表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呪い谷に降る雪は赤い  作者: 西季幽司
第一幕「阿房宮」
PR
2/57

風花②

 飯島には子供が二人いる。上の長男は高校を卒業すると、都内に働き出てしまった。下の長女が高校生で家にいるのだが、最近は反抗期なのか言うことを聞かないらしい。「あら、私なんて、早く帰っても厄介者扱いされるだけです~もう、最近、うちの子、生意気ばかり言うようになって――」と飯島は愚痴を言った。

 飯島の言葉に、秋香はけらけらと笑った。

「今晩は冷えますよ。明日は雪になるようです」

「道理で寒いと思ったわ。雪になると山の使いが見えなくなるわね」

 山の使いとは、阿房宮に現れるカラスのことだ。ただのカラスではない。体が真っ白なのだ。アルビノと呼ばれる先天的にメラニン色素が欠乏したカラスのようだ。

 初めて、このカラスが屋敷に現れた時、その独特の風貌からカラスだと分からなかった。カアカアと鳴くのを聞いて、やっとカラスだと分かったくらいだ。

「きっと山のお使いなのよ。その内、うちによくないことが起こるんだわ」秋香が言った。指先が微かに震えていた。

 屋敷の裏には妙仏山という山が広がっている。秋香は白いカラスをこの山からの使いだと言って恐れた。雪が降れば白いカラスが見えなくなってしまうだろう。

「あら、お嬢様。雪の降るような寒い朝に、カラスは来ませんよ。きっと、巣で縮こまっているはずです。はは」飯島はそう笑い飛ばして、阿房宮を出た。

 飯島が阿房宮を出た後、誠一の証言によれば、秋香は「ちょっと頭痛がするので、先に休ませて頂きます」と頭に手を当てながら言い、「どうせ、飲みに行きたいのでしょう。良いわよ。一人で行ってきて。その代わり、佐藤を見かけたら、屋敷に来るように言って下さらないかしら」と頼んだ。

 佐藤と言うのは秋香の秘書のことだ。

 群馬県利根郡湯野沢村と言うのが呪い谷の正式な地名だ。谷に赤い雪が舞うことから、地元の村人は気味悪がり、この辺り一帯を呪い谷と呼んだ。やがて、「呪い谷」では聞き覚えが悪かろうと、「野呂井」と言う漢字を当てた。それでも、不吉な発音には違いなく、市町村合併の際に、湯野沢村と名を変えた。

 新しい地名の通り、呪い谷には温泉が沸く。温泉郷らしく、村のあちこちから白い湯気が立ち上っている。人口は千人に満たない小さな村だが、秋の気配が濃厚になると、都内から、温泉を目当てに旅行客が訪れる。

 村には大小、合わせて三つの旅館があった。二つは家族経営の小さな旅館だが、「上杉湯」はやや規模が大きい。村一番の老舗の旅館で、上杉謙信が北条氏康を討伐するために起こした関東遠征の際に、湯治にやって来たという言い伝えがあった。

 秋香はこの寒村の出身だ。事業で成功し、故郷に錦を飾る意味から、村に豪華な洋館を建てた。

 上杉湯の門前に「小木乃屋」と言う、村でただ一軒の居酒屋がある。宿泊客目当ての店だったが、村人も通って来るし、誠一も秋香と共に何度か顔を出したことがあった。

 秋香の秘書、佐藤晴彦(さとうはるひこ)は上杉湯に宿泊していた。秋香は休暇中だったが、佐藤は仕事で呪い谷にやって来ていた。

 佐藤は四十代、秋香や誠一よりも年上だ。細身だが、腹回りにたっぷり肉がついている。顎が張っていて口が大きい。下に向かって広がる台形のような顔だ。七三に綺麗に髪を撫で付けているが、頭頂部が薄くなってきている。

 秋香が休暇を取って阿房宮に滞在する時は、何時も佐藤がついて来た。「大変だね。こんな辺鄙な場所まで、お供で連れて来られて――」と誠一が同情すると、「とんでもない」と佐藤は宿泊費が会社負担だと教えてくれた。「会社のお金で、のんびり温泉に入って、ちょこっと仕事をして、夜は居酒屋で一杯やって、もう、最高の仕事です」と笑った。

 今晩も小木乃屋で飲んでいるはずだ。

 秋香の許しが出た。佐藤への伝言を預かったことを口実に、誠一は阿房宮を出た。

 屋敷を出たのは、午後八時前だったという。ぎりぎり秋香の死亡推定時刻にかかっていない。阿房宮は高台にある。歩いて行けない距離ではないが、帰りは上り坂を延々と登ってこなければならなくなる。飲酒運転になることを覚悟で、車で出かけた。こんな辺鄙な村だ。飲酒運転の取り締まりが行われることなどない。

 小木乃屋に顔を出すと、果たして佐藤が一人で飲んでいた。誠一の顔を見て、話し相手ができたと喜んだが、秋香が呼んでいることを伝えると、「おっ! こんな時間にお呼びですか?何か緊急の仕事でもあったのかな?――でも、まあ、姫がお呼びとあっては、行くしかありませんな」とおどけてみせた。

 佐藤は陰で秋香のことを姫と呼んでいる。秋香は気が短い。思いつけば、直ぐに行動を起こす。夜討ち朝駆けは何時ものことだった。

 誠一は屋敷の鍵のついた車のキイを渡して、「ここで待っているから、用事が終わったら、飲みなおそうよ」と誘った。佐藤にとっては勝手知ったる他人の家だ。屋敷の間取りや寝室の場所は分かっている。佐藤は「良いですね~」と言いながら、店を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