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王子さまとのエンカウント

 びしょ濡れの状態でドレスを身にまとったのは、生まれて初めてのことである。腹部に空いた大穴からそよぐ風が心地よい。


「あ、あの!」


 ぶるぶると毛を震わせているパーチを、濡れることも厭わずに抱きしめていた少年が口を開いた。

 ……まずい。お礼を言われそうな気がする。


 それも「どうもね」とか「ありがとやんす」というフランクな礼ではなく、「この御恩は一生かけてでも…」的な御礼(おんれい)の予感がする。僕は反射的に、

「では」

 と言い捨て、さきほど誕生したばかりの『獣道(けものみち)』ならぬ『僕道(ぼくみち)』を引き返すことにした。


「お待ちください!」


 と、凛々しく、それでいて温かみのあるバリトンボイスが飛んできたが、僕は振り返ることなく、へし折られて間もない生木に右足を乗せた。


 ――いや待て。よくよく考えれば、これは異世界人とのファーストコンタクトである。恩を着せるのはいやだけど、ヴァザリア帝国への行き方くらいは聞いておくべきかもしれない。

 考え直して振り返った瞬間、頭上から、分厚く、それでいて柔らかな布をかぶせられた。それが藍色(あいいろ)のマントであることに気付いたのと同時に、大きな手のひらが腰に添えられる。

 数舜ののち、僕の体は優雅な軌道を描きながら『僕道』から引き離されてしまった。


「むさくるしいでしょうが、ご容赦ください」


 と、頭上からバリトンボイスが降ってきた。マントをめくって見上げると、そこにはさっきまで少年の横で唖然としていた、騎士っぽい格好をした銀髪の青年がいた。その腰には、宝石に彩られた()が差さっている。


 ――さすが異世界。剣士(冒険者)が普通に歩いとる!

 僕の心は大いにときめいた。




★☆★☆★☆★☆★☆★☆




「はぁぁ……。全く、お嬢さま! リディアめは心臓が縮み上がりましたよ!」

「ああ、はい。ごめんなさい」

「イェルドさまにお連れいただいたとき、私がどれほど安心したことか……。お嬢さまになにかあったら、旦那さまと奥さまに、私は、私は……」

「うん、そうね。申し訳ないわ」


 イェルドという名前の剣士に捕まった僕は、マントに包まれたまま、庭園から見えたお城に担ぎ込まれた。そしていま、城の上層部にあるドレッシングルームの中で、リディアと名乗る『御付きのメイド』さんに髪を整えてもらっているわけである。


 考えてみれば当たり前の話だが、前世と同様、今世の僕にも『家族』というしがらみがあったのだ。しかも厄介なことに、僕は『やんごとなきご令嬢』に転生してしまったらしい。僕はため息をつきながら、正面の鏡を見つめた。


 そこには、(つや)やかな黒髪を胸の下まで伸ばした、10歳くらいの少女が映っていた。


「――ょうさま、お嬢さま? 聞いてらっしゃいます?」

「あ、はい。聞いております」


 そのあいまいな返事に満足しなかったのか、リディアさんは「ふぅ」と小さく、上品なため息をついた。


「今回の件、旦那さまも奥さまも、たいそうお怒りです。さきほど、お屋敷から『今すぐに帰ってこい』との通達が届きました」

「はぁ」


 ……旦那さまに、奥さまかぁ。僕は必死に、今世の自分の記憶を探ってみた。しかし、どれだけ頑張っても、頭の中に浮かんでくるのは前世の家族や友人たち、道場の師範と先輩後輩、中華料理屋(バイト先)()さんと(ちん)さんの顔だけである。


 困ったことに、僕の中には貴族のご令嬢としての記憶が、かけらも存在しないのだ。


 つまり、これから(にどめ)の人生を貴族として生きていくためには、テーブルマナーやダンスレッスンを覚えなおす必要がある。その後、社交界に参加し、貴族同士で交友を深め、最終的には親の決めた()()と愛のない結婚をするわけだ。


 無理無理無理!

 これはもう、全部捨てて逃げるしかない!


 ……とはいえ、あとに残される家族の戸惑いや悲しみを考えると、どうにも腰が重い。どうしたもんかなぁ、と俯きながら悩んでいると、耳元で「お嬢さま」と震える声がささやいた。

 僕は「うっす?」と脊髄反射(へんじ)をしながら顔を上げる。正面の鏡には、眉をひそめているお嬢さま(ぼく)の隣に、青ざめたリディアが映っていた。彼女の肩には、首を90度横に回転させた『銀色のフクロウ』がとまっている。



「アイン、おいで」



 と、部屋の入り口から、優し気な、それでいて妙に油断のできない声がした。声に向かって飛んでいくフクロウを横目で追いかける。

 いつのまにか開け放たれていたドアの内側と外側に、二人の少年が立っていた。どちらも身長は160台前半。顔の若々しさを見る限り、年齢は12から13といったところか。


 フクロウが身を寄せたのは、ドアのすぐ横、ドレッシングルームの壁に背を預けている黒髪の少年だった。彼は細長い脚をゆるくクロスさせながら、あご先に手を当ててこちらを見ている。目は微笑んでいるが、どことなく敵意を感じる。


