いざ冒険の日々へ
「小文字のgの15から25番!! 前に来てください!!!!」
「やばっ、私たちですよ」
「マジですか」
と言いながら、僕は自分の転生希望申請書に目を向ける。その左上には『受付番号 g-18』と書いてあった。ひかれ仲間であり、僕のネクストライフアドバイザーである女性は「待って待って待って」とつぶやきながら、すさまじい勢いで『転生目的』と『備考欄』に筆を走らせている。
(しまったなぁ、僕の相談に応じてくれたせいで提出が遅れてしまったら、申し訳ないなぁ)と考え終わる直前、
「よしっ!」
といって彼女は立ち上がった。
どうやら書き終わったらしい。しごできがすぎる。ただ、転生目的の欄に『壁のシミ』と書かれていたのが一瞬だけ見えたが、あれはどういう意味なのだろうか。そういうスキルや職業があるのかな……。
「加藤さんは、書けましたか?」
「あ、大丈夫です。歩きながら書いちゃいます」
そう言うと、僕は立ち上がった。転生受付窓口に向かっていく彼女の後ろについていきながら、僕は転生目的の欄に『冒険』、備考欄に『特になし』と書き殴ると、顔を上げて正面を向いた。
「ですからぁあ! 何度も申し上げていますように、『どんな人間に生まれ変わるか』はランダムというか、別の課の担当ですから、私からはなんとも「しかしだねぇ、僕はどうしても美少女になって、身持ちの固い貞淑な既婚男性を「だからよぉ!! そのおっさんは放っとけっつってんだろがッ!!」
「私だって放っておきたいんですけどぉぉおお!!?」
おぉ、やってるねぇ。
僕は心の中で暖簾をくぐりながら、窓口に並ぶ列に加わった。
「すごいですねぇ」
と、すぐ前に並んでいるひかれ仲間がささやいた。
「ええ、全然収まりませんね」
「まあいきなり転生と言われて、すぐに納得できた私たちが異常なのかもしれませんけど」
確かにな、と僕は思った。正直、いまでも『ドッキリでは?』という考えがないわけでもないし、『説明が少なすぎるだろ……』という思いは強くある。
でもまあ、僕は自他ともに認める『行き当たりばったり』である。これからのことは、転生してから悩めばいい。たとえ冒険者になれなくても、たとえ今の記憶を失ったとしても、なるようになれれば十分である。
そう考えていた時、受付の前で渦巻いている人波の隙間から、光り輝く細い紐が2本、『ぬるり』と出てきた。紐は騒ぎの中心人物である『美少女おじさん』と『プリン頭のヤンキー』に巻き付くと、シュン、という音を立てて消えた。巻き付かれていた2人の人間と一緒に、である。
突然の人体消失ショーに静まり返った窓口の奥から、
「小文字のgの15番から25番、申請書を、出してください……。それ以外の人は、席に戻ってください……」
と、疲労感あふれる声が流れてきた。
いそいそと引き返す人々と入れ替わり、僕たちの並んでいた列が前に進んでいく。
「女神さま怖ぇ……」
と、丸刈りの青年がすれ違いざまにつぶやいた。僕としては、そんな人を怒らせたあなたたちの方が怖いのだが……。
列の先頭に立っていた初老の女性が、震えながら申請書を提出した。彼女は女神さまと二言三言会話をすると、窓口の右奥に向かって歩いていった。その先には『転生控え室』と書かれた扉があった。
次に並んでいた中年の男性も、同じようにおびえながら申請書を提出し、短いやりとりを終えてから控え室に進んでいく。
そして、ひかれ仲間の番が来た。彼女は女神さまの前に立つと、よく通る声で、
「よろしくお願いします」
と言い、角度45度の最敬礼をした。女神さまは心なしかやわらかな、というか若干泣きそうな声色で、
「承りますぅ……」
と返答し、よろよろと申請書を受け取ると、その上に筆を走らせた。僕が固唾を呑んで見守る中、女神さまは筆を置くと、「転生依頼、受け付けました」と言った。
