たこ焼きで焼きそばパンで『あかずの間』 その一
ドサッ!
……という何かが落ちてきたような音を耳にしたような気がして、俺は目覚めた。
体を起こして、部屋の中を見回すものの、クッションや小物の配置は記憶のままであり、特に何かが落下したわけではないようだ。
「……」
まさかとは思うけど、このビルから誰か飛び降りたのでは……
念のためカーテンを開け、窓から外の様子を見下ろしてみる。
幸い路上には特に異常はなかった。まだ朝も早いため人通りもないし、見える範囲に並ぶ商店街の店も全て閉まっている。
あるいは……ついに上の階から『アレ』がこの部屋にまで漏れてきた? その拍子に壁の中かどこかで何らかの部品が外れてさっきみたいな音が鳴ったのでは?
壁や床や天井を観察してみたが、特に問題はないようだ。
空耳だったか、と寝直そうとした次の瞬間……
くきゅ~。
今度はハッキリと可愛らしい鳴き声が聞こえた。
……俺の腹から。
「いや鳴き声可愛すぎるだろ俺の腹の虫」
ベッド代わりにしているアウトレット品のソファーから起き上がった俺は、ダイニングへ向かった。
何か食べ物が残っていたかと思い出す前に、テーブルの上に置きっぱなしにしていたビニール袋が目に留まった。
袋には、テラテラと光る太くて丸っこい狐の尻尾みたいなパンが三つか四つ入っている。コッペパンだ。
「そっか。これがあったな」
俺の住んでいるこのビルの一階はパン屋になっていて、昨日そこで分けてもらったものだ。
そこのパン屋では、コッペパンそのものを売り物にしているのではなく、タマゴサンドやチキンサンドなどのサンドイッチ用のパンとして使っている。
昨日はパンを焼きすぎて挟む具材が足りなくなったらしく、余りをタダで分けてもらえたのだ。
これらをもしゃもしゃと胃袋に押し込めば腹の虫は収まるだろうが……コッペパンだけでは味気がなさすぎる。
ジャムとか、マーガリンとか……何かパンにつけるものはあったっけか。
「どれどれ」
冷蔵庫を開けてみたが、中には青海苔しか残っていない。パンにつけるもの以前の問題だった。
調味料もほとんど切れてるじゃねえか……そういや最近はほとんど自炊をしてなかったな。
「……ふむ」
しかし、青海苔を見て心当たりを思いついた俺は、スマホの時計を確認した。
朝早いけど、『あそこ』ならまだ営業しているはずだから……
「よっし。散歩がてら行ってみるか」
思い立ったらすぐ実行。
青海苔の小瓶をポケットに突っ込み、帽子掛けから取ったお気に入りの黒いハットを被る。安物のスニーカーを引っかけ、一応コッペパンの袋もぶら下げて、外開きになっている部屋の扉を勢いよく開けると……
ガツン!
勢いよく開け放ったドアは、『部屋の前にあった何か』をもろに直撃した。
「うおっ!」
まったく予想していなかった事態に、驚いて飛び跳ねた俺は、スニーカーを履いたまま部屋の中まで飛び退ってしまった。ノブから手を離したことで扉は自重で閉まっていく。
閉まり切る前に隙間から覗いていたのは……どう見ても、突っ伏した人間の体だった。
今しがた俺が思い切りドアをぶつけた『部屋の前にあった何か』は、どうやら『部屋の前の廊下で倒れていた誰かの頭』らしい。
「……誰だよ今の?」
俺の住居、兼、仕事場であるこの部屋は、建物は年代物の四階建てのビルの三階にある。どれくらい年代物かと言うと、レンガ造りでエスカレーターどころかエレベーターもない。
通りすがりの人間が用もないのにわざわざ上がってくることは、滅多にない。
顔見知りであるビルの住人が急に体調を崩し、助けを求めて俺の部屋の目の前に来たところで力尽きて倒れた可能性は絶対にあり得ないとは言えないが……
俺の目に間違いがなければ、倒れていた自分の頭に生えていたのは見事な金髪だった。
「このビルに金髪の奴はいねえよな……じゃあ今のは誰なんだって話だよ」
厄介ごとの匂いを感じながら、俺は恐る恐る、今度はゆっくりと部屋のドアを押し開けた。
ドアの前にある『何か』……というか『誰か』の体はそれほど重くないらしく、俺一人の力でもなんとか押し開けられそうだ。
倒れた『誰か』のことをドアで押して無理やり動かすことになってしまうが、そうしないと部屋から出て、そいつの様子を確認することすら出来ないので、勘弁してほしい。
「よいしょ、っと……」
自分の体が通れるくらいの隙間が確保できたところで、倒れた『誰か』を踏まないように気をつけつつ、俺はなんとか部屋の外へと出る。
そこで俺はようやく、倒れた『誰か』の全貌を確認することが出来た。
さらさらの金髪。
真っ白い肌。
倒れていたのは、どうやら外国人のようだ。
目を閉じて倒れているので分かりづらいが、年齢は恐らく二十代前半くらい……いや、十代後半の可能性もあるか?
