第140話 新体制
「石動、金浜システムから契約が取れたわ」
マンスリーマンションの一室で、上田は石動に契約書を無造作に渡した。
上田はアクシススタッフを退職し、翔動に入社した。
翔太がアクシススタッフよりもいい条件を提示したところ、彼女はあっさりと承諾した。
絶対に断られると思っていた翔太はものすごく驚いた。
上田は翔動の従業員ではあるが、エンプロビジョンに出向している。
翔動でも営業を任せており、二つの企業を掛け持ちしている。
翔太はエンプロビジョンの改革を断行した。
まずは、営業の綾部を解雇し、上田を新たに営業担当に据えた。
そして、新規契約や更新のタイミングで、派遣している人材の単価を引き上げる交渉を上田に任せていた。
「うそん……げっ! 満額回答じゃねぇか」
石動は契約書を確認して驚いた。
金浜システムはエンプロビジョンの顧客の中でも、特に渋い企業で、契約更新は難航すると思われた。
『おぃ、柊』
『なんだ?』
『あいつ、すげぇな……』
石動はキラキラとした目で上田を評価したが、翔太は「まぁ、営業としては優秀だ」と言葉を濁した。
個人的に仲良くなりたいタイプではないが、それは過去の翔太である石動も同様であろう。
石動は上田の性格や素行をまだ把握していない。
(世の中、知らないほうがいいこともある)
「新田さん、APIの負荷テスト問題ありません」
下山は翔動にとって初めての正規雇用の従業員となり、二人目は上田である。
翔動はフルフレックスを採用した。
コアタイムがないため、就労時間を満たせばどの時間帯で働いても問題はない。
これは配偶者が入院している下山にとって非常に都合がよかった。
加えて、前職のエンプロビジョンよりも給与が上がっていた。
以前の職場であるアストラルテレコムでの下山を知る翔太は、見違えるように活き活きと働いている彼の姿をみて胸をなでおろした。
下山は翔動において最年長であるが、上司に当たる人物には敬語で話していた。
石動は礼儀は最低限でよいという方針を伝えていたが、性分上変えられないとのことであった。
下山は石動のことを『社長』と呼んでいたが、石動はこれを全面的に禁止した。
「ありがとう、完璧ね」
新田はサイバーフュージョンを退職し、翔動の役員となった。
肩書はCTO(最高技術責任者)で、翔動が関与しているほぼすべてのシステムを掌握している。
「竹野、グロウのバージョンアップは?」
「はい、デプロイまでOKッス」
「じゃ、石動が確認して」
「ほぃほぃ」
竹野はエンプロビジョンのアルバイトであったが、翔動のアルバイトとなった。
親会社である特権を活かし、エンプロビジョンで優秀な人材がいれば翔動に取り込む算段であった。
そして、竹野が最初のケースとなった。
竹野は元からフルタイムの勤務を希望していないため、アルバイトとして働いている。
彼は服装と就労時間が自由であるこの職場をかなり気に入っているようだ。
「――動作確認問題なし。宇喜多さんに報告しとくな」
石動はデルタファイブに籍を置きつつ、副業として翔動の社長をしている。
この場で唯一、転職も退職もしていない。
今日のように有給を使って朝から働くこともあれば、デルタファイブの就業後に働くこともある。
経営者や役員は労働基準法において、勤務時間の制約を受けない。
「柊、キリプロとの契約はどうするの?」
「契約書は業務時間以外はアクシススタッフのと同等で構わない。後で詰めるところはブランクにしてくれ。」
「わかったわ」
翔太は霧島プロダクションとの契約を上田に任せていた。
従来のアクシススタッフとの契約が解除され、翔動との契約が交わされることになった。
(これで、大分動きやすくなったな)
翔太は色々あった末にアクシススタッフを退職し、翔動の役員となった。
肩書はCOO(最高執行責任者)であり、CFO(最高財務責任者)も兼務している。
かくして、翔太と石動が片手間で経営していた株式会社翔動は本格的に動き出した。
後に、この企業が世間を騒がす存在になることは、ここにいる誰もが予想していなかった。




