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エッセイ

戦争について

考えてみました


今、映画

「硫黄島からの手紙」を

見て

戦争について

考えてみました。


人と人が殺し合うこと。


戦争をして

いったい誰が

得をするのか?


人間は

人に支配されています。


文明が発達するほど

効率よく

富が誰かに

集中するように

なりました。


私は思うのです。


戦争をして

得をするのは

富を効率よく

集められる人だけだと。


日本も戦争をしました。


200万人の人が

亡くなったと

聞いています。


アメリカを相手に

戦争をするなんて

馬鹿げたことをしたと

言われています。


日本が戦争をするように

アメリカから

仕向けられたと

言う人もいます。


どっちが正しいのか

私には分かりません。


私は

こう考えるように

しています。


あの時に

日本が激しく

抵抗したからこそ

アメリカの日本人に対する

考えが変わって

日本人もなかなかやるなあ

と占領のやり方に

影響したのだと。


今の自分の暮らしが

豊なのは

60数年前に

戦争を戦った人達

そしてあの時を

生きた人達の

お陰だと感謝しています。


ネクタイについて

考えてみました。


何の機能性も無い布製の紐

それがネクタイ

私は

会社に繋がれていますよ

と言う

意思表示をする

サラリーマンの首輪。


2007年

フィギュアスケート

世界選手権女子を振り返る


最終滑走の中野選手が

滑り終わった時は

これで優勝だな

と思った。


キス・アンド・クライで

点数の集計を待っている

中野選手は

自信に溢れた

表情をしていた。


会場にいる観客の誰もが

高得点を

確信していただろう。


完璧に

トリプルアクセルを跳んで

その他のシークェンスも

レベルの高いものだった。


最後のドーナツスピンは

世界中の

フィギュアスケート

ファンを

魅了しただろう。


今回の大会で

初めて会場全体が

スタンディング

オベーションで

惜しみない拍手を贈った。


ショートプログラムでの

中野選手と浅田選手の

点差は

5点くらいだったと思う。


浅田選手の

シーズンベストからいうと

今回の総合得点は

175くらいではないか?


中野選手の総合得点は

プラス10点を

付けてもいいと思う。


私の中では

今回の世界選手権女子の

優勝は中野選手である。


私だけではなく

世界中の

フィギュアスケート

ファンが

同じ思いだろう。


試合後の中野選手の

インタビューは

さっぱりとした

印象だった。


彼女は全てを理解して

全てを

受け入れているように

見える。


立派な選手であり

尊敬できる人物である。


浅田選手の方は

優勝の知らせを受けて

えっ 何で私なの?

という表情をしていた。


世界ランキング1位の

選手であるから

自分の出来栄えが

どうであったかは

自分自身が

一番

分かっているのだろう。


浅田選手は

中野選手の演技を

見ていなかったのだ

と思う。


もし

中野選手の演技を

見ていたら

自分の優勝に

更なる疑問を

抱いたことだろう。


フィギュアスケートの

採点は

審判が選手の演技を見て

決めます。


浅田選手の

ネームバリューが

今回の得点を

引き出したのでしょう。


中野選手は

トリノオリンピックの

代表に

選ばれませんでした。


当時の

安藤選手の

コンディションの悪さを

考えれば

中野選手が出場した方が

良い成績を

残せたでしょう。


確かに

シーズン中の

ポイントを積算すれば

安藤選手が上でしたが

私は

何か釈然としない

気持ちでした。


それにしても安藤選手は

ドラマチックですね。


彼女の気持ちの中には

脆さと強さが混在して

怪我が多いことも併せて

いつも

危うさをまとっていて

それが彼女の求心力に

なっていると思います。


フィギュアスケートを

見ていると

いつも

何か裏に大人の事情が

隠れているように

感じます。


そんな影の部分や選手や

コーチのキャラクタを

垣間見せるところが

フジテレビは

上手いと思います。


マスコミの報道と言論統制


1987年

大型間接税導入に反対する

集会とデモ行進が

行なわれた。


日比谷公園に

16万人が集まった。


その中に

二十歳の自分が居た。


日比谷公園の隣は

NHK だ。


屋上のカメラが

我々に向けられて

集会を撮影する。


家に帰ってニュースを

見るのが楽しみだ。


私はがっかりした。


NHKだけではなく

他の民放局でも

1秒たりとも

報道されなかったからだ。


私はその時に痛感した。


マスコミは

世の中で起きている

ことから

報道することと

報道しないことがある。


大型間接税導入に反対する

人達が大勢いることが

世の中に知られることは

当時の政府にしてみれば

非常にまずいのだ。

スマイルマーク


青空がにっこり笑ってる

と思ったら

パラグライダーが

2機並んでた。

ゴキブリの生命力について


中学生の時に実家の部屋にゴキブリが出て来た。そのゴキブリの目の前にコーラの瓶を差し出したら自分から瓶の中に入った。瓶を立てて部屋に放置したまま2週間が経ったころから異変が起きた。ゴキブリを観察すると足が1本消えていたのだ。そのまま数日間、放置を続けたら、さらに足の本数が減っていき、残りの足が3・4本になったところで、ゴキブリの姿を見て私は怖くなって、そのゴキブリを解放した。それ程までしても生きていたいのか?その生命力に恐怖した私が、そのゴキブリを殺すことなど出来る筈がないと思って解放したのだ。中学生の精神力よりもゴキブリの生きる力が勝った瞬間だった。