 廊下には、青髪の凛々しい青年が無表情で立っていた。その立ち姿から、なにかしらの武術を修得していることがうかがえる。


「ヨハンを助けてくれたらしいね」


 とフクロウの少年が言った。顔立ちが、さきほど別れた『金髪の少年』とよく似ている。髪の色は異なるが、兄弟かもしれない。


()()が、おぼれていたパーチを救い上げてくれただなんて、()()()()()()()()()よ」


 フクロウの少年は、少しも真心のこもっていない声色で「ありがとう、ニーナ嬢」と言った。偉そうな子供である。いや、実際に偉いのかもしれない。これは丁寧に返事をしなければいけないぞと、頭の一部では考えていたのだが、日本人として培った礼儀作法が、僕の口を突き動かした。


「いえ、全然、お気になさらず」


 二人の少年が、「ん?」という感じで僕を見た。肩に感じていたリディアさんの震えも止まった。

 なんか、出鼻をくじいてしまったらしい。少年は「んんっ」と喉を鳴らして調子を整えている。


 僕は後ろを振り返り、リディアさんを見上げて、『だれですの?』とアイコンタクトを送った。

 パチッと目があったリディアさんは、僕の考えとは異なる意図を察したらしい。引き締まった口元を『キッ!』と食いしばると、覚悟を込めた表情でフクロウの少年に語り掛けた。


「アーベル様、ここは、『ノワール家』専用のドレッシングルームです。失礼ながら、殿方が足を踏み入れるべき場所ではないかと存じます」


 彼は、アーベルという名前なのか。

 ……どこかで聞いた気がする。僕は記憶の引き出しを開いてみたが、『外国人』の棚からは李さんと陳さんしか出てこなかった。『中華は火力ヨ!』という師の教えを頭から払いのけると、僕はアーベルに目を向けた。


 空気が、凍っていた。

 パキパキと音を立て、アーベルの背後から巨大な氷の結晶が壁を這うように伸びていく。

 毛皮の絨毯は霜柱(しもばしら)とともに逆立ち、冷気に舞い上げられた空気が、天井に張り付いて氷柱(つらら)に変わった。フクロウが、アーベルの肩で、威嚇するように低く鳴いた。


 アーベルは壁から離れると、冷たい微笑みを浮かべたまま近づいてきた。その涼し気な唇が、僕の耳元に寄せられる。彼は僕だけに聞こえる声で、


「悪いけど、キミを『()()()()』だとは思っていない」


 とささやいた。


「何を考えているのか知らないが、その薄汚い肌を、二度と、ヨハンの目に晒すな」


 当然、僕にもね、と言い捨てて、アーベルは顔を上げた。フクロウが乗っていない方の肩を、青髪の少年がつかんでいた。

 その手に引かれるまま、アーベルはドアに向かっていく。廊下に足を出す寸前、立ち止まって彼はこう言った。



「今度の独奏会、()()()にしてますよ」



 二人の少年が去った後、背後でリディアさんが崩れ落ちた。僕は立ち上がって彼女の無事を確認する。よくわからないが、僕はアーベルにめちゃくちゃ恨まれているらしい。今世の僕は、一体なにをしでかしたのだろうか。


 それはそうと、去り際、彼は奇妙なことを言い残していた。僕はリディアさんを椅子に座らせると、彼女に尋ねる。


「あの、『独奏会』って、なんのことですかね?」


 落ち着きを取り戻し始めていたリディアさんは、目を丸くして僕を見つめた。


「ピアノでございます」

「ぴあの?」


 あるのか、ピアノ。というか、


「僕、弾けませんけど……」


 その言葉聞いたリディアさんの中に、先ほどの恐怖を上回る感情が生じたらしい。彼女は「はぁぁぁ……」と品のないため息をついてから、僕の肩をつかんでこう言った。



「お嬢さま、しっかりしてください。あなたはこの『フリーディア王国』が誇るノワール公爵家の長女、『ニーナ・ヴィン・ノワール』さまなんですよ」



 その言葉聞いた瞬間、僕の脳裏を、ある言葉が流れていった。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆



「フリーディア王国一択です。だって、……だって『アーベル王子』や『イェルド団長』、『リオンさま』もいらっしゃるんですよ!!! ええ、当然、『ヨハンたん』も見逃せません!! あぁ、できるなら貴族令嬢に産まれて壁のシミになりたい……。とはいえ、(くらい)が高いと『ノワール家のニーナさま』に目をつけられちゃう……。あああでもでもでもッ!! 没落しても追放されたとしても、『カイくん』に出会えれば安泰です!!!」



★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 僕は、ふわふわし始めた頭を小突きつつ、ひとつの予測を組み立てていく。



 うーん、これは……、

 これは、もしかして、ひょっとすると、



「女神さま、転生先、取り違えてません?」



 僕のつぶやきは、凍ったドレッシングルームの壁に溶けていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 次の展開が気になります! 彼(彼女?)の今後も気になりますが、ひかれ仲間の彼女が壁のシミスキルで冒険世界を生き残れるのか。 そちらは明かされないかもしれないですが、心配です(笑)
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