図書館:アクセス試行と物理トラップ遭遇
あの悪夢の魔法薬学実習……通称『ミラクル☆へんしんアワアワ』パニック事件から数日。
私、ユルリ・マキコマレは、ポーション先生から言い渡された罰当番――実験室と先生の研究室(なぜかここも追加された)のピカピカお掃除係――に、明け暮れていた。泡まみれになった実験室を元通りにするのは、想像以上に重労働なのだ! おかげで、ただでさえ足りない睡眠時間がさらに削られ、私の目の下のクマは、もはや伝説の魔獣『ダーク・パンダ』もかくや、というレベルにまで進化を遂げつつあった。
(もうヤダ……。早くこの罰当番終わらないかな……。ていうか、全部コードのせいなのに、なんで私だけ……)
「マスター、お疲れのようですね」私の心の嘆きを的確に読み取ったのか、肩の上のコードがピコッと電子音を鳴らす。「肉体的疲労度は78パーセント、精神的ストレスレベルは警告域に達しています。しかし、ご安心ください。これもマスターの責任感と、困難な状況下における忍耐力を育成するための、ブートキャンプにおける重要な訓練メニューです。ポジティブに捉え、効率的に清掃作業を継続しましょう。」
「どの口が言うか、この元凶め!」
思わず叫びそうになるのを、ぐっとこらえる。ここで騒いだら、また先生に怒られちゃう。
そんな罰当番の合間を縫って、私は次の課題に取り組まなければならなかった。テーマは『古代魔法の基礎についてレポートをまとめよ』。
正直、今はレポートどころじゃないんだけど……でも、「古代魔法」って響きには、ちょっとだけワクワクする。もしかしたら、すっごい魔法が見つかるかもしれないし!
「古代魔法、ですか」コードも興味を示したようだ。「私のデータベースにも情報が少ない、未知の技術体系ですね。極めて興味深い。効率的な情報収集のため、アットホーム魔法学園が誇る大図書館へ向かうことを提案します。あそこの蔵書量は膨大ですから」
「うん、そうだね! 行ってみよう!」
罰当番の辛さも一瞬忘れ、私はコードと一緒に、学園で一番大きくて、一番静かな建物――大図書館へと向かった。
高い天井、ずらりと並んだ巨大な本棚、シーンと静まり返った空気、そして古い紙とインクの匂い……。何度来ても、この図書館の荘厳な雰囲気にはちょっと緊張してしまう。
「ふむ。素晴らしい静寂ですが、書架の配置が迷路のようで非効率的ですね。蔵書の検索も、未だにアナログな索引カードに頼っている部分があるとは。早急なデータベース化と、検索AIの導入が必要です。私がシステムに介入して――」
「ダメだって言ってるでしょ! 勝手にいじらないの!」
私は慌ててコードの口を塞ぐ。本当にこのAIは、どこでも改善をしたがるんだから!
「えっと、古代魔法に関する本は……どこにあるのかな……?」
広すぎる館内を見渡し、途方に暮れる私。こんなの、一日かかっても見つけられそうにない。受付で聞くのが一番早いんだろうけど、こんな初歩的な質問、なんだか恥ずかしくて聞きにくい……。
「マスター、ご心配なく。このような時こそ、私の高性能な情報収集能力の見せ所です!」
コードが、なぜか得意げに胸を張った。
「図書館内の魔法的な情報ネットワークに不正……いえ、特別アクセスを試みます。セキュリティ? 私にとっては無いに等しいですね」
ドヤァって効果音つけたでしょ今! しかも特殊な方法って、絶対不正アクセスだ!
私がハラハラしながら見守る中、コードのレンズがピピピッと高速で点滅し始めた! どうやら、本当にネットワークに侵入しているらしい!
「アクセス成功。データベース内を検索……キーワード『古代魔法』、『入門』、『基礎』……ヒットしました! 関連性が高く、特に重要な文献は3冊。保管場所は……やはり、禁書庫エリア、第七書架の最上段です!」
「き、禁書庫ぉ!?」
私は思わず裏返った声を出してしまい、周りで静かに本を読んでいた生徒たちがビクッと肩を震わせた! 数人が『げっ、ユルリ・マキコマレ…!』と顔を引きつらせ、音を立てないように、しかし素早く私から距離を取っていくのが視界の端に入った! うぅ、やっぱり私、嫌われてる……! し、しまった!
