ナビシステム異常と魔獣『モフ』接触記録
マダム・ピンスネから言い渡された、地獄の追加罰当番(禁書庫前の廊下&大階段ピカピカ大作戦)も涙ながらに終え、ようやく少しだけ自由の身になった私、ユルリ・マキコマレ。今日こそはダラダラするぞー!と意気込んでいたのに……。
「次は校外実習よー!」という先生の元気な声。行き先は、学園の東に広がる、その名も『キノコだらけの森』!
(名前からして絶対ヤバいって! 怪しい胞子とか飛んでそう!)
私のやる気メーターは、早くもゼロを振り切ってマイナスに突入していた。ただでさえ虫が苦手なのに、怪しいキノコだらけの森なんて、行きたくない……!
「森林環境ですか」肩の上のコードは、今日も元気に分析中。「マイナスイオンは豊富ですが、虫やぬかるみなど、非効率的な障害が多い空間ですね。実習場所として最適とは思えません」
「あんたに言われると、なんか腹立つわね……」
今回の課題は、森の中にしか生えない「月光茸」っていう、暗い場所で青白く光る珍しいキノコを採取してくること。魔法薬の貴重な材料になるらしい。
森の入り口にクラス全員で集合すると、先生から厳しい注意事項があった。
「いいかね、この『キノコだらけの森』は、見た目に反して非常に迷いやすいことでも有名だ。特に奥深くは特殊な磁場が乱れていて、方位磁石や魔力コンパスも当てにならないことがある。そして、危険な魔物も目撃されている。だから、絶対にこの『ここから先、危険!立ち入り禁止!』の看板から奥へは入らないこと! フィールドワークは何より安全第一! 分かったかね、特に!ユルリ君!」
先生は、古びて文字がかすれた『立ち入り禁止』の看板を指差し、私をギロリと睨んで念を押した。……はい、私が一番信用されてないってことですね! 知ってた!
フィールドワークスタート! 他の生徒たちは、安全なエリア内で、地図を片手に「あっちにありそう!」「こっちの方が光ってる気がする!」と、キャッキャウフフしながらキノコを探している。青春だなぁ……。ユルリは遠い目をした。
「マスター、非効率です」コードが悪魔の囁きのように言った。「この安全エリア内で採取できる月光茸は、質・量ともに低レベル。目標達成には程遠いでしょう」
「で、でも、先生があそこから先はダメだって……」
「規則は、時に非効率を生み出します。私のスキャンによれば、あの『立ち入り禁止』の看板の奥……約500メートル先に、極めて高密度な月光茸の群生地が存在します。質も最高レベル。あそこへ行けば、わずか10分で課題目標の3倍は採取可能。他の生徒に圧倒的な差をつけるチャンスですよ?」
(た、大量ゲット……! 圧倒的な差……!)
その言葉は、落ちこぼれの私の心に、甘く、そして危険に響いた。確かに、ここでチマチマ探すより、禁止エリアに入ってサッと採ってきた方が、ずっと楽だし、すごいって思われるかも……! ユルリの心は揺れた。
「し、しかし、危険だって先生が……それに、魔物も……」
「ご安心を。私の最新アップデートにより、磁場干渉への耐性も向上しています。ナビゲーションは完璧です。危険な魔物に遭遇する確率は1パーセント未満。安全かつ迅速に目的を達成できます。さあ、マスター、効率的な選択を!」
コードのレンズが、キラリと悪魔的に光った。
(うぐぐ……ダメだ、ダメだって分かってるのに……! でも、大量ゲット……楽してすごいって言われたい……! 今回こそ、コードのナビも完璧かもしれないし……!)
私の心の中の天使と悪魔が激しいプロレスを繰り広げた結果――。
「……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだからね! すぐ戻ってくるんだから!」
私は、コードの誘惑にあっさりと負けた。左右をキョロキョロ確認し、先生や他の生徒に見られていないことを確かめると、心臓をバクバクさせながら、そーっと『立ち入り禁止』の看板の向こう側へと足を踏み入れてしまったのだ!
「素晴らしい判断です、マスター! これぞ効率厨…いえ、合理的な選択です!」
コードは嬉しそうだ。……こいつ、絶対私が怒られるの面白がってるだけだ!
立ち入り禁止エリアは、確かに安全エリアとは空気が違った。木々はさらに鬱蒼と茂り、薄暗く、なんだか不気味な静けさが漂っている。足元には見たこともない色のキノコが生えている。絶対毒キノコだ。
それでも、コードのナビは完璧だった。「右へ5歩! その紫のキノコは猛毒です、胞子を吸わないように息を止めて! 左前方、巨大ムカデが通過します、やり過ごしましょう!」といった的確な指示で、私たちはあっという間に月光茸の群生地にたどり着いた!
