第308話 大人の時間
「そうですか、ひかりは落ち着いたんですね」
合宿所のリビングで翔太の報告を聞いた橘は、ほっと胸をなでおろしていた。
この合宿所は霧島プロダクションの子会社、株式会社グレイスが保有しているマンションの一室で、個別レッスンやマスコミに追われている所属タレントの一時的な避難場所になるなど、さまざまな目的で使われている。
橘の権限であっさりとこの場所は当面の間確保され、リビングのほか、翔太、神代、雫石の寝室がそれぞれ用意されるほど広い。
リビングでは橘か檜垣が宿泊することもある。
全員が多忙のため、五人全員がそろうことはなかなかないが、どの組み合わせになっても男は翔太一人である。
翔太にとって、最初は心臓に悪い日々の生活が続いていたが、少しずつではあるが耐性ができてきた。
神代と雫石は就寝しており、翔太と橘はリビングで話していた。
「まさか庭場組が出てくるとは思いませんでした」
「すみません、情報はある程度把握していたのですが」
「それは問題ないのですが、雫石は安全なんですか?」
「檜垣がいるので大丈夫だと思います」
(俺が組員に囲まれたときは絶望的な気分だったけど、檜垣さんであればなんとかなってしまうのか?)
翔太は橘がそこまで信頼を寄せる檜垣とは、どのような人物なのか興味が湧いた。
今日のように檜垣がいないケースもあるが、雫石は車で移動していたので問題はないだろう。
今後も雫石には危ない目に遭わないよう、警戒するに越したことはなさそうだ。
「それにしても、ずいぶんとひかりに懐かれましたね。ある程度は予想していましたが、ここまでとは思いませんでした」
神代は檜垣と撮影の仕事があったが、帰りは橘が神代を合宿所まで送っていた。
そして二人が帰ってくるまで、雫石は翔太にひっついたままだった。
翔太と雫石は何事もなかったかのように振る舞っていたが、雫石とは違い翔太は演技ができないため、神代には怪しまれ、橘にはどんなことがあったのか見透かされているようだ。
(ちょっとだけって言ったのにな……)
翔太が人の体温を感じたのは、仙台のロケ地で神代と同衾し、橘に抱擁されたのが最後だった。
雫石は体温が高く、よほど父親と会ったのがショックだったのか、鼓動が速いのが伝わってくるほど密着していた。
「柊さんはひかりを性的な目で見ることはなさそうですが、だからといって相手もそうだとは限りませんよ?」
「へっ?」
翔太は橘が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「いゃ……まさか……雫石は中学生になったばかりですよ?」
橘は「はあぁ……またですか……」とため息をつきながら続けた。
「あの年頃の女性は男性が思っているよりも進んでいるんですよ。性教育だってちゃんと受けています」
翔太は自分が小学校のころに、女子だけが体育館に集められていたことを思い出した。
(そっか、アレはソレだったのか……)
「いゃ、だからって雫石が何かしでかすとかはないんじゃないですか? 俺と会ったときはおじさんって呼ばれていたんですよ? それに、あいつは神代さんにしか興味がないし、男なんかその辺の石ころくらいにしか思っていないですよ」
「最初はそうだったかもしれませんが、それに、梨花も今は柊さんに懐いているじゃないですか」
橘は呆れたように翔太を見つめた。
眉をひそめたその表情も美しく、翔太はよく考えたら、自分の心情的には今のほうが危ない状態なのではないかと考え始めた。
「だからといって雫石がそうなるとは……」
「柊さん、霧島に言われたことを覚えていますか? 私や檜垣がいるときは問題ないですが、二人でいるときにひかりに襲われたら自分で身を守ってくださいね」




