第220話 モラトリアム
「何か食べたいものはあるか?」
「オムライス!」
「……わかった。作ってやろう」
「あーっ! 今子供っぽいと思ったでしょ?」
「まぁな。別にいいだろ? 事実だし」
「むー、柊さんは女心がわかっていない!」
学業から一時的に解放されたためなのか、助手席の雫石はご機嫌だった。
***
「どんなタイプのオムライスがいいんだ?」
「卵がふわふわトロトロになるやつ」
「わかった」
「できるの?」
「任せておけ」
社宅はワンルームであったが、キッチンは使いやすかった。
浴室とトイレは別々になっており、女性に配慮された間取りになっている。
(ん? 女性?)
翔太は気になることがあったが、構わず調理を続けた。
翔太はバターを溶かしたフライパンに溶き卵を流し込み、素早くかき混ぜた。
そして、卵が半熟の状態になったら、フライパンの端に寄せ、手首のスナップを利かせてそれを返した。
雫石は翔太の一挙手一投足をじっと見つめていた。
「うわっ、うわあぁっ」
「おとなしく待っていろよ。気が散る……」
「いいじゃない、別に」
***
「うわー、きれー……お店のオムライスみたい」
オムライスを前にして目を輝かせている雫石は、年相応の子供に見え、翔太は安堵した。
今の雫石は仕事、家庭、学校から一時的に解放されている。
芸能界の一端を垣間見た翔太にとって、超過密スケジュールをこなす大変さは理解しつつあった。
加えて、家族がそれを支えてくれないどころか、心理的な負担になっていることが雫石をとりまく状況をより過酷にしているだろうと想像できる。
(今はしゃいでいるのは、きっと両親がいる家には帰りたくないなんだろうな……)
翔太は橘に頼まれたときに、「彼女は梨花と似た境遇ですから」と言っていたのが気になった。
「うわっ、オムレツを切ったら卵がとろっとろだよ!」
「冷めないうちに食えよ」
翔太は努めてゆっくり食べながら言った。
普段であれば成人女性よりもかなり早い時間に完食してしまうため、さらに子供のペースに合わせるとなると相当ゆっくり食べる必要があると思われた。
(ふむ、まぁまぁだな)
「んまっ! 超うまっ!」
翔太の予想に反して、雫石は驚異的なペースでスプーンを動かしていた。
おそらく、外ではもっと行儀よく食べているだろうが、今は翔太以外の誰にも見られていないためか、がっついていた。
***
「ふー、食った食ったー」
雫石はファンには到底見せられないようなだらけきった顔をしながら言った。
「よし、決めた」
「何をだよ?」
「柊さんを、私の専属シェフにしてあげるわ」
雫石の発言の恐ろしさは、これを実現できる経済力を持っていることだ。
「あ! それも悪くないなって思ったでしょ!」
「まぁな」
翔太は雫石を前に取り繕うのは無駄だとわかったため、あっさりと認めた。
雫石にとって翔太がそうであるように、翔太にとっても雫石は気を遣わなくてよい相手といっていいだろう。
(問題は、雫石が気を許せる相手がほとんどいないってことだな……)
「ご飯も美味しかったけど、買い物も楽しかったなー」
「俺は疲れたけどな……」
翔太と雫石は当面の生活に必要なものをそろえるため、買い物に行っていた。
雫石は橘から預かっていたキャップを深くかぶっていたため、正体がバレることはなかった。
「こうやって、一緒に買い物していると夫婦みたいに見えたかな?」
「親子にしか見えねぇよ」
「せめて兄妹って言ってよ」
(俺の体感年齢を考えると孫……まではさすがにいかないか……)
「ねぇ、柊さん、今日は泊まっていくよね?」
雫石は一部の層にクリティカルヒットしそうな上目遣いの表情で言った。
「アホか……そろそろ帰るぞ」
「ええっ、もうちょっといようよぉ」
駄々をこねる雫石を振りほどき、玄関を出たところで事件は起こった。
「あれ? しょうたん、こんなところでどしたん?」
「星野さん、なんでここに?」
「ここ女子寮だぞ」




