので、多少格好がつかないかもしれないが、翔太は檜垣にこの場を任せようと思った矢先だった。
「すまねぇな、嬢ちゃんたち」
「え?」「あら?」「は?」
なんと、若頭は頭を下げて三人に謝罪した。
彼らは職業柄メンツを大事にする立場であり、その中でも組長や若頭は最たるものだ。
これは一般人どころか、同業者ですら見ることがない光景だろう。
「コイツらはクライアントとの正式な契約もないのに先走ったんだ」
「うっ……」
若頭は苦々しげに言った。
そして、図星だったのか、唯一意識がある角刈りの男が気まずそうにしていた。
「大方、芸能人に会えると思って舞い上がったんだろうな」
「わ、若頭……」
「俺のメンツを潰して、ただで済むと思うなよ!」
「ひぃぃっ!」
若頭の地鳴りがするほどの大声に、構成員だけでなく、翔太と雫石もビビるほど恐ろしい表情だった。
(檜垣さんがいない場で、この人が単独で現れていたら相当危なかったな……)
「今後、あんたたちには手を出さないと約束するから、ここは手打ちにしてくれねぇか?」
「「……」」
翔太と檜垣は顔を見合わせた。
こちら側の被害は、翔太が口の中を切ったくらいで、雫石と檜垣はピンピンしていた。
反面、庭場組の面々はどんな方法でのされたのか、想像するだけで怖かった。
「嬢ちゃんは、雫石と言ったな?」
「はい」
若頭に声をかけられた雫石は何事もなかったように優等生モードに戻っていた。
「ったく……最近の若ぇ娘は肝が据わってやがる」
若頭は呆れたような表情を浮かべていた。
おそらく、若頭と真っ向から対峙した白川のことを思い出したのだろう。
「兄ちゃん、名前は?」
「皇です」
「ん? どっかで会ったことなかったか?」
「はじめましてのはずです。さすがにあなたのような方とお会いしたことがあれば、覚えているはずですから」
「はは、違ぇねぇ」
翔太はすっとぼけたが、若頭は気にしていないようだ。
「そして、姉ちゃんが」
「檜垣です」
「げぇっ! もしかして、あの檜垣か……」
檜垣は否とも肯ともどちらとも取れそうなほど平坦な表情だった。
そして、『あの』がなにを指しているのかは一般人である翔太はさっぱりだった。
「俺たちは手を引くが、あの旦那には気をつけるんだぞ」
若頭は最後に気になることを言い残して去っていった。