第321話 暴力とIT
「変装しておいてよかったですね」
長らく主のいなくなった社長室で、翔太はふぅっと一息ついた。
以前のような暴力沙汰にはならなかったものの、暴力団のフロント企業に潜入するというミッションは思いのほか緊張した。
(それにしても、霧島さんはいつになったら戻ってくるんだ?)
さすがに翔太は病室で元気だった霧島が今になっても職場復帰していないことに違和感を覚えていた。
何らかの狙いがあるように見えるが、翔太には皆目見当もつかなかった。
「そうですね、柊さんは皇さんの姿ではなくて正解でした」
完璧なイケメンに変装していた橘は、髪型だけ元に戻しており、長くて美しい髪をなびかせていた。
いかにも男装の麗人といったその姿は、男女問わず見る者を虜にするほどだった。
橘の変装は完璧で、翔太の知る限りでは誰よりも完成度の高い変装だ。
事前情報がない限り、絶対に変装がバレることはないであろう。
名瀬は橘のことを知っていると思われるため、変装したことには大きな意義があった。
そして、翔太は以前、皇の姿で名瀬と遭遇してしまったが、翔太のことは知らないはずだ。
「ある意味、想定通りですが、名瀬が主導して行っていたんですね」
霧島プロダクションのサーバへの侵入は名瀬が仕掛けたもので間違いなさそうだ。
「狙いはひかりのブログでしょうね」
雫石は霧島プロダクションに移籍してから、ブログに記事を投稿している。
このブログを改ざんすることで、雫石のタレントとしての価値を落とし、フォーチュンアーツへの移籍のための足がかりにすると想像できる。
「実行犯はあの女性と思われます」
翔太はあまりにもインパクトが強い女性のことが頭から離れなかった。
名瀬はITの専門家ではないため、庭場組のツテで専門家を雇ったのだろう。
「リンファと呼ばれていましたが、おそらく偽名でしょうね。日本人である可能性も低そうです」
諜報力の高い橘でも、リンファと呼ばれていた女性の身元を確認するのは相当困難だろう。
もし、暴力団の関係者であれば、公的な情報を確認しても何も出てこない可能性が高い。
「彼女一人で行っているのだとしたら、相当なスキルを持っていますね」
翔太は映画『ユニコーン』で雫石が演じた役を思い出した。
「対応可能ですか? 追加の予算が必要なら、検討しますが」
「新田と鷺沼さんがいるので、これ以上の被害が出ることはもうないと思います」
「そうですか、たしかにあのお二人なら安心ですね」
おそらくリンファは凄腕のクラッカーだが、新田と鷺沼も規格外の存在だ。
スーパーフィールドのオフィスを見た感じだと、ITに関連して強いバックボーンがあるようには見えなかったため、組織力でどうにかされる可能性は低いと翔太は感じていた。
(でも、暴力団が関わっているとなると、これ以上彼女らを巻き込むのは危険だな……)
翔太はできるだけ一人で片をつける方法を模索し始めた。
「危ないことは禁止ですからね」
「は、はひ」
もはや翔太は、橘相手には隠し事をするのが難しくなっていた。
「名瀬はどうやって庭場組とのコネクションを得たのでしょうか?」
翔太は以前から疑問に思っていたことを口にした。
「名瀬は建設業に勤務していました。立地関連の仕事に携わっていたので――」
「あぁ、みかじめ料ですか……」
翔太は業界の闇を垣間見た。それに、以前はそれで危ない目に遭っている。
暴力団に対する法律が整備されるのはまだこれからで、翔太が知っている未来でも解決できていない問題の一つだった。
(さすがに暴力では勝てないけど、ITなら……)
「その様子だと、何か思いついたようですね」