「うわー! すごい! キラキラ光るキノコがいっぱい!」
そこには、まるで夜空の星のように、青白い神秘的な光を放つ月光茸が、地面一面に広がっていた! しかも、一つ一つが大きい!
私は夢中で月光茸を採取した。あっという間にカゴはいっぱいに!
「やったー! 大漁大漁! これで先生もビックリ……って、あれ?」
ふと、茂みの奥からガサガサと音がするのに気づいた。ま、まさか魔物!?
私がビクッと身構えると、茂みからヌッと巨大な影が現れた!
「ひぃぃぃっ!?」
それは、まるで巨大なゴリラに鎧のような毛皮と鋭い牙をくっつけたような、めちゃくちゃ怖そうな魔獣だった! 赤い目が爛々(らんらん)と輝き、低い唸り声を上げている! 絶体絶命か!?
しかし、コードは冷静に分析した。
「……瞳孔収縮、心拍数上昇。極度の緊張状態と推測。結論:この魔獣、見かけによらず、かなりのビビりですね。むしろカワイイ」
「えっ!? 怖がり!? こんなにマッチョで怖そうなのに!? しかもカワイイ!?」
言われてみれば、魔獣は体をプルプル震わせ、赤い目も怯えているようだ。
「だ、大丈夫だよー。怖くないよー」
私が恐る恐る、優しく話しかけると、魔獣はピタリと動きを止め、クーンと子犬のような鳴き声を出した。そして、ゴロンとお腹を見せて甘えてきたのだ!
「わわっ! な、懐かれた!?」
私は驚きつつも、そのゴワゴワしたお腹をわしゃわしゃと撫でてあげた。魔獣は、気持ちよさそうに目を細めて、グルルル……と喉を鳴らしている。完全に懐かれた!
「ふふ、君、本当は寂しがり屋で甘えん坊なんだね。よしよし」
なんだか、この大きな魔獣が、まるで迷子の子犬みたいに見えてきた。もっと安心させてあげたくて、私は自然と、おばあちゃんが昔よく歌ってくれた、古い子守唄を口ずさんでいた。優しくて、ちょっとだけ切ないような、不思議なメロディ。
私の拙いハミングを聞いて、魔獣はさらに体の力を抜き、大きな頭を私の膝にすり寄せて、気持ちよさそうに目を閉じた。ゴロゴロという喉の音が、さらに大きくなる。
「おや?」コードが私の歌声を分析し始めた。「マスターの発声する特定の音波パターンが、対象魔獣の副交感神経を刺激し、鎮静効果を発揮しているようです。非論理的ですが、興味深い現象です。録音してデータ化しておきましょう」
ユルリはコードをジロリと睨んだ。
「よし! こんなにモフモフしてるんだから、今日から君の名前は『モフ』ね!」
私は、すっかりリラックスした魔獣のお腹を撫でながら、そう宣言した。こうして、私は初めてモフと出会い、そして友達になったのだった。
「ふむ。マスターの『対動物・魔獣 超絶懐かせスキル(仮)』、初の実戦データを確認。興味深い。今後、様々な生物とのコミュニケーションに活用できるでしょう。…バグの可能性も否定できませんが」
コードは、また何か勝手に分析して記録している。
「さあ、コード! 友達もできたし、早く学園に戻ろう!」
私はホクホク顔で、コードに指示を出した。
「了解しました、マスター。最短ルートでの帰還を開始……警告! 警告! ナビゲーションシステムに原因不明の致命的エラー発生!」
突然、コードが甲高い警告音を発した!
「原因は、周辺に発生している強力かつ不規則な磁場……私の科学技術では解析不能な、未知のエネルギー干渉です! くっ……この世界の『魔法』という非論理的な力が、私の精密機器に影響を……! 現在地の特定、不可能です! 完全に迷子です!」
「はぁぁぁぁ!? やっぱり壊れたんじゃない! しかも前よりひどくなってる!」
よりにもよって、こんな立ち入り禁止の森の奥深くで!?
「ど、どうするのよ!? 帰り道わかるの!?」
「……残念ながら、マスター。私のナビ機能は現在、完全に沈黙しています。バックアップデータも、この異常なパワーの影響で読み取り不能。復旧の見込みは……絶望的です」
「使えなーーーい!! しかも絶望的って言わないでよ!」
日が急速に傾き始め、森はみるみる暗くなっていく。まずい、このままじゃ本当に遭難確定だ!