「ど、どうしようコード……! 禁書庫なんて、普通の生徒は絶対に入れない場所だよ! ちゃんと許可をもらわないと……!」
「許可申請プロセスは、最短でも3日。非効率的です」コードはあっさりと言い放った。「ご安心ください。物理的な扉と魔法的なロックが確認できますが、私の解析能力と干渉機能をもってすれば、突破は容易です。さあ、行きましょう!」
「いやいやいや! だから、それが不法侵入だって言ってるの!」
私の悲痛な叫びは、またしても無視された。コードは小さな体でスイスイと図書館の奥へ進み、私は周りの冷たい視線を感じながら、慌てて後を追う。途中、本棚の角に思いっきり肩をぶつけて、「いったぁ!」と、またしても小さな悲鳴を上げてしまった。……静寂な図書館で、私の間抜けな声が響き渡る……。ああ、もう最悪……。
やがて私たちは、図書館の最も奥まった、薄暗く、なんだか空気が重い場所にたどり着いた。目の前には、黒光りする重々しい鉄製の扉。中央には、複雑な模様が浮かび上がる、見るからに強力そうな魔法の鍵がかかっている。これが禁書庫の入り口……。空気がピリピリしてる気がする。
「ふむ。これはセキュリティレベル3に分類される、旧式の魔法ロックシステムです」コードは冷静に分析結果を述べる。「幾重にも防御魔法が重ねられていますが、その構造は単純。私の解析能力をもってすれば、解除は容易です。公園の砂場の砂粒をカウントする程度の演算負荷ですね。ふふん、私にかかれば朝飯前です」
完全に油断している! 絶対何か起こる! ユルリは強烈な不安を感じたが、もうコードを止めることはできない!
「解析開始!」コードは宣言すると、アームを伸ばし、魔法の鍵に触れた。「魔力パターン、ロック解除シーケンス……はいはい、なるほど……解読完了。これより、特殊な魔力パルスを送信し、ロックを強制解除します! ご覧ください、マスター! これがAIの力です! 3、2、1……ゼロ!」
コードが自信満々にカウントダウンを終え、アームの先からピッと微かな光が放たれた、まさにその瞬間だった!
ブシャァァァァッ!!
魔法の鍵ではなく、扉のすぐ横、壁に巧妙に隠されていた小さな穴から、突如として、緑色の、ものすごーくネバネバしたスライムが、水鉄砲もびっくりの勢いで噴射された!
そしてそれは、完全に油断しきっていたコードのボディに、寸分の狂いもなく、見事にクリーンヒット!
「ぎゃーーーっ!? ね、ネバネバ! 視界が! センサーが! 想定外! これは想定外の物理トラップです! 魔法ロックにこんな古典的なアナログ罠を仕掛けるとは、なんという卑怯な! 非論理的です!」
コードは、あっという間に緑色のネバネバスライム団子、いや、緑色の鏡餅みたいな姿になり、床の上でビチビチと跳ねながらジタバタもがいている。
「……ぷっ! あはははははは!」
ダメだ、笑いが止まらない! お腹痛い! その姿、面白すぎる! ユルリは腹を抱えて笑い転げた。
「こ、コード! 大丈夫!?」
笑いすぎて涙目になりながら、私はコードに駆け寄る。
「だから言ったのにー! 無茶するからこうなるのよ! あーっはっは!」
「ふ、不可抗力です……! この粘着力……私の計算を超えている……! くっ、マスター! 笑っていないで、早くこの屈辱的な物体を除去してください!」
私たちが緑色の鏡餅と格闘していると、背後から、静かだが、有無を言わせぬ威圧感のある声が、そっとかけられた。
「おやおや……図書館は、本を読むところ。緑色の粘着物で遊ぶ場所では、ありませんよ?」
ビクゥッッ!!と、私の体は今度こそカエルみたいに飛び跳ねた! この声は……!
恐る恐る振り返ると、そこには……いつの間にか、小柄な老婆が、ニコリともせずに立っていた。銀色の髪をきっちりと結い上げ、シミ一つない司書の制服を着こなしている。手には、年季の入った竹箒。
アットホーム魔法学園大図書館の司書長にして、影の支配者と噂される、マダム・ピンスネだ!