「これより、橘ひかりさまには、あちらにある転生控え室のほうで待機していただきます。その後、申請が承認されましたら、速やかに転生が行われます」
「了解しました」
「これまでのやり取りの中で、ご質問等はございますか?」
ひかれ仲間、もとい橘ひかりさんは、即座に返答した。
「『フリーディア王国』って、2007年8月25日に発売された
『白竜のいざなうままに~エンドレス、トゥルーラブ~』
に登場するフリーディア王国で間違いありませんよね」
「間違いありませんよ」
「ありがとうございますッ」
そう言って、橘さんは控室に向かっていった。僕としては目礼くらいしたかったのだが、かけらも振り返ってくれなかったので無理だった。
「次の方ぁ……」
「あ、はい」
僕は前に出て、申請書を提出する。
「よろしくお願いします!」
「……あぁ、はぁい」
間近で見る女神さまは、さきほどの対応で体力を使い切ったのか、ボロボロに疲労困憊の満身創痍だった。これほどの疲れ具合は、なかなか見られるものではない。僕は周囲を見渡して自販機を探した。もしもあったなら、差し入れをしようと考えたのである。
――あれ? 僕、財布持ってるのか?
ポケットに手を突っ込むと、財布がない。スマホもない!
一気に不安が押し寄せてきたが、まあ死んだらお金もスマホも関係ないわな。服があるだけマシだよマシ、と考え直したとき、正面から「転生依頼、受け付けましたぁ」と声があがった。
「これより、加藤ハルさまには、あちらの転生控え室のほうで待機していたらきます。その後、承認が申請……じゃないや、申請が承認されましたら、速やかに転生が行われますので、よろしくお願いしまぁす……」
ややうつむきながら言い終えた女神さまのまぶたが、ひくついている。やばいな、ピークだよこの人。
「これまでの……やり取りの中で、質問等はございますかぁ……?」
僕は、さきほどから一つの疑問を抱いていたのだが、(この弱り切った人にぶつけていいものか)と悩んでしまった。女神さまは僕と橘さんの申請書を2枚重ね、底の部分をテーブルにぺしぺしとぶつけて整えながら、うつろな瞳でこちらを見上げている。
待たせるほうがあれか、と考えた僕は、
「さきほど消えた女性と男性は、無事なんですか?」
と尋ねた。列の後ろから「ちょっ……」っと制するような声がした。女神さまのライトブルーの瞳が、チカチカと光り輝いて僕を射抜いた。
別に、彼らが地獄に落ちたり無に還ったとしても、僕には関係ない。ただ、自分に逆らったからという理由で二人の人間を消してしまうような人に『僕のこれから』を任せたくないな、と思っただけである。この発言が彼女の逆鱗に触れたとしても、まあそれはそれだ。
身構えることなく立っていた僕に、女神さまは口を開いた。
「比較的、安全な世界に転生していただきました」
「ご期待に添えたかは、不明ですが」と、女神さまは付け加えた。僕はその答えに満足すると、橘さんにならい、角度45度の最敬礼をした。
「お答えいただき、ありがとうございますッ」
「いえいえ。質問は、以上ですかぁ……?」
「はい!」
顔を上げると、女神さまは手癖だろうか、僕と橘さんの申請書をぺらぺらと玩んでいた。
「でしたら、あちらの方にお向かい下さぁい……」
「了解です」
僕はそう言って、転生控え室に向かっていく。次の瞬間、背後から、
「あ、やべ」
と声がした。振り返ると、女神さまは僕の出した申請書に、こぶし大の大きなハンコを押していた。
「17番、受理ッ(パコッ)
18番、受理ッ(パコッ)」
心の中で、『ごくろう様です……』と念じながら、僕はドアノブをひねると、転生控え室に足を踏み入れた。
後ろ手にドアを閉めた瞬間、全身をかつてない浮遊感が包み込み、僕は意識を失った。