第258話 大物芸能人?
「あちゃー、先客がいたかぁ。ここなら誰もいないって聞いていたんだけどなぁ」
(誰だ?)
翔太は橘に報告するために、メトロ放送にある研修ルームに避難していた。
この場所は二宮に教わった穴場で、外部の人間が入れない上、局内の人員もめったに使わないため、密談などには打ってつけだという。
長町は番組収録後、出演者と交流を深めており、翔太はその間隙を縫ってこの部屋に移動していた。
部屋に入ってきた女性は不思議な存在感を放っていた。
大人の色気と少女のあどけなさを併せ持ち、若さと成熟さの双方を感じさせる印象を与えた。
「私は霧島プロダクションの関係者で皇と申します」
翔太は自分が不審な人物でないことを示すために名乗り出ることにした。
「えっと、あたしは葵奏っていうんだけど……お兄さん、キリプロってことは芸能関係者だよね?」
「はい、つい最近この業界に入ったばかりです」
「で? あたしのことを知らないと?」
(マズイ、これはまたやらかしたやつだ)
葵はその名前からして芸名である可能性が高そうだ。十中八九芸能人だろう。
これは彼女が明らかに普段着ではない衣装を着ていることからも間違いなさそうだ。
そして、翔太は芸能人と接触する機会が増えたため、葵が相当な大物であることを雰囲気で感じ取れるようになってきた。
翔太のかすかな記憶では葵のことを知っているような気がしたのだが、すぐに思い出すことはできなかったため、正直に白状することにした。
「不勉強で申し訳ありません。伏してお詫び申し上げます」
「……」
翔太の謝罪に葵はぱちくりと目をしばたかせていた。
注意深く観察するまでもなく、相当驚いていることが分かる。
「アーッアハハハ……いやー、お兄さん面白いね!」
「はぁ」
翔太は葵の気分を害していないことが分かりほっとした。
葵が翔太の想像どおりの大物芸能人だった場合、霧島プロダクションにとって悪影響を及ぼす可能性もあったためだ。
「んー……絶対に渡すなと言われているので内緒にしてほしいんだけど、お兄さんにこれあげるよ」
葵はそう言いながら自分の名刺を差し出してきた。
(そっちが出してくるなら、こっちも出さないといけないじゃないか……)
翔太としては皇の存在を知る者はできるだけ増やしたくなかったが、流れ上名刺交換に応じる形となった。
名刺には『響音堂』と書かれていた。
響音堂は大手レコード会社だ。
アーティストの音楽活動全般をプロデュースし、発信するレーベルビジネスを展開している。
「ちょっ……マジ? 取締役って、お兄さんそんなにエラい人だったの!?」
葵は翔太の名刺を見るなりそう言った。
「非常勤です。成り行き上そんな肩書が付いているだけで、大した意味はありません」
「だって、キリプロだよ? それが成り行きて」
葵はまじまじと翔太を見つめていた。
翔太は厄介事を避けたかったが、そんな内心とは裏腹に葵の興味を引いてしまったようだ。
「お兄さん、ちょっと相談なんだけど」
「承ります」
「あたしがメトロ放送に来ていたことを誰にも言わないでほしい」
「はい、もともとそのつもりでしたが、上司にだけは報告しても構わないでしょうか?
信頼できる人間なので、葵さんの情報が漏れることはありません」
「その上司って?」
「当事務所の責任者です、霧島の代わりを務めています」
「んー……いいよ」
「自分から切り出しておいてこういうのも何ですが、よく信じる気になりましたね」
「お兄さんもここにいることを内緒にしてほしい口でしょ?」
「おっしゃるとおりです」
「なら、それでおあいこってことで」
葵は「芸能界って面白いじゃん」と独り言を言っていた。
これを額面どおりに受け取ると、翔太の想定だった大物芸能人説は棄却される。
(帰ってから相談だな)
翔太は諸々の疑問を答えを知っているだろう人物に聞いてみることにした。




