第240話 ラストエンペラー
「将棋で言えば、私は十三世名人のような存在だ」
逢妻は初手☗7六歩と指しながら言った。
翔太は☖8四歩と続け、逢妻は☗6八銀と指した。
逢妻との対局は離れの一室で行われている。
庭園を見渡せる雅な雰囲気が漂う和室は、タイトル戦の会場と言われてもおかしくないほどの佇まいだった。
それに加え、和服を着ている逢妻からは、アマチュアとは思えないほどのオーラが感じられた。
調理室で遭遇した覇気のなかった逢妻とは別人のように思えた。
先ほどまで屋神との指導対局が行われていたためか、部屋にはすでに将棋盤が置かれていた。
今はプロの対局でも使われる対局時計が用意されており、この対局には持ち時間が定められている。
振り駒を行った結果、先手は逢妻、翔太は後手番となった。
棋力では圧倒的に翔太を上回る逢妻であったが、駒落ちなどのハンデは一切与えず、平手での対局となった。
逢妻は完全に勝ちに来ており、翔太はその条件を承諾した。
「関根金次郎ですね」
翔太は☖3四歩と指しながら言った。
将棋の名人戦は江戸時代の1612年から始まり、家元制であった。
家元は世襲に近い制度であり、逢妻は世襲で放送局のトップになった自分と重ねているのだろう。
関根は家元制最後の名人であり、それ以降の名人は実力制となった。
メトロ放送のトップも代々逢妻家の世襲で受け継がれていたが、翔太と対局している弘尚を最後に、逢妻家体制は終焉を迎えた。
「ほう、詳しいな」
逢妻は☗7七銀と指した。
(矢倉だな)
翔太は☖7四歩と指しながら、逢妻の戦型を確信した。
棋譜を持っていたことからも、逢妻は名人戦にこだわりがあるようだ。
矢倉は将棋の純文学とも言われ、名人戦ではよく採用される戦型だ。
「結局、先代の義父晴政は優秀だった。私は実力がなかったということだよ」
逢妻は☗2六歩と指しながら言った。
逢妻の戦型を確信した翔太は☖7二銀と即座に指した。
逢妻は翔太の早指しを気にすることなく、☗2五歩と歩を進める。
晴政は初代隆政の長男であり、孝子の父である。
晴政は当時低迷していたメトロ放送の改革を断行した。
そして、現社長の刈谷を編集局長に抜擢した。
メトロ放送は自由な社風に様変わりし、番組は娯楽指向へ変化していった。
快進撃を続けていたメトロ放送であったが、晴政が病死したことで、状況は一変した。
隆政は娘婿の弘尚を養子縁組し、メトロ放送のトップに据えた。
当時は銀行員だった逢妻弘尚が、突如放送局のトップに立ったことで、局内からの反発があったことは想像に難くない。
逢妻は晴政が進めていた自由な社風に否定的で、それが刈谷によるクーデターの一因となった。
「逢妻さんが進めていた国際部の活動は素晴らしいと思います」
翔太は☖3二金と指しながら言った。
逢妻は翔太の想定どおりに☗7八金と矢倉に駒を進めていく。
逢妻は銀行時代に海外子会社の立ち上げに携わっていたこともあり、国際感覚に優れていた。
その影響もあり、逢妻は世界情勢の報道に力を入れていた。
ここまではお互い指し手が早く、持ち時間を消費することもなく【☖6四歩☗4八銀☖7三桂☗7九角☖6三銀】まで手が進んだ。
「評価してくれるのは嬉しいが、海外の政治や紛争を報じても、今のお茶の間には響かないのだよ」
逢妻は☗3六歩と指しながら言った。
逢妻は世の中に対して諦観しているように見えた。
民法のテレビ局は視聴率至上主義だ。
いくら価値の高い情報を発信したところで、視聴者の関心を惹かなければスポンサーが離れてしまう。
二人は時間を使うことなく、【☖4二銀☗3七銀☖5四歩☗4六銀】まで指し進めていった。
ここまではお互いに想定内の展開であることがうかがえる。
ここで初めて翔太の手が止まった。
このまま無難な手を続けていると、自力に勝る逢妻に押しつぶされるだろう。
翔太は時間を消費した後、飛車に手を伸ばした。
☖7二飛と指した手は力強く、自動車が買えそうなほどの本榧の分厚い将棋盤に「パシーン」という駒音が静謐な離れの部屋に響き渡る。 ※1
「なっ!」
この対局中、終始逢妻の表情には余裕があった。
それが初めて崩れた瞬間だった。
※1 局面図: https://x.com/kurumi_baker/status/1938766707327410382