最近、マンションの窓から夜中に紙飛行機を飛ばすのが止められない。さっきも小さなやつを1機飛ばしてみた。窓から顔を出して飛ばすと近所の人に見つかるのでベッドに座って窓に向けて飛ばした。直ぐに窓の外を覗いたが飛行機を見失った。落下したのではない。だって窓から投げる前に部屋の中で何度も試験飛行して良く飛ぶことを確認したから。飛行機はマンションの上昇気流に乗って何処か遠くへ飛んで行ったのだろう。自分のマンションは繁華街の中だから夜空に飛ぶ紙飛行機を誰か見つけて不思議に思ってくれただろうか?この街の何処かに未だ空を見上げる気持ちの余裕のある人が居たらいいなあ。その人のために飛行機を飛ばそう。


中国の宇宙飛行士が犬肉を食べているということを公表したら動物愛護団体から非難されたというニュースを見た。私は、無類の動物好きである。犬は、あんなに可愛いのだから食しても旨いのではないかと想像してみた。というか旨いように調理するのだろう。私は、犬も猫も馬も牛も山羊も鯨も可愛いと思う。どうして犬肉をたべてはいけないのだろう?自分は、食べたいと思わないけど、世の中には、犬を食べたいと思う人というか民族もいるだろう。アフリカでは、猫を食べるらしいから、野良猫がいないそうだ。本当かね?野良猫は、いるだろう?

毎年この時期になると、新入社員の女の子達が研修で、この界隈に集まって来る。男の子も居るだろうが、私の目に留まらない。女の子達は、皆まだ就活仕様で黒髪、ポニーテールだ。萌えー。そこで一句「眼鏡っ娘、世に、はばかる可愛らしさ」

何でも論理的に物事が運ぶと思ってる奴がいる。そうであれば、全てプログラムに判断させればいい。それが出来ないから人間が判断するのだ。何でも論理的に物事が運ぶと思ってる奴は、体中に電極を繋いでコンピュータに接続してあげればいい。そうすれば喜ぶ。

子供の頃は、よくUFOを見た。この話しは、私が初めてUFOを見た時の体験談だ。塾の帰りに公園のぶらんこを漕いでいると空の果てに小さなオレンジ色の明かりが移動しているのを見つけた。その時はUFOなど信じていなかった私が目を閉じて心の中でUFOが、こっちに飛んで来ることを祈ったことがあった。目を開けたら空の果ての小さな明かりが一瞬にして私の頭上に移動した。1分くらい静止して、その後、ゆっくりと去って行った。それからは、晴れた日に空を探すと必ずと言っていいほど何回もUFOを見た。肉眼で見つけて、それを確かめる為にオペラグラスで覗いたこともあったが、確かにUFOだった。大人になった今ではUFOどころか空を見上げることも無くなった。では何故、大人になるとUFOを見なくなるのか?

素人の書いた小説なんて、どれを読んでも面白くない。たまに面白いのもある。本当に、たまに。自分の書いたのも、その中の一つだと思うと鬱になる。


今朝、電車の向かいの座席のおじさんが膝に日経新聞を載せていた。四つ折に畳んだ新聞の中央の見出しに「富士通 クラウド要員 5000人追加」という文字列を私が真剣に見ていると、新聞の持ち主のおじさんが急に新聞を手で隠した。コンビニで昼飯の買い物をしていると、レジで自分の前のおじさんが揚げ物を2点、追加した。その後、タバコを追加した。それから栄養ドリンクを売り場から持って来させた。私は、5分くらい待たされた。会社へ向かって歩いていると今年の新入社員達が歩道に広がってチンタラ歩いていた。私が抜かそうとすると、端を歩く新入社員が振り返って、こちらをみてから私に抜かされまいとブロックしてきた。その一瞬で私の脳みそが熱くなり沸点に達した。新入社員に文句を言うことは無かったが、怒って、いいよね?なんで、どいつもこいつも自分本意なんだ。


人間ドック



朝11時


只今、人間ドックの

待合室で待機中。


夕べ6時頃に食べたきり

何も飲み食いしていない。


ああ、腹減った。


早くバリウムが飲みたい。


これだけ腹が

減ってるんだから

今日こそバリウムだって

絶対に美味い筈だ。


13時


いよいよ胃のレントゲン


バリウムを飲んだ。


うーーん、まずい。


バリウムの味は

苺ヨーグルトに

チョークの粉を混ぜた味。

テレビ観てると被災者に頑張れ、頑張れって言ってるけど本当に頑張らなくっちゃならないのは被災してない人達だな。人間ドックに行きました。


全ての検査が終って

結果の面談の前に

病院のカフェテリアで

食事をしている時の

話しです。


窓の向こうは

隅田川が流れて

病院の庭に樹木が

植えられています。


食事中の人達は皆が

窓の方向を向いて

席に着いています。


15人くらいの全員が

同じ方向に

向いているのを見ながら

私が思ったらことは

「あー、さすがに日本人は

空気が読めるなあ

こういう状態を予定調和と言うのだろうな」


そこへ現れたのは

身体の引き締まった感じの

小柄なオッサンです。


オッサンは私のテーブルの

隣に座りました。


こともあろうに

窓に背を向けて

座ったのです。


室内の整然とした調和が

崩れました。


隣のテーブルのオッサンを

ジロジロと見るのも

失礼に当たるので

「このオッサン

外人みたいな奴だな」と

思いながら私は

視界の端で観察しました。


オッサンは英文で書かれた

冊子を読みながら、

食事をしていました。


私は食事を終えて

さりげなくオッサンを

直視しました。


そのオッサンは

白人男性でした。


やはり外人は

空気が読めないのだと

確信した出来事でした。


戦争について考えてみました。



もし先の戦争で勝っていたとしましょう。



はたして、私は、その戦いを後悔するでしょうか。



そうであれば、自分の出生の時が先の戦争の後であったことに感謝しなければなりません。

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