たこ焼きで焼きそばパンで『あかずの間』 その六
「殺すって……」
言葉を失う俺とは対照的に、むしろ先ほどより落ち着いた表情で浮雲は口を開く。
「何故そう思うのですか?」
問われたウラは、相変わらずニヘラとこちらの気の抜けるような顔で笑いながら言う。
「だってカナコさん、自分には『煙を操る能力』があるって言ってるのに、この部屋の煙のことはわざわざ『見せかけの煙』って言葉を使い分けているからさ。その気になれば、本当の煙でこの部屋をいっぱいにすることも出来たんじゃあないかな? 違う?」
「……やろうと思えばやれた、とだけ言っておきましょう」
何を考えているのか分かりづらい表情で、浮雲はポツリと言った。
「でもカナコさんは、やらなかった。だからまあ、そんなに悪いゴーストじゃあないと思ってね」
ヘラヘラと笑うウラだったが、今のやり取りに俺の背筋が冷たくなる。
「本当の煙って……んなことされてたら、俺ら窒息してたじゃねえか」
「そうだねー。そのままあの世行きだったねー」
おいおいおいおい。
「もしかして何の対策もせずに『あかずの間』に入るのって結構ヤバかったのか?」
「カナコさんが危険なゴーストだったら、ワタシたち二人とも、文字通り煙に巻かれていたかもね」
「入る前に言えよそういうことは!」
「言えよと言われても。ヤマツチはワタシが何も言ってないのに、勝手に付いてきちゃったんじゃないか」
「そうだけどさー!」
頭を抱えてのけぞる俺を、ウラはおかしそうに笑う。
「ハハッハー。いやワタシも中々の救世主だと自負しているけど、キミも相当の紳士だよね」
「お前それお人よしって意味で使ってないか?」
「どうだろう? ジャパンの言葉はニュアンスが難しいね」
「……分かりませんねぇ」
浮雲がため息とともに漏らした呟きに、ウラはすぐさま反応して振り返った。
「何が分からないんだい、カナコさん?」
「あなたはこの部屋の煙がわたくしの仕業……つまり、心霊現象だということを見破りました。さらにわたくしがその気になれば、生きている人間に危害を加えることが出来ることまで予想していた。ならばあなたにとって、わたくしをここから追い出せば済む話ではないですか? 何故そうしないのですか?」
「いやー。ワタシはそういうの専門外だからさ。あくまで視るだけ、見つけるだけで、ゴーストをどうこうする力はないんだよね」
「そういう力を持った専門家を連れてくればいいだけの話では?」
「いやいやいや。だって、それじゃあさ、このビルの住人やヤマツチやミスター・オッサンは救われるかもしれないよ? でもさ……」
赤い目を光らせながら、びしっと腕を伸ばして、目の前に立つ浮雲を指し示しながらウラは言う。
「カナコさんが救われないじゃあないか」
「……わたくしを救う?」
「そう! さっきから言っている通り! ワタシの名前はウラ・メシヤ。全てを見逃さず、見つけた相手は全部救う救世主! このビルの住人だけでなく、カナコさんのことだって救ってみせるとも!」
だがウラの言葉は、浮雲にはあまり響いていない様子だった。
「信用できませんね……あなたの意図が読めなくて、正直に申し上げますと不気味です。偽善者というわけではなさそうですが、かと言って他人を疑うことを知らないほど思慮が足りないというわけではない……それでいて自らを『救世主』などという大それた肩書と共に名乗るなんて、訳が分かりません」
浮雲がウラのほうを見る……例の見上げるような睨み方ではなく、まっすぐウラの赤い目を見つめ返す。
「あなたは一体なんのために救世主なんてやってるんです? 一体どのような理由で、あの世のモノもこの世のモノも全部ひっくるめて救うなどという大言壮語を吐かれていらっしゃるのでしょうか?」
「……」
そこは俺も気になっていたので、ウラの返答を待つ。
ウラは特に何の気負いもない、いつも通りの様子でまた口を開いた。
「だってさー、人間だろうがゴーストだろうが、誰か一人だけに負債を押し付けるような結末は後味が悪いだろ? 後味が悪いと、仕事の後で食べるゴハンが美味しくなくなるじゃあないか」
