第244話 終局
「まさか……そんな手が」
余裕があった逢妻の表情が一変した。
先手は☗7一同馬で飛車をタダで取ることができる。
しかし、この手は王手でも詰めろでもなく、後手の翔太に手番を渡すことになる。
そして、4四馬が7一に動くことはすなわち――
すでに一分将棋の状態に入っているため、逢妻には考える時間がなく、☗同馬と飛車を取るしかなかった。
翔太は逢妻の指し手を読んでいたかのように☖7九龍と指す。
逢妻は☗4八玉と逃げるしかない。
翔太はすかさず、☖3九角と指す。
「くっ……」
逢妻は☗3七玉と逃げるが、翔太の読み筋だ。
翔太は☖2八角成と王手を続ける。
後手玉には詰めろがかかっているため、仕留めきれなかったら翔太の負けである。
☗同玉と取れない逢妻は☗4八玉と逃げる。
翔太は追撃の手を緩めない。
【☖3九龍☗5七玉☖4六馬☗同歩☖5六銀】と着々と先手玉を追い詰めていく。
「ごくっ」
逢妻が☗同玉と指すと同時に、水を飲んだ。
それを見た翔太はゆっくりと☖5五金と指した。 ※1
4四馬を7一に移動させたことで成立した手だ。
「――負けました」
逢妻は駒台に手を置いて投了した。
翔太と逢妻は深々と頭を下げ合った。
110手をもって、翔太の勝ちとなった。
「☖7一飛は見事だった。私には思いつかなかったよ」
逢妻の顔は晴れ晴れとしていた。
「私にはまだ時間が残っていましたから」
ギリギリまで追い詰められたものの、結果的に時間を残して終盤に持ち込むという翔太の作戦が功を奏した形となった。
未来の研究結果を利用した、ずるいとも言える勝ち方だったが、翔太には負けられない事情があった。
(まぁ、これくらいのハンデはもらわないとな)
本来であれば飛車落ちか角落ちくらいの棋力差はあったはずだ。
平手を提示した逢妻は大人気ないと、翔太は思うことにした。
「そうか……雁木はまだこうやって戦えるのだな」
逢妻は憑き物が落ちたような表情だった。
対局でぐったりとしている翔太を第三者が見たら、勝敗が逆に見えるだろう。
「それにしても――」
「お腹すきましたね」
離れの部屋にはブフ・ブルギニョンのいい香りが漂っていることに、二人はようやく気づいた。
***
「もう料理はできているわよ」
調理室で孝子は満面の笑みで二人を迎えた。
メインのブフ・ブルギニョンに加えて、付け合わせの料理が豪華に並んでいた。
川奈と孝子はかなりがんばったのだろう。
「すみません、大変お待たせしてしまったうえに、ほとんどやっていただいて……」
対局にはかなりの時間がかかっており、待たせてしまったことと、名目上の目的を放棄したことを翔太は申し訳なく思っていた。
「いいのよ。久しぶりに弘尚さんの活き活きとした顔を見ることができたのだから」
「私の将棋人生で、最も力を出し切れた」
「あらあら、それはお祝いしないと」
逢妻の様子に孝子はご機嫌だった。
翔太からすると、逢妻は対局に疲れているようにしか見えなかったが、孝子からの視点では違うようだ。
「川奈さんもありがとうございます」
「おぅ、首尾はどうだった?」
「おかげさまで、いい結果となりました」
翔太は機密情報が多いことから、無難なことしか言えなかった。
そして、川奈は逢妻が居る前で、とんでもないことを言い出すのであった。
一瞬、役員権限で降給させてやろうかと思うほどのレベルだった。
ちなみに霧島プロダクションと川奈の契約は完全歩合制なので、そもそも昇給や降給の概念は存在しない。
川奈は将棋に詳しくなく、悪意はまったくないのだ。
しかも、今日に関しては翔太は川奈にお世話になりっぱなしだ。
川奈はオペレーションイージスにとって十分な功績を果たしたと言えるだろう。
なので、川奈が何を言っても甘んじて受け入れるしかないのだが――
「それはよかったな。お前、将棋より囲碁のほうが得意って言ってたもんな!」
※1 局面図: https://x.com/kurumi_baker/status/1939217355554648219




