第314話 何者?
「負けました」
翔太は深々と頭を下げて投了した。
途中までは優勢だったものの、見坂の起死回生の一手に逆転され、翔太は粘りに粘ったが最後は完全に押し切られた形になった。
(うーん……いけると思ったんだけど、さすがに無理だったか)
屋神が謎の指し手に敗れているというこの状況で、アマチュアの翔太が女流棋士のトップである見坂に勝ってしまうことがあれば、さらに余計な憶測を招きかねない。
その意味ではこの勝負は勝ってはいけなかったが、翔太はそのことを失念するほど、この対局にのめり込んでいた。
「ふぅーーー」
見坂はほっとしたように、大きく息を吐いて呼吸を整えていた。
その裏で葵は翔太に携帯電話をこっそりと返却していた。
『ありがとうございました』
『いいってことよ』
翔太は小声で葵に礼を言った。
見坂の真剣な姿を写真に撮るという目的は十分に果たしただろう。
(梨花さんにいいお土産になったな……ん、お土産?……)
翔太は見坂の手元を見つめていた。
「――皇さん、すみません遅くなりました」
屋神が申し訳なさそうに戻ってきたところで、この場はお開きとなった。
***
「飛香、途中から本気出してたでしょ?」
見坂は一人で先ほどの対局を並べ、感想戦を行っていた。
葵は将棋のことは全くわからないが、見坂との付き合いがそれなりにあることから、見抜いていたようだ。
「えっ?」
「だって、その扇子……あんた、本気を出してるときじゃないと使わないじゃない」
「あっ!」
見坂は指摘されて初めて気づいたようだ。
「いい? ここだけの話よ?」
見坂は小声で葵に念を押しながら続けた。
「途中、本当に負けるかと思った」
「やっぱり? 皇さん、いい音を出していたもんね」
将棋を知らない葵だが、彼女は駒の音で形勢がわかるようだ。
見坂は何度か葵にタイトル戦の中継の音声だけを聞かせたことがあったが、駒の音だけで勝敗をピタリと当てていた。
「でも、飛香も途中からいい音を出してたじゃん」
「これもここだけの話なんだけど……あの一手からはここ一年くらいの中では一番の出来だったと思う」
「マジで? あの人何者なの?」
「この将棋は皇さんが言っていたように、神代さんが熱心に研究していたみたいだから、屋神先生がアドバイスしたんだと思う――」
見坂は神代の演技指導の一環として、屋神が将棋を教えていることを説明した。
「おや? この盤面はタイトル戦の――」
翔太との用事が済んだ屋神は興味深そうに盤面を眺めていた。
「先生、この☗6六銀ですが――」
「ほう……こんないい手があったんですね。さすがは見坂さんだ」
「えっ?」「えっ?」
本気で感心している屋神に、見坂は戸惑いを隠せなかった。
(皇さんって一体……)