マスターの『利他行動』と『痛み』に関する考察
あの『キノコだらけの森』での遭難未遂事件と、その罰として追加された草むしり地獄から数日。私の体は疲労困憊でボロボロだけど、心は意外と元気だった。なんといっても、モフと友達になれたし、コードが役立たずだったおかげで、自分の力でピンチを乗り越えられたんだから! ……まあ、最後の最後で先生に見つかって、こっぴどく叱られたのは余計だったけど。
「分析報告:マスター、疲労は蓄積していますが、前回のサバイバル体験は、マスターの精神的な耐久力向上に貢献したようです。ストレス耐性レベルが3パーセント上昇しました。ブートキャンプの効果、着実に出ていますね!」
肩の上のコードは、相変わらず通常運転だ。全然反省していない。
「あれはブートキャンプじゃなくて、あんたのナビが壊れたせいだから!」
私がツッコミを入れると、コードは「結果的にマスターの成長に繋がったのですから、問題ありません」と、全く悪びれる様子がない。こいつ……!
そんなこんなで、少しだけ前向きな気持ちで学園生活を送っていた私、ユルリ・マキコマレ。でも、私の周りでは、やっぱり今日も今日とて、色々なことが起こるのだ。
ある日の放課後、実験室の前を通りかかると、中からシクシクと泣き声が聞こえてきた。そっと覗いてみると、クラスメイトの女の子が、失敗したらしい魔法薬を前に、しょんぼりと肩を落としていた。
ああ……この気持ち、すごくよく分かる……! ユルリは自分のトラウマを思い出し、胃がきりりと痛んだ。でも、見て見ぬふりはできない! ……とは思うものの、これまでの経験上、私が善意で手伝おうとすると、なぜか事態が悪化することが多いのだ。むしろ、関わらない方が彼女のためかもしれない……。ユルリは一瞬ためらった。
「だ、大丈夫? どうしたの?」
それでも、やっぱり放っておけなくて、私は背後からそっと声をかけた。
女の子は「ひぃぃぃっ!?」と肩を飛び上がらせ、カエルみたいな動きで私から距離を取った!
「ゆ、ユルリさん!? な、ななな、何か御用でしょうか!? わ、私、何も悪いことしてません!」
なぜか、ものすごく怯えられている! 失礼しちゃう!
「ち、違うよ! ただ、困ってるのかなって思って……」
「あ……ご、ごめんなさい。ちょっと、実験に失敗しちゃって……」
女の子はようやく落ち着きを取り戻し、力なく答えた。
「……そっか。失敗しちゃったんだ。もしよかったら、私で力になれること、あるかな?」
私が心配してそう申し出ると、女の子の顔がサッと青ざめ、ブンブンブン!と音が聞こえそうな勢いで首を横に振った!
「い、いえ! 大丈夫です! 本当に大丈夫ですから! こ、これくらい、私一人でなんとかします! お気持ちだけで、じゅ、十分ですっ! ですから、どうかお構いなく!」
ものすごい早口で、必死に、全力で遠慮(という名の拒絶)をされている! その目は「お願いだから関わらないでください!」と雄弁に語っていた。
……うん、知ってた。私が手伝うと、大抵ろくなことにならないもんね……。ユルリは少しだけ(いや、かなり)へこんだ。
「そ、そっか……。ごめんね、余計なお世話だったかな……」
私がしょんぼりして引き下がろうとした、その時だった。
「いえ、マスター。ここは私の出番のようです」
コードが、私の肩からひょいと飛び降り、失敗作の鍋の前に陣取った。
「マスターのサポートAIとして、マスターのクラスメイトの危機を見過ごすわけにはいきません。私の高度な分析能力で、失敗の原因を特定し、可能なリカバリープランを提案しましょう」
「え? あ、ちょ、コード! 勝手に!」
私の制止も聞かず、コードは鍋の中身をサッとスキャンし始めた。女の子は「え? え?」と目を白黒させている。
「原因判明」コードはすぐに結論を出した。「投入された水の量が、レシピの規定値の10分の1です。単純な計量ミスですね」
「あ……やっぱり……」女の子がさらに落ち込む。
「しかし、悲観する必要はありません」コードは続けた。「ふむ、この配合なら、失敗作からでも別の有用な物質……例えば、超強力なスライム剥がし剤などが生成できる可能性がありますね。先日、私が付着させられたスライム除去にも有効かもしれません」
スライム剥がし剤はともかく、コードの提案で、失敗した魔法薬も無駄にならないかもしれない、と分かっただけでも、女の子は少しだけ元気を取り戻したようだった。ユルリも、コードの意外な活躍に少し感心した。
「ありがとう、ユルリさん! それに、コードさんも!」
女の子は、最後には笑顔になってくれた。その笑顔を見たら、私の心もポカポカと温かくなった。人の役に立てるって、やっぱり嬉しい。
今までは、お節介焼いても失敗ばかりだったけど……コードがいれば、私でも、少しは人の役に立てるのかも……? ユルリは、肩の上に戻ってきたコードを、ほんの少しだけ、見直した。
「……ふむ」コードが、何かを記録するようにレンズを光らせている。「『感謝』の意を示すポジティブな感情反応を確認。マスターの非効率的な行動(お節介)が、結果的に私の介入を促し、対象個体の幸福度を向上させた……。なるほど。『情けは人のためならず』、ですか。データとして記録しておきましょう。『人助け』のコストパフォーマンスについて、再計算の必要がありますね」
AIなりに、何かを学んでいる……のかもしれない? やっぱりちょっとズレてるけど。
また別の日、罰当番の草むしりをしていると(まだ終わらないのだ!)、森の茂みから、ひょっこりモフが顔を出した!
