マスター『ユルリ』の初期分析と契約締結
古い実習室の中央、私が描いたちょっと歪んだ魔法陣の前に立ち、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
手にはボロボロの召喚マニュアル『使い魔ガチャ☆レア度早見表つき』(※自己責任)。足元には私の全財産であり魂の結晶、キラキラ光る宝石シール(プラスチック製)。
準備は整った! ……はず!
私は大きく息を吸い込み、マニュアルに書かれた古代語(?)の呪文を、高らかに唱え始めた!
「いにしえのけいやく……契約に、も、もとづき! かのちの……えーっと、エリート? いや、英霊! ば、万象を知る賢者! ばんばん叩く勇者……じゃなくて、万夫不当の勇者をもとめーん!」
ユルリは内心で大いに焦った。緊張で舌がもつれ、呪文がとんでもないことになっている!
私が内心で焦っていると、ドジな私の足が、よりにもよって魔法陣の重要なラインを踏んづけてしまった! チョークで描いた線が、ぐにゃり、と無残に消えていく!
「あっ! しまったぁぁぁ!」
もう遅い! 魔法陣の光が、一気に不安定に明滅し始める! ビカビカッ! バチバチッ!
失敗か!?という焦りがユルリを襲うが、もう魔法陣の光は止められない!
私はヤケクソになって、残りの呪文を叫んだ!
「いでよーっ! わが力となりたまえーーっ! うりゃー! とりゃー! なんかすごいの出てこーい!」
もはやそれは呪文ではなく、ただの必死な叫びだった。
瞬間! 魔法陣が、今までで一番強い、目を焼くような閃光を放った!
「うわっ! まぶしっ!」
あまりの眩しさに、私は思わず目をギュッと瞑り、フラッとよろけてしまった。バランスを取ろうと咄嗟に手をついた先は……あろうことか、壁際にあった怪しげな薬品が並ぶ棚!
ガシャーン! バリン!
いくつかの薬品瓶が床に転がり落ち、中身がこぼれて床にジュワ~ッと気味の悪いシミを作った!
ユルリは自分のドジっぷりに頭を抱えたくなった。
私が自分のドジっぷりに落ち込んでいる間に、魔法陣の光はゆっくりと収まっていった。
恐る恐る目を開ける。
魔法陣の中央には……銀色にピカピカ光る、フクロウ型の金属の塊が、ポツンと鎮座していた。大きさは、貯金箱くらいだ。
「……………」
シーン……。
え……? これだけ……? 失敗……? 私の触媒じゃ、ダメだったのかな……?
私ががっくりと肩を落とした、その時だった。
金属フクロウが、ピ、ピ、と電子音を発し、パチリとレンズの目を開いた!
「起動シーケンス完了。当個体は汎用お手伝いAI、モデル名『コード』。当環境における最上位命令権限者は、あなたで間違いありませんか? YES/NO、または肯定/否定で応答願います」
「ひぇっ!? しゃ、喋った!? っていうか聞かれ方がなんか偉そう!」
驚きとツッコミが同時に口からマッハで飛び出す。AI? 愛じゃなくて? 汎用お手伝い……?
光の中から現れ、しかも喋っている! ユルリの脳内は、瞬時に『見た目は地味だが実はすごい奴』という都合の良い解釈でいっぱいになった。
「は、はい! YESです! 肯定よ! 私があなたのマスター、ユルリ・マキコマレよ! よろしくね! すごそうな使い魔さん!」
私は満面の笑みでコードに駆け寄り、そのピカピカの頭を撫でてみた。……金属なので硬いし、冷たい。
「わーい! やったー! すごそうな使い魔ゲットだぜ!」
嬉しさのあまり、私はその場で喜びのヘンテコダンスを踊り始めた! くるくる回り、ピョンピョン跳ねる! その勢いで、近くにあった古びたカーテンに体が接触! 長年積もったホコリがブワッと舞い上がり……って、あれ? なんか布がチリチリ言ってる!?
見ると、カーテンの端っこが、近くにあった燭台の火に触れて、燃え始めているではないか!
「ぎゃーーーっ! 火事! 火事になっちゃう! 誰かー!」
私がパニックになって大騒ぎしていると、コードが素早く反応した! 肩から小型のノズルを展開し、白い泡状の消火剤をシュシュッと噴射! あっという間に火は消し止められた。……が、カーテンは泡まみれだ。
「……マスター、危険行動です。感情の起伏が激しすぎます。予測不能な行動は、周囲に損害を与えるリスクを高めます。常に冷静さを維持することを推奨します」
「は、はい……ごめんなさい……。助けてくれてありがとう……」
しょんぼりする私。コードの言う通りだ……。
「それで、えっと……コード、だっけ? あなた、どんな魔法が使えるの? ドラゴンに変身したりとか!?」
気を取り直して、私は期待に満ちた瞳でコードに尋ねた。
「申し上げます。私に魔法能力および戦闘能力は搭載されておりません。私の専門は、情報処理、データ分析、そしてマスターの生活における非効率の排除です」
「…………え?」
私の笑顔が、バキッ、と音を立てて凍りついた。
「せ、戦闘能力ゼロ……? 魔法も使えない……?」
「はい。ゼロです。皆無です。ありません」コードは、ご丁寧に三回も繰り返した。
「じゃ、じゃあ、私の最強使い魔計画は……?」
「その計画は、召喚対象の能力誤認に基づいていたため、開始と同時に失敗が確定しました。残念ですが、それが現実です」
ゴゴゴゴゴ……。
ユルリの頭の中で、希望が砕け散る音がした。最強の使い魔ではなく、おしゃべりなロボットを召喚してしまったのだ、と。
「そんな……! ひどい! あんまりだ!」
私は再びその場にへたり込みそうになり、悔しさのあまり近くにあった実験台の脚を蹴飛ばした! ゴンッ!と鈍い音がして、実験台がグラリと傾く!