ヘラヘラとしたウラの態度か、それとも今の答え自体が気に入らなかったのか、浮雲は再び眉をひそめた。
「わたくしは真面目な話をしているのですが。何故あなたは救世主をやっているのか、その理由を聞いているのです」
「ワタシも至極マジメに答えてるんだけどね」
そう言ってウラは肩をすくめてみせた。
「救世主を仕事に選んだのは、この目の力を生かせる仕事をして、それで美味しいゴハンを食べるためだってば」
「別に心霊に関わらない仕事でも、食費程度なら稼げるでしょう」
「いやいや! それだとせっかくのこの目を使わないじゃあないか!」
ウラは赤く輝く自分の目を指し示した。
「この目は特別でね。ゴーストやフェアリーを視るためにワタシがこの目の力を使うとね、そりゃあもうとってもオナカがすいてくるんだよ!」
「確かにわたくしの煙を視通すほどの強力な霊視を出来るなら、その目の持ち主自身の消耗も激しいかもしれませんね」
「そうなんだよね。となれば美味しいゴハンのために、もう目を使うっきゃないよね」
「何故そこまで目の力にこだわるんですか?」
「だーかーらー。この目を使うとお腹がすくからだってば」
なんだか妙に噛み合わない会話を続ける自称・救世主と煙のオバケ。
何の専門家でもない俺はすっかり蚊帳の外で、それを聞いているだけだったのだが……
「この目のおかげで仕事の後は美味しいものを、目一杯食べられるんだよ! 目だけにね!」
ん?
「その目が凄いのは十分に分かりました。わたくしが聞いているのは、全てを救う救世主などと言っている理由で……」
今さっきのウラの言い方だと、まるで……
「……まさか」
「何がまさかなんです?」
俺の口から洩れた呟きを敏感に聞きつけ、こちらに視線を向ける浮雲。
「ああ、いや……俺もコイツとは今朝会ったばかりで、そんな詳しくはないんだが……アンタらの会話を聞いてるうちに、ちょっと思いついて……」
まさかとは思う。まさかそんなバカな理由ではないとは思いたい。
だがここまでのこいつ、ウラ・メシヤの行動や言動を見ていると、確認せずにはいられない。
「なあ、アンタ……自称・救世主のウラ・メシヤ」
「なんだい、自称・探偵のハジメ・ヤマツチ?」
「まさかとは思うんだけど、アンタがその特別な目を使って、救世主なんて仕事をしているのは……『おなかをすかせるため』か?」
俺の問いに、金髪の救世主はあっけらかんと頷いた。
「さっきからそう言ってるじゃあないか。ワタシが救世主をしているのは、ゴハンを美味しく食べるためだよ」
あああ、やっぱりかよ!
俺が思わず頭を抱えてしゃがみ込むと、いまだに理解が追い付いていない浮雲が訝しげに口を開く。
「どういうことですか? 説明してください」
「アンタは知らないだろうが……朝にコイツをメシに連れ出したとき、朝食としては随分と多い量のたこ焼きを食べて、その上焼きそばパンまで食べてたんだよ。その時は体型の割によく食うなって思っただけだったが……目の力を使うとおなかがすくって言葉を聞いて繋がったよ」
「ほほう。繋がったって何がだい?」
「つまりだなぁ……」
赤い瞳を輝かせて無邪気に聞いてくるウラに軽い頭痛を覚えながら、俺は結論を口にする。
「つまりコイツは! 特別な目で、視えないものを視る能力を使って、大量のエネルギーを消耗して、わざと必要以上に腹をすかせてるんだよ! そのあとで美味いもんを目一杯食べるために!」
「は?」
目を点にする浮雲とは対照的に、何をいまさらと言った顔つきのウラ・メシヤ。
「なんだ。もったいぶって何を言うかと思いきや。ワタシはさっきからそう言ってるじゃあないか」
確かに今の結論は、ウラの言い分をまとめただけではあるのだが……
「お前が当たり前のように話しても、聞いてるほうはすぐ理解できないんだって! 『オバケが視える』目を使う理由が、その代償であるエネルギー消耗……『腹をすかせる』ってことを目的にしているなんて!」
手段と目的が入れ替わっているどころの話ではない。
コイツの場合、そもそもの目的としていたのが、『手段そのもの』だったのだ。
