第236話 最重要人物
「そこのみりん取って」
「はい、どうぞ」
グレイスビルの休憩室で、翔太は親子丼を作っていた。
アクシススタッフにいたときはときどき休憩室にあるキッチンを利用していたが、翔動に異動してからは遠慮していた。
アクシススタッフでは薄給だった翔太を気遣って、橘の配慮によってこの休憩室を自由に使わせてもらっていた。
翔動との契約になった今では十分な報酬を得ているため、業務と無関係なことで霧島プロダクションの設備を使うのは気が引けた。
橘によると、非常勤とはいえ翔太は霧島プロダクションの所属になっているため、自由に使って良いとのことだった。
「いいのかなぁ」
「『柊がいないと、食材が余って仕方ないんだよ』って言ってたよ」
(うわっ……めっちゃ似ている)
神代は川奈の声色を忠実に再現していた。
「それで、こんな簡単な料理でよかったの?」
「私、料理に関しては素人だもん。いきなり難しいものは作れないよ?」
「それもそっか……」
橘の尽力により、神代はテレビ番組に出演ができるようになった。
どのような力が働いたのか、全くの謎である。
(絶対に敵に回しちゃいけないな)
神代は料理番組に出演することになり、なし崩し的に翔太が神代に料理を教えることになった。
本来であれば川奈にお願いしたい案件であったが、オペレーションイージスで一緒に行動する時間が多いことから、このような事態になっている。
「へぇ、卵はちょっとしか混ぜないんだね」
「この方がふわっと仕上がるんだよ」
「なるほど……簡単そうに見えて、奥が深いんだね」
「そんな大層なものじゃ……あれ? なんで俺が作ってるんだ?」
神代は翔太の一挙手一投足をつぶさに観察しているため、翔太はやりにくくて仕方がなかった。
「その昆布は刻んでどうするつもりなの?」
神代は翔太の疑問に答えるつもりはさらさらないようで、出汁で使った昆布の用途を聞いてきた。
「せっかくのいい昆布だから、佃煮でも作ろうかと」
「もう主婦じゃん」
翔太の一人暮らし歴はそれなりに長い。
たまに気になる様子を見せるものの、プライベートなことに立ち入ってこない神代を好ましく思っていた。
神代も過去をあまり語らないため、その点でいえば波長が合うのだろう。
比較的パーソナルスペースが広い翔太だが、神代が近寄ってきたときには、初めから忌避感は感じられなかった。
「あっちのほうなんだけど、逢妻さんがカギになるんだね」
翔太はさくら放送の株式を大量保有している逢妻弘尚の行方を追いかけていた。
しかし、逢妻は刈谷との権力闘争に敗れて以来、一切表に出なくなった。
今の翔太にとって逢妻は最重要人物である。
しかし翔太は数少ない伝手を当たっていたが、逢妻に近づくための手段を持ち合わせていなかった。
「そうなんだよ。騒動の発端となったのは――」
人の気配を感じた翔太は会話を中断した。
この話題は霧島プロダクションと翔動にとって極秘事項である。
「おぅ、やっぱりお前らか……どこの夫婦かと思ったよ」
「なっ――///」
神代は「ボッ」という音が聞こえそうなほど、真っ赤になっていた。
「あの今の話は?」
「すまん、ちょっとだけ聞こえてしまった。逢妻さんって、あの逢妻さんか?」
行き詰まった翔太を救ったのは、目の前にいる人物だった。




