第294話 意地と余力
「んぬぬぬぬ……」
局面は中盤に差しかかり、逢妻はうなり声を上げるようになってきた。
形勢はすでに飛車落ちの優位性が失われ、翔太の目には明らかに逆転しているように見えた。
翔太は自分が対局者でないため、対局者である逢妻と観戦している屋神の様子を窺う余裕があった。
屋神は対局時のような真剣な表情で、指導対局のときには見せなかった表情だった。
「パシン」「っつ!」
逢妻が熟考の末に指した手に、翔太はノータイムで応手した。
この一手は、先々を読んでいないと指せない厳しい手で、逢妻の持ち時間だけがみるみると溶けていった。
***
「負け……ました」
逢妻は声を絞り出すように投了した。
「おつかれさま、終局だ。一旦切るぞ」
翔太は電話の相手にそう言って、通話を終了した。
「「……」」
離れの部屋は静寂に包まれた。
(逢妻さん、凄かったな……)
翔太は逢妻の指し回しに感服していた。
劣勢になった逢妻は何とか嫌味をつけようと、起死回生の手を指し続けていた。
一手でも応手を間違えれば勝敗は逆になっていただろう。
仮に翔太が指していたら、間違いなく負けていた。
それほど対局中の逢妻には、負けたくないという気迫がひしひしと伝わってきた。
そして、着目すべきは消費時間だ。
逢妻は持ち時間を使い切ったにもかかわらず、相手は半分以上残していた。
「先生……どう評価しますか?」
逢妻は屋神を窺った。
その表情には負けた申し訳無さと、屋神ならこの相手を倒してくれるのではないかという期待が含まれているように感じた。
「いやぁ……驚きました。逢妻さんもかなりがんばりましたが、相手がなんというか……急所や要所で絶対に間違えないですね」
屋神は脱帽しつつも、目を輝かせていた。
***
「――この手が絶妙なんですよ」
感想戦(対局終了後に手順を再現し、検討すること)で屋神は複雑な手順を解説していた。
翔太も逢妻も屋神に解説されないとわからないほどの妙手だったようだ。
「逢妻さんも上手く粘ったんですが、正確に受けられてしまいましたね」
屋神が言うには逢妻が逆転できそうな場面があったが、この一手以外を指すと負けという局面でも、電話の向こうの相手は的確に指し続けていたようだ。
「プロなら誰でもここは手を止めるところなんですが……」
屋神はひたすら感心しながら、正体不明の指し手に興味を持っているように見えた。
そして、満を持したかのようにしっかりとした口調で言った。
「皇さん、対局料は入りません。私もこのかたと対局させていただけますか?」