「大体なんでそこまでして腹をすかせたいんだよ……」
頭を抱える俺に、ウラは至極真面目な表情で言う。
「いやだってほら。美味しい食べ物って多すぎるじゃあないか。特にこのジャパンには」
「そこは別に否定しないけどよ」
「何を隠そう、もともとワタシは小食でねえ……ちょっと食べただけで、すぐにおなかいっぱいになっちゃうんだよ」
白く長い指でへこんだおなかを撫で回しながら、一部の人たちを敵に回すようなことを言うウラ。
「本当はもっと色んな美味しいものをより多く、より沢山、よりいっぱい食べたい! そんなときに気づいたのさ。ワタシのこのゴーストやフェアリーを視ることが出来る特別な目……この目の力を使えば使うほど、みるみるおなかがすいていくということにね!」
びしっと指を目元に当てるポーズを取りながら、高らかに言うウラ・メシヤ。
「そこでワタシはこの目を使って救世主の仕事を始めたんだ! そのおかげで思う存分、美味しいものが食べられるようになったというわけさ!」
「『ミッドナイト・オクトパス』で朝飯食ってたときから気づいてはいたけど……食べることが好きすぎるだろ、アンタ」
「ハハッハー。何を当たり前のことを言っているんだいヤマツチ。美味しいものを食べてこその人生だよ!」
呆れる俺の言葉にも、ウラは平気の平左な様子で笑った。
「……まさか朝、俺の部屋の前に倒れていたのも、本当は目の能力を使ったせいで腹が減りすぎて倒れていたってことか?」
俺の指摘に、ウラはふるふると首を振った。
「いいや。それは空港ついてから何も食べずにここに来たら、普通におなかがすきすぎて限界になっただけで、目のことは関係ないよ」
「なんなんだよお前は!」
伏線じゃなかったのかよ!
一方で浮雲は、自分自身がオバケであるにも関わらず、まるで化け物を見るような目をウラへ向けていた。
「ではなんですか? その目で、この世の者もあの世の者も全てを救うなんていう大それたことを言っていた理由は……」
「うん。美味しいゴハンのためだよ」
一点の曇りもない、澄んだ赤い目できっぱりとウラは言う。
「いくら目の力でおなかをすかせても、そこで見た全員をちゃんと救わないと、『後味が良くない』……後で食べるゴハンが美味しくなくなる。だからこそ、ワタシは全てを救う救世主をやっているんだよ」
「そんな救世主がいるかぁっ!」
思わず大声で叫んだ、その直後……
足から力が抜けて、俺はその場にガクッと膝をついた。
「あれ? なんか急に力が抜けて……」
というかこれって……もしかして腹が減って来た?
「あ、やべ」
そんな呟きが聞こえて膝をついたままウラのほうに目をやると、彼女は彼女で少し青ざめた表情をして壁にもたれかかっていた。
「おい。何がヤバいんだよ」
「いやー。ハハッハー。そろそろ限界かもしれないなー、って」
部屋の壁に背を預けながら、ウラは続けた。
「限界って……」
「ちょっと目を使いすぎたね。もうそろそろおなかがすいて動けなくなりそう。多分、ワタシの目の力をうつしてたヤマツチのほうも」
「あああ! そう言われたら、なんだか死ぬほど腹が減ってきている気がするんだけど! 朝飯はちゃんと食ったのに!」
「ハハッハー。たかだかパンの一つでワタシの目の力に耐えられるわけないだろう。キミの何倍も食べたワタシでもおなか減ってきているのに」
「うるせーよ!」
突如、そしてアホすぎる理由でやって来た大ピンチに俺はちょっとしたパニックになっていた。
いやでもマジでやばいよこれ。
どんどん体から力が抜けていく。
このまま何も食べなければ、本当にこんなところで……
「アホなんですか貴方たち?」
限界の近い俺とウラに、死ぬほど呆れた口調で浮雲が言った。
「……仕方ないですね。二人ともまだ動けますか? この場で餓死されて、この部屋に幽霊が二人増えるのも困りますし、わたくしに付いてきてください」
「付いてって……外へ出るのか?」
「出るのはベランダです。死にたくなければ、文字通り死ぬ気で這って付いてきてくださいね」
「んんん! ジューシー! そして甘い! これがジャパニーズ甘露というやつかな!」