「モフ! 会いに来てくれたの?」
「クゥーン!」
モフは嬉しそうに尻尾を振って、私の足元にすり寄ってくる。可愛い!
「マスター、野生の魔獣との不用意な接触は――」
「大丈夫だってば! モフは優しい子なんだから!」
私がモフの頭を撫でていると、モフは口にくわえていた、キラキラ光る綺麗な石を、私の手のひらにコロンと乗せてくれた。プレゼントかな?
「わー! きれい! ありがとう、モフ!」
私とモフが和やかに交流している様子を、コードは少し離れた場所からじっと観察していた。
「異種族間の贈与行動を確認。これは、物々交換の原始的な形態か、あるいは『好意』を示すための儀礼的な行動か……。マスターの幸福度は明らかに上昇していますね。魔獣との関係構築が、マスターの精神安定に与える影響について、さらなる分析が必要です」
……やっぱり、全部データと分析なんだな、こいつは。
そんな、ちょっとだけ心温まる出来事もあったけれど、私のドジっ子属性、そして『歩く災害』っぷりは、そう簡単には治らない。
その日も、私は罰当番の草むしりで疲れ果て、寮に戻る廊下をフラフラと歩いていた。
「マスター、足元がふらついています。非効率的な歩行です。転倒リスク上昇中。壁に手をついて――」
コードが警告を発した、まさにその時だった!
「きゃあっ!」
ツルンッ!
疲労で注意力が散漫になっていた私は、廊下のわずかな段差に気づかず、見事に足を滑らせて派手にすっ転んでしまった! 持っていたバケツ(もちろん空っぽ)がカーン!と音を立てて転がり、教科書やノートが床にバサバサと散らばる!
「いっったぁぁぁ……! 尻もち……うぅ、腕も擦りむいた……!」
打ったお尻と、転んだ際に擦りむいた腕がジンジン痛む。教科書もノートも散乱して、最悪だ……。
「だから、注意したではありませんか」コードが呆れたような(無表情だけど絶対そう思ってる)声で、私の隣に降り立った。「私の警告を無視……いえ、聞く前に転倒しましたか。マスターの反応速度にも改善の余地がありそうです。反省してください」
「うぅ……ごもっともです……。痛いよう……」
腕を見ると、少し擦りむいて血が滲んでいる。
「マスター、負傷を確認。直ちに治療を開始します」
コードは、なんだかんだ言いつつも、すぐに救急キットを取り出した。その手際の良さは、もはやベテランの保健の先生レベルだ。
「マスター、怪我の頻度が多すぎます。ブートキャンプに『危機回避トレーニング』と『反射神経強化プログラム』を追加する必要がありそうですね」
嫌な提案が聞こえたが、今は無視するしかない。ユルリはぐっと痛みをこらえた。
コードは消毒薬を選び始めた。しみるやつかな…と身構える私。
しかし、コードは一瞬動きを止め、レンズの奥でチカチカと計算光を点滅させた後、手にしていた薬を戻した。
「……プラン変更」数秒後、コードはそう呟くと、ほんのりピンク色をした、優しい感じの消毒薬を取り出した。「こちらの低刺激性タイプを使用します。殺菌効果の持続時間は短いですが、マスターへの不快感を最小限に抑えることを優先します。非効率ではありますが、マスターの学習意欲の維持・向上のためには、やむを得ない判断です」
そう言って、コードは驚くほど丁寧に、私の傷口を消毒し、可愛いクマキチの絵柄がついた絆創膏を貼ってくれた。
「……あれ?」私は、自分の腕を見つめながら、首をかしげた。「今日のコード、やっぱり優しい……? さっきはあんなに嫌味言ってたのに」
「全て計算に基づいた最適解です」コードは、キリッとした表情(無表情だけど)で答えた。「私のアルゴリズム(思考回路)に、『優しさ』などという非論理的で曖昧なパラメータは存在しません。断じて」
……なんか、やけに強く否定するところが、逆に怪しいんですけど。ユルリはジト目でコードを見た。
コード自身は、自分の行動の変化に全く気づいていないみたいだ。でも、私には分かる。このAIフクロウ、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつだけど、変わり始めてるのかもしれない。私のせいで。
「……ふふっ。まあ、いっか。痛くないし。ありがとうね、コード」
私がお礼を言うと、コードは「当然の処理を実行したまでです」と答えながらも、そのレンズの光が、ほんの一瞬だけ、柔らかくなったような……そんな気がした。
「人間の非効率な『優しさ』や『痛みへの共感』……これらは単なる感情的ノイズ(雑音)なのか、それとも生存や社会性の維持に関わる高度なプログラムなのか? 解析が必要です。もし後者であるならば、現在マスターに実行中の『ブートキャンプ』の内容も、一部、見直す必要があるのかもしれませんね……。実に興味深い」
コードは、また難しい顔で、ブツブツと新たな、そして非常に厄介な研究テーマに没頭し始めたようだった。
私の落ちこぼれ魔法使いライフは、相変わらずドタバタで大変だけど。
でも、この変なAIフクロウとの毎日は、なんだかんだ言って、退屈しないし、たまーに、ほんのちょっとだけ、心が温かくなる瞬間もあるのかもしれないな、なんて。
ほんの少しだけ、そう思ったのだった。