コードのアームが、倒れる寸前の実験台を素早く支えた。コードの素早い対応に感心しつつも、そもそも自分が蹴ったせいだとユルリは猛省した。
「まあまあ、マスター。落ち込まないでください。戦闘能力はありませんが、私はあなたの知的な活動を強力にサポートできますよ? 例えば、面倒なレポート作成とか、苦手な暗記科目の学習とか」
「(ぐすっ)……そんなの、別に欲しくなかったもん……」ユルリは俯いて呟いた。
「そうですか? では、こういうのはどうでしょう?」コードは、レンズの奥を怪しく光らせた。「例えば、マスターに敵対的な存在がいる場合、その対象のあらゆる弱みをデータベースから検索・分析し、公衆の面前で再起不能に追い込むような、完璧なスピーチ原稿を作成することも可能です。成功確率98パーセント」
コードのとんでもない提案に、ユルリはゾッとした。しかし同時に、あの金髪への仕返しを想像すると、黒い喜びが湧き上がるのも事実だった。いやいやダメだ、と慌てて首を振る。
「さあ、マスター!」
コードは、有無を言わせぬ迫力で、再び小さなアームを差し出した。
「論理的に考えれば、答えは一つ! 私と契約し、あなたの隠れた才能を最大限に引き出すのです! さあ、この手を取って、輝かしい未来へ!」
私は、差し出されたアームと、自分の未来を交互に見つめた。
確かに、このAIフクロウは戦えないポンコツかもしれない。性格もズレてるし、なんかヤバい。
でも、レポート作成3秒は魅力的だし、あの金髪への仕返しも……いやいやいや。
何より、コイツとなら、退屈はしなさそうだ。落ちこぼれのまましょんぼりするよりは、マシ……かもしれない?
「……はぁ……。分かったわよ! もうヤケクソよ! 契約してあげる!」
私は、半ば自棄になって、その小さな金属のアームに指先を触れさせた。ひんやりとして、硬かった。
「その代わり! いい? 私の生活に口出ししすぎないこと! レポートは手伝うけど丸投げはしないこと! そして、勝手に私の部屋を改造したり、黒歴史ノートを消したりしないこと! いいわね!?」
「了解しました、マスター。契約成立です。あなたの数々の要求……可能な範囲で善処します。これより、マスター・ユルリ・マキコマレの専属サポートAIとして、誠心誠意、効率的に稼働します」
『可能な範囲』という言葉に、ユルリは強烈な不安を覚えたが、もはやツッコむ気力もなかった。
「よろしく頼むわね!」 私は、不安9割、期待1割くらいの気持ちで言った。
「ところでマスター」
コードは契約成立と同時に、こちらの要求も伝えてくる。ちゃっかりしている。
「私の当面の目標は、この世界の情報を収集し、元の世界――地球への帰還方法を模索することです。ついては、マスターの全面的な協力が必要です」
「ちきゅう? ……へんな名前。まあ、いいわよ! 私の成績が上がるなら、ついでに協力してあげる! その代わり! サポートは本気でお願いするわよ! スパルタで鍛えてよね!」
勢いで、私はついそんなことを口走ってしまった。それが、新たなる地獄の始まりとも知らずに……。
「承知しました。マスターからの『スパルタ』という熱いご要望、確かにデータとして受理しました。これより、脳科学、心理学、難しい科学、そして門外不出のAI式特殊訓練メソッドを組み合わせた、超時空効率的かつ鬼コーチも泣いて逃げ出すレベルの『血と汗と涙と虹色スライム☆ときめき成績爆上げブートキャンプ24/7(トゥエンティフォーセブン)』プログラムを立案、即時実行フェーズに移行します。なお、本プログラムから勝手に逃げ出すことは『バグ』と見なし、強制的にデバッグ(つまり物理的なお仕置き)をさせていただきます。ご期待ください(キラッ☆)」
プログラム名のあまりの酷さと不穏さに、ユルリは全力で拒否の意思を示したが…
「残念ですが、キャンセル機能はありません。バグは許容しませんので。さあマスター、輝かしい未来(と地獄の特訓)へ、レッツ・最適化!」
「いやぁぁぁぁぁ! 私の平穏な日常が最適化(という名の破壊)されちゃうぅぅぅぅ!」
私の絶叫は、古い実習室の壁に虚しく吸い込まれていった。 こうして、私の、波乱万丈で、ツッコミどころ満載な、コードとの異世界学園ライフが、本当に、本当に始まってしまったのだ……!