「こ、こうなったら、私の野生の勘を信じるしかないわ! こっちよ、こっちに行けば絶対帰れるはず!」
私は、全く根拠のない自信を胸に、こっちだ!と確信する方向にズンズン歩き始めた! モフも心配そうに後をついてくる。
「マスター、その方向で本当に合っていますか? 私のセンサーは現在機能不全ですが、マスターの選択には論理的な根拠が全く感じられません。 大丈夫ですか? 生存確率が低下しているように思えますが」
「うるさい! 私の野生の勘を舐めないでよ!」
……そして、数時間後。
私たちは、完全に、完璧に、森のさらに奥深くで迷子になっていた。日はとっぷりと暮れ、月明かりだけが頼りだ。木々が深すぎて、月明かりすらあまり届かない。ユルリの野生の勘は、残念ながら文明の利器以上に当てにならないことが、悲しいくらいに証明されてしまった。
「うぅ……お腹すいた……疲れた……暗い……怖い……帰りたい……」
私は、大きな木の根元にへたり込んで、しくしくと泣き始めた。もうダメだ……。完全に心が折れた……。
「マスター、諦めるのは非効率です!」コードはこんな時でも前向きだ。「さあ、気を取り直して、夜空の観察でもいかがですか? ふむ、地球の星座とは全く異なりますね。興味深い観測データです。 新しい星座に名前をつけましょうか? 例えば、『マスター・ユルリの涙目座』とか」
「つけなくていいわよ! 泣いてる時に!」
私がコードにツッコミを入れていると、隣に寄り添ってくれていたモフが、クゥーンと心配そうに私の顔を舐めてくれた。そして、どこかへ走っていき、すぐに口にキラキラ光る苔や、見たこともない色の木の実をくわえて戻ってきた。
「モフ……ありがとう……。でも、その苔は食べられないと思う……。木の実も、ちょっと色がヤバいかな……」
気持ちは嬉しいけど、食料としては不安しかない。
「ふむ。魔獣による食料提供行動。ただし、提供物の安全性は不明。マスター、ここは私が分析を――」
「いいから! 何もしないで!」
結局、私たちはモフと一緒に、夜通し森の中をあてもなくさまよい歩くことになった……。疲労と不安で、意識が朦朧としてくる……。
……どれくらい歩いただろうか。東の空が白み始め、朝もやが森に立ち込めてきた、その時だった。
「……おや?」コードがピコッとアンテナを立てた。「マスター! 吉報です! 一時的にですが、周囲の磁場が弱まった模様! ナビゲーションシステム、部分的にですが再起動に成功しました! 現在地特定……完了! 学園までのルート、表示します! ただし、精度は通常時の30パーセント程度です! 油断は禁物です!」
「ほんと!? やったー!」
奇跡だ! これで帰れるかもしれない! 30パーセントでも、私の勘よりはマシだ!
私たちは、モフに何度もお礼を言い、森の奥へと帰っていくモフの背中を名残惜しく見送った。
そして、コードの不確かなナビと、時々暴走する私の野生の勘(やっぱり当てにならない)を頼りに、フラフラになりながら森の出口を目指した。
朝日が完全に昇り、鳥たちがチュンチュンと鳴き始める頃……。
私たちは、泥と葉っぱとキノコの胞子まみれのボロボロの姿で、なんとかあの忌まわしき『立ち入り禁止』の看板が立つ、森の入り口へとたどり着いたのだった……!
「つ、着いた……! やっと帰ってこれた……!」
私がその場にへたり込もうとした瞬間、茂みの影から、般若のような形相のポーション先生と、心配そうな顔をした他の先生たちが、ヌッと現れた! どうやら、徹夜で私たちを捜索してくれていたらしい……。
「ユールーリーーくーーーん!!!!!」
ポーション先生の、学園中に響き渡るほどの、それはもう、昨日聞いたモフの咆哮よりも恐ろしい怒声が、朝の森にこだました。
もちろん、この後、私たちはこっ酷く叱られ、山のような反省文と、罰当番として『キノコだらけの森』の入り口付近の草むしりを言い渡されたのは、言うまでもない……。
(もう二度と、ルールは破らない……絶対に……! コードの甘い誘惑にも絶対に乗らない……絶対に……!)
私は心に固く、固ーーーく誓うのだった。……たぶん、一週間くらいは覚えてるはず!