これで服装がTシャツにジーパンだったり、学校の制服だったりしたら、十代前半でもおかしくないと思えたかもしれない。
だが着ているのは妙にキッチリした黒のパンツスーツ。まるでこれから就職の面接にでも行くみたいな服装で、あまり観光客という感じでもない。
中性的で、すらっとした華奢な体つき。絹糸のような金髪はスーツの肩にかからない程度に切り揃えられている。
目を瞑っていても整っていると分かる顔立ちで、ボーイッシュな女性のようにも、線の細い男性のようにも見える。
息はしているようだが一体いつから倒れてたんだ?
「あ。もしかしてさっきの音は……」
そもそも俺が今朝、妙に早く目覚めたのは何かが落ちたような音を耳にしたせいだったが……ここでこいつが倒れた音だったのだったのではなかろうか?
だとすれば、倒れてからさほど時間は経っていないはずだが……
「ん、ん、ん……んー」
さっきドアで押されて動かされたせいか、その外国人は意識を取り戻したらしい。いまだ寝転んだままだが、声を漏らして、ゆっくりと目を開けたのだが……
開かれた両目の中央にあったのは、まるで血のように赤い瞳だった。
「うおっ!」
俺は思わず、驚いて声を上げて跳び退ってしまう。
俺の声に反応したのか、金髪はしぱしぱと二、三度瞬きを繰り返し、ゆっくりと顔を上げたのだが……
「あん?」
こちらに再び向けられた双眸は、深い青色の瞳だった。
さっきは確かに真っ赤だった気がするんだが……光の加減かなにかでそう見えただけだったのか?
「あー、目ぇ覚めたか? 大丈夫か、意識はハッキリしているか? なんでこんなところで倒れている?」
と話しかけてから気が付いたけど、そもそも言葉が通じるのか?
外国人らしいということは分かっても、具体的な国籍までさっぱり分からない。スマホの翻訳アプリとかでコミュニケーション取れるか?
「は、ハロー? ドゥーユースピーク、ジャパニーズ?」
中学の頃の英語知識を総動員して、とりあえずコミュニケーションを図ってみたのだが……
「ふむふむ。アイシー、ナルホドね」
俺の心配をよそに、金髪の外国人は周りを一瞥すると、その外国人はしっかりとした発音と活舌でそう言った。
「どうも『アカナスビルヂング』を上っている途中で、倒れてしまっていたのか。ワタシは」
……ってか、めっちゃ可愛い声しているなぁ、コイツ。
やっぱ女なんだろうか? ソプラノボイスを気にしている青年だったら確認しづらいな……
「アンタ、言葉は通じるみたいだな。気が付いて早々に悪いがどこの誰だ?」
「うむ。キミは……そうか、『アカナスビルヂング』の住人か。どうやら驚かせてしまったようだな。すまないね」
いまだに仰向けに倒れたままでこちらを見上げる彼女?に、俺は今しがた出てきた扉に貼りつけてある安っぽい看板を親指で示してみせた。
「ああ。俺はここの三階……『山土探偵事務所』のもんだよ。山土一っていうだが……で、どうした? 何があったか説明できるか?」
「ふむ……アイ・シー、つまりナルホドネ。茹でる前のパスタみたいに細くて背が高い、ぼさぼさの髪に似合わない中折れ帽子……この『アカナスビルヂング』三階の住人、ハジメ・ヤマツチとはキミのことか」
……こいつ俺のことを知っているのか?
「もっかい聞くぞ。アンタ何者だ?」
「ふっふっふ……トウッ!」
俺の言葉に金髪は不敵な笑みを浮かべると、突然しゃきっと立ち上がった!