「はぁ……確かに生き返ったぜ」
浮雲から渡された瑞々しい『トマト』を齧ると、ようやくあの強烈な空腹感が去っていった。
「命拾いしましたね。赤茄子……トマトが丁度収穫時期で」
「しかし屋上にこんな野菜畑があるとはな……アンタが煙で隠したかったものはこれかい?」
「なんのことでしょう?」
「ハハッハー! 本当に素晴らしいね!」
両手に持ったトマトを交互にもしゃもしゃと齧り、赤い汁で口をベトベトにしながら、ウラは感激した様子で言った。
「まさか『あかずの間』からベランダに出て梯子を昇ったら、こんな素敵な場所に出られるなんてね! ワタシの故郷でも屋上庭園のある建物はよく見かけたが……まさかレンガ造りのビルの屋上に、『野菜畑』まで作ってしまうとは、ジャパンの建築はアメイジングだね!」
ウラの言う通り。
今、俺達の目の前には、青い空と、緑の葉っぱが生い茂る野菜畑が広がっていた。
「ほう! ピーマンにレタスに……ハハッハー! ゴーヤまで育てているじゃあないか。まだ収穫には早そうだが、立派なものだ」
あちこちの野菜を覗き込み、ウラはしきりに感心している。
空を見るのを邪魔するものはない。この辺りにここ以上の高さの建物はほとんどなく、精々銭湯の煙突が見えるぐらい。
日当たり良好という点において、野菜を育てるにはもってこいの環境だろう。
「まさか俺も、自分の住んでるビルの屋上がこんなことになっているなんて知らなかったが……」
いや、もしかして、俺以外の他の住人も誰もここに畑があることを知らないのではないだろうか?
「そういえば、アカナスビルヂングの前に建っていたっつー屋敷には、広い庭に立派な家庭菜園があったっていう話だったが……」
野菜へ優し気な視線を向けるオバケのメイドさんに、俺は口元のトマトの汁をぬぐいつつ話しかける。
「なあ浮雲。もしかして、アンタが四階のあの部屋を『あかずの間』にしてたのは、本当は部屋じゃなくって、『ここ』に他の人間を通したくなかったから、ってことか?」
「さあ、どうでしょう」
こちらを振り返った浮雲の目は、野菜を見るときとは打って変わり、相変わらずの冷たいジト目に戻っていた。
「そういうことは、思いついても黙っていたほうがいいかと」
「……そうかもな」
「思いついても黙っていたほうがモテるかと」
「何で言い直したの?」
俺と浮雲がそんな会話をしていると、屋上菜園を一折見て回っていたウラも戻って来た。
「ハハッハー! 本当に美味しいね、このトマト!」
ニコニコ笑顔でトマトにドバドバとマヨネーズをかけてモシャモシャと食べているウラ。
……マヨネーズ?
「お前マヨネーズなんてどこに持ってたんだよ?」
「ん? 朝にマヨ姐さんに貰ったヤツをポケットに入れていただけだけど?」
ウラがスーツの前を開けると、裏地に付いたデカいポケットにマヨネーズの容器が収まっていた。ピストルみたいに入れるな。
「せっかくの新鮮な採れたてピチピチのトマトに……あんなに大量のマヨネーズを……」
「う、浮雲?」
恐る恐る振り向いてみると、浮雲が下を向き、拳を握りしめ、肩をぷるぷると震わせていた。
そんな怒れる霊に気づかず、トマトの赤とマヨネーズの白でベタベタになった口元の自称・救世主は、ご満悦な様子で笑う。
「うん! めちゃくちゃマヨネーズが合って、最高に美味しいよこのトマト!」
ブチィと何かがブチ切れる音が聞こえたような気がした。
「そんなに油まみれのもんが食いてえならマヨネーズをそのまま吸ってろ!」
それまでの丁寧口調をかなぐり捨てた浮雲の激昂に、流石のウラも慌てた様子で飛び退る。
「どうしたのカナコさん! マヨに合う美味しい野菜だって褒めてるんだけど!」
「やかましい! お前に食わせる野菜はここにはもうねえ!」
「ひょえー!」
「待てー!」
立派な屋上菜園の野菜の隙間を縫うように、なぜか追いかけっこを始める幽霊メイドと自称・救世主。
「もう勝手にやっててくれ……」
そんな昔のアニメみたいな二人を横目に、俺は大の字になって寝転んで、視界いっぱいの青空を見上げるのだった。