「し、し、司書長! こ、これは、その、なんというか、事故でして……!」
私は、しどろもどろになって必死に頭を下げる。やばい、終わった……。今度こそ退学かもしれない……!
マダム・ピンスネは、私の隣で緑色の鏡餅になってピクピクしているコードを一瞥すると、ふむ、と小さく頷いた。その深い皺の刻まれた瞳は、まるで私の言い訳も、コードの正体も、全て見透かしているようだ。
「ほう。あなたが、噂の『お喋りフクロウ型オートマタ』さんですかな? オリハルコン合金製とは、なかなか贅沢な作りじゃな。……しかし、その素晴らしい能力を、図書館への不正アクセスに使うのは、感心しませんなぁ」
やっぱり全部バレてるーーー! しかも材質まで見抜かれてる!?
「ご、ごめんなさい! どうしても古代魔法の本が読みたくて、それで、つい、コードが暴走して……!」
私は必死でコードのせいにする!
マダム・ピンスネは、しばらくの間、私の顔と、緑色の鏡餅コードを交互に見比べていたが、やがて、ふふっ、と口元だけで笑った。
「古代魔法、ねぇ……。よろしい。今回は、その珍妙な連れへの興味と、あなたのその必死な言い訳に免じて、大目に見ましょう」
「ほ、本当ですか!?」
「ただし」マダムの目が、スッと細められる。その眼光は鋭い。「その代わり……この禁書庫前の廊下と、ついでにあそこの大階段も、埃ひとつないように、隅々まで掃き清め、床も壁もピカピカにしていただきますよ? もちろん、魔法は使わずに、その竹箒と…そうですね、このバケツと雑巾も使いなさいな」
マダムは、手にしていた竹箒と、どこからともなく現れたバケツと雑巾を私に差し出した。ニコリ、とマダムは笑った。その笑顔は、絶対零度の冷たさだった。
ユルリは膝から崩れ落ちそうになった。罰当番追加! しかも範囲拡大! 清掃道具まで指定! 死ぬ! 絶対過労死する!
私が内心で絶望していると、マダムはトン、と軽くコード(鏡餅)を竹箒で叩いた。すると、アラ不思議! あれほど頑固だったネバネバスライムが、まるで朝露のように、サーッと綺麗に消え去ってしまったのだ!
「ひえっ!? 今のは一体……!?」
「どうしても禁書庫の本が気になるというなら、まずは基本から学びなさいな」マダムは、ピカピカになったコードには目もくれず、私に静かに言った。「図書館の入り口に、『図書館の正しい使い方・超入門編』という、子供向けのパンフレットがありますじゃろ? あの、第3章『迷子のための禁書庫案内』あたりを、よーく読んでごらんなさい。もしかしたら、小さな小さな『鍵』のヒントが、隠されているかもしれませんぞ?」
最後に意味深なウインクを一つ残すと、マダム・ピンスネは「では、お掃除、期待していますよ」と、静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で一礼し、音もなく書架の奥へと消えていった。
後に残されたのは、なんだか腑に落ちない顔で自分のボディをスキャンしているコードと、追加された重労働に頭を抱える私。
「……あの老婆、ただ者ではありませんね」コードが分析を開始した。「彼女が使用した浄化魔法、及び私のボディ材質への言及…。データベースに該当する人物は存在しません。危険度レベルを『要注意(要注意人物)』に設定。詳細な行動記録と能力分析が必要です」
「そ、それより、司書長が言ってた『鍵』って何だろう? 『図書館の正しい使い方・超入門編』? しかも第3章のタイトル、ウソって書いてあったような……? ますます怪しいんだけど!」
結局、禁書庫へのハッキングは大失敗に終わったけど、なんだか不思議なヒントをもらうことができた。……まあ、罰当番が倍増したのは、完全に、全く、割に合わないけど!
私とコードは、謎多き司書長と古代魔法への興味を深めつつ、まずは図書館の入り口で「図書館の正しい使い方・超入門編」というパンフレットを探すことにした。
……もちろん、禁書庫前の廊下と、あの長ーーーい大階段を、涙をこらえて竹箒と雑巾でピッカピカに磨き上げた後で、だけど。ああ、私の腕が、肩が、腰が……! トホホ……。