「うおっ!?」
そして顔の前、目元のあたりを指で押さえるという妙に芝居がかった仕草のポーズを取ると、朗々とした声で名乗りを上げる。
「ハハッハー! ワタシの名前は、ウラ! ウラ・メシヤ!」
「……ウラメシヤ?」
本名かそれ。
ジト目で見つめる俺をよそに、さらに言葉を続ける金髪外国人……ウラ・メシヤ。
「その通り! 海の向こうからやって来た、全てを救う救世主、ウラ・メシヤとはワタシのことだ!」
「きゅうせいしゅぅ~?」
名前も十分に怪しかったが、それに続いた肩書の胡散臭さで、不信感がメダルゲームのジャックポットのように溢れかえった。
これ関わりになったらヤバイタイプじゃないか?
「悪いんだけど宗教的な用件なら、よそに行ってもらえませんか?」
「ハハッハー! いやいやワタシは宗教家でもなければ、別に勧誘に来たわけでもない!」
あまり刺激しないようにやんわりと言うと、クセの強い笑い方が返って来た。
「ワタシは仕事で救世主をやっていてね! 顧客の信仰に関わらず、有償で人々を救っているのだよ!」
「有償で、救世主やってる?」
なんだそのあり得ないワードの組み合わせは。
「具体的に言うとだね、インターネットで困っている人からの依頼を受け付けて、ワタシ自身の『目』で見て確認してみる。そこで『救うことが出来る』と判断できた案件に、こうして足を運んで救いに来ているというわけだね」
「救世主ってそんな能動的で自発的な職業だったっけ」
胡散臭いことこの上ないが、つまりはコイツは俺の同業者、探偵……というか何でも屋みたいなものだろうか?
『困っている依頼人を助ける仕事』である以上、本人がそれを『救世主』と自称するのはギリギリ『表現の自由』と言えなくもない気がする。
大言壮語というか、自己評価が高すぎるが、依頼が来ている以上恐らくどこかに需要があるのだろう。
「ハハッハー! どうやら今回は仕事現場に辿り着く前に力尽きてしまっていたようだがね!」
言いながら、びしっと天井を指さす自称・救世主。
もしかしてコイツの言っている『仕事現場』は、このビルの四階か?
ならコイツに仕事を頼んだのって、もしかして……
「いやー迷惑をかけてしまってすまないすまない、つまりソーリー……あ、ちょっとまた限界きた」
そこでウラは急にバッテリーが切れたかのように、再びその場にへたり込んだ。
「おいちょっとアンタ。マジで大丈夫か? 救急車とか呼んだほうが……」
ぐぉごるるうううううぅぅぅぅぅ!
怪獣の鳴き声のようにクソデカい音が、レンガ造りのビルの廊下に響き渡った。
「……」「……」
見下ろす俺と見上げるウラはしばらく沈黙して見つめ合った。
「ふっ」
ウラは不敵にほほ笑むと、右手を顔の前にやると、三本の指(親指、人差し指、中指)をピンと立ててから目の辺りに押し当てるというどこかで見たようなポーズを、地べたに座り込んだままで決めながら、高らかに叫んだ。
「何を隠そう! ワタシは空腹の限界で、ここに倒れていたのだよ!」
「週刊ナニンプの読み切り漫画の主人公だ。お前は」
「ハハッハー。ド深夜に空港に着いたあと高速バスに乗ってやって来たものの、その間ずっと何も食べていなかったもので……もうしばらく動けるかと思って下見に来たのだが、どうやら限界が来てしまったらしい」
ぐぅぅぅぅぅぅぅ。
ウラの口から出た言葉を肯定するかのように、ウラの腹の音が相槌を打つようなタイミングで鳴った。
「はぁ、ったく、しょうがねえな……」
俺はしゃがみ込むと、ずっと手に持ったままだったコッペパンの入った袋をエルに向かって差し出した。
「ほれ。こんなんで良かったら食えよ」
「おお、ありが……む……」
すぐに受け取ろうと手を伸ばしかけ、なぜかその手を途中で止めると、ウラは口をつぐんだ。
「どうした?」
「ワタシの不勉強でこういうジャパンのお菓子とかだったら申し訳ないのだが……もしかして、これはパンかな?」
「ああ。見りゃ分かるだろ。普通のコッペパンだよ」
「コッペパン……なにか味とか付いてる? ジャムとかチーズとかが中に入ってたりする?」
