第305話 毒親
「ひかり、あの件は考えてくれたかい?」
檜垣の制止にもかかわらず、名瀬は雫石に声をかけた。
***
「私の仕事のことで口を出さないでください」
「でも、僕は保護者だし、未成年の娘の心配をするのは当たり前じゃないかな?」
「ちっ」
将棋会館にはパーティションで区切られた休憩スペースが設けられており、そこで名瀬親子は話していた。
付いてきた檜垣は相当警戒しているのか、ピリピリとした空気を漂わせていた。
神代は屋神と田山の二人に指導を受けている。
彼女がこの場所にいなくてよかった――と、なんとなく翔太は思った。
翔太は病室での霧島との会話を思い出した。
→→→
「雫石の家の事情は色々とやっかいでな」
もはや入院の必要がなさそうに見えるほど元気そうな霧島は、顔をしかめながら言った。
元から子供が泣き出しそうな強面が、さらに怖さに磨きがかかっている。
「稼ぎがいい子役の家庭にありがちなんだが……家族関係は崩壊している。
名瀬ってやつが雫石の父親なんだが、今となっては完全に娘を金蔓としか見てない」
霧島の話は翔太がなんとなく感じていたことだった。
「その名瀬氏は働いていないんですか?」
「詳細は不明ですが、よからぬ輩と接触しているという情報が入っています」
橘は淡々と述べた。
彼女がこのように特定の誰かについて語るときは、良からぬ人物だったり、好きではない場合が多い。
「雫石の収入が高すぎて、親がまともに働かなくなったということですか」
「大体そんなところだ」
「その……雫石の母親はいるんですか?」
翔太は踏み込むべきか迷ったが、霧島がこの話をした以上、雫石の家庭の事情を翔太に知っておいてほしいのだろう。
「名瀬はな、雫石の収入を独占するために離婚したんだよ」
「は?」
翔太は稼ぎすぎた子役の家庭がうまくいかなくなる事例を聞いたことがあったが、名瀬がしたことは想定外だった。
「しかし、親権争いがあった場合、母親が有利だと聞いたことがありますが」
「雫石の母親はちょっとワケアリでな……名瀬に対して強く出ることができなかったんだ」
雫石の家庭環境は翔太の想像以上に複雑なようだ。
「父親の名瀬がひかりの唯一の肉親です。
名瀬と一緒に住むのはリスクがあると判断し、ひかりを寮に入れています。
銀行口座もひかりが自分で管理できるようにしています」
「なるほど……」
翔太は小学校を卒業したばかりの雫石が、狭い寮の部屋で楽しそうにしていたことを思い出した。
話を聞く限り、橘の対応は至極適切に思えた。
雫石が翔太の素性調査に慣れていたことは、このやっかいな家庭環境によるものだったと推測できた。
そして、雫石が本性を見せる人物がごく限られているのは、彼女なりの処世術なのだろう。
「名瀬がそこまでのやつなら、これでなんとかなるんだが……」
霧島は苦虫を噛み潰すような表情を浮かべた。ここまでくると、なまはげのほうがまだ愛らしいだろう。
ここから先の話を聞いてしまうと、他人事ではいられない――そんな気がした。
「名瀬は実情を知ったうえで、雫石を東郷に売ろうとしているんだ」