「いや。ただのコッペパンだからな。特に味はついてねえよ」
「では焼き立てだったりする? 『まずはそのままでお召し上がりください』という売り文句の、この辺で有名なパンだったりする?」
「いいや。昨日のパンだ。知り合いの店で余ってたのを分けてもらったやつだよ」
すべてを理解したような表情で、ウラは微笑んだ。
「なるほどね……じゃあ何か別の、もっと美味しいものが食べたいな!」
コイツ……
「腹減ってぶっ倒れてたんだろう? 贅沢言える立場か?」
「では聞きますけどね!」
キッとした表情、真剣な口調で自称・救世主は訴えかける。
「キミは具が入っていない、シオもショーユもかかっていない、冷めた白ご飯を出されたとして、なんのオカズもなしにそれだけをモクモク食べることが出来るのかい?」
「そりゃあ……」
そう言われてみると、確かに少しキツイものがあるかもしれない。
「焼き魚や唐揚げとは言わないまでも、せめて、味噌汁かふりかけか納豆か漬物か、何かご飯のお供が欲しいとは思わないのかい?」
「さっきから例えがめちゃめちゃ和風だな……好きなのか和食?」
「そりゃあ好きだとも! 何しろワタシが今回ジャパンでの仕事を引き受け、海の向こうから遥々やって来たのは、この国の美味しいゴハンを食べるため! なのだからね!」
断言しやがったよ。
「その記念すべき初の食事なんだよ? それを何にするか、楽しみで楽しみで、あえてここまでコンビニエンスストアとかには寄らず、何も食べずに来たんだよ? ここで特に何も味がついてない、売れ残りのパンを食べちゃったら、空港の売店で何か食べて来たほうがマシだったじゃないか……!」
じゃあ空腹で倒れたのは自業自得じゃねえかよ。
「頼む……せめて何か、何か味のついたものを……」
「お前なぁ……」
「何か味の濃いものを……」
「ちょっとだけリクエストをランクアップさせるな」
「アイスな食べ物も好きだけど、廊下で倒れていたせいかちょっと体が冷えちゃったから、出来れば今はホットな食べ物で……そしてジャパン以外だとなかなか食べられない味付けがいいな。濃いめのショーユ味とかソース味とかのゴハンが食べられるところ、近くにありませんか?」
「ちょっとじゃないならランクアップさせていいって意味じゃねえよ!」
実はだいぶ余裕があるんじゃないかコイツ?
「悪いけどな、ここには今、このコッペパンくらいしか食べ物は残ってねえよ。俺だって今から朝飯を食いに出かけようとしていたところなんだから」
「アサメシ……ブレックファーストか!」
アサメシと聞いた途端、さっきまでの不満な表情はどこへやら、エルは端正な顔をゆるゆるに緩ませた。
「なんだ丁度いいじゃないか! その食事に是非ワタシも同伴させてもらおう!」
「こっから歩くぞ? 今さっき空腹で倒れていたのに行けるのか?」
「おそらく頑張れば、大丈夫だと思う! 多分! それよりも、そのブレックファーストは美味しいのかな?」
「美味いのは美味いけどよ……どっちかっていうとジャンク寄りっていうか」
「朝からジャンクフード、だと……!?」
「だから空きっ腹に入れる食い物としては、あまりおススメ出来な……」
「くぅぅ! 最高ではないかね!」
今にもよだれを垂らしそうな表情でウラはサムズアップした。
いや本当なんなんだよ、この変な外国人。
「それでこそジャパンに来た甲斐、ここまで食事を我慢していた甲斐があるというものだよ!」
赤いレンガ造りの壁に手をつき、よろよろと立ち上がったウラは、青い目を爛々と輝かせて、ふらふらな状態とは裏腹な力強い声で叫ぶ。
「さあヤマツチ! ジャンクな朝食へ向かってくれ! ワタシは最後の力を振り絞ってキミに付いていく!」
「はぁ……」
なんか変なの拾っちまったな……いや俺の部屋の前にぶっ倒れていた以上、関わらない訳にはいかなかったとはいえ……
「仕方ねえな。そいじゃ、付いてこい」
「うむ! ……あ、ごめん。やっぱちょっとしんどいから手を貸してくれないかなヤマツチ。もしくはステッキとかあったら貸してくれない?」
「マジでなんなんだよ、お前……」