突然の来客
「事前の連絡もなくお伺いしてしまい、申し訳ありません」
「ンニィ」
そう言って、フリーディア王国第二王子、『ヨハン・ウィード・フリーディア』(と子猫のパーチ)は頭を下げた。
「いやぁ、そんな。こちらこそ大したおもてなしもできず……」
と恐縮する僕の背中を、すぐ後に控えるリディアさんが『黙ってろ』とばかりに軽くつねった。
……そうだった。
僕が錯乱状態であることは、ノワール家以外の人間に、知られてはならないのである。
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本来なら、お客さんが来たとしても『あいにく、お嬢さまは体調を崩しておりまして……』と断れば済む話だ。しかし相手は第二王子に加えて、辺境伯の孫であり、次期騎士団長の呼び声高い(らしい)『イェルド・ヴァン・ホルダー』氏である。
「下手な嘘をつくと、面倒なことになりかねません」
と、駆け付けた執事長のボッスさんは、滝のように流れる汗をハンカチでぬぐいながら説明してくれた。
彼の15メートルほど後ろ、レッスンルームの入り口には、何か言いたげな表情のイェルド氏が立っている。
うーん。
ばっちり目があってしまった。もはや仮病は使えない。
いっそのこと、逃げちゃおうかな、と考えていた僕に、リディアさんはどこから取り出したのか、30㎝くらいの『でっかい扇子』を手渡しながらこう言った。
「……なにを話しかけられても、『おほほ』とお笑いください。それ以外のことは、決してなさいませんように」
僕は、フリルのついたでっかい扇子を『ファサッ』と広げると、口元を隠して「おほほ!」と笑った。手にしっくりと収まる高級な重みに、テンションがブチ上がった。
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「おほほほほ!」
「グヒャベバギャベギベロ」
挨拶の最中、「にぃ」と鳴きながら膝に乗ってきたパーチの腹を、僕は右手の人差し指で優しく連打した。一突きするたびに、パーチは指を目掛けてガバッと飛びつくけれど、惜しい、それは残像だ。
続けざまに腹を突かれながら、僕の膝の上で、パーチは野生の本能を爆発させていた。
「おほほほほほほ!!」
「ギャフベロハギャベバブジョハバ」
背後から、リディアさん率いるメイド軍団の「なにやってんだあんた」という圧を感じるが、もはやどうでもいい。僕はいま、どちらかが力尽きるまで子猫と遊んでいたいのだ。
「ふ、ふふ」
と、正面から、風鈴のような、透明感のある声がした。
見上げると、ずっと堅苦しい表情を浮かべていたヨハン少年が、白魚のような手で口元を隠しながら笑いをこらえていた。彼の白くて細い喉から声が漏れるたび、肩まで伸びた金色の髪がひらひらと揺れた。
まごうことなく、美少年である。
記憶の中の母も姉も橘さんも、10点満点の札を高く掲げている。
背後のメイド軍団から「はぁ…」という吐息や「ゴクリ…」と唾をのむ音が漏れ出した。
僕は、僕の指をとらえて満足げに力尽きたパーチの額を撫でながらヨハンを見つめる。年齢は、10歳前後だろうか。顔立ちがアーベル王子とよく似ている。しかし、ヨハンからは張り付くような怒りを感じない。
……どうして僕は、あんなにもアーベルに嫌われているのだろう。
まあ、悩んだところで答えは出ない。僕はなんとなく、ヨハンの後ろに立っているイェルド氏に目を向けた。彼の青い瞳とばっちり目が合う。次の瞬間、イェルド氏は咳払いをして視線をそらした。
……どうしてイェルド氏は、僕を見つめ続けているのだろう。敵意や殺気は感じないのに、見上げるたびに目が合うんだけど。
この二つの疑問をヨハン少年にぶつけたいのだけれども、言葉狩りをされた僕は、悲しいかな「おほほ」しか言えないのである。
そんなジレンマを抱えていた僕に、笑いの波が収まったのか、ヨハンが声をかけてきた。
「すみません、挨拶もきちんと、済んでいないのに」
背後からリディアさんが僕の代わりに何かを言おうとしていたが、なんかもう面倒になったので、僕は普通にこう言った。
「こちらこそ、パーチさんと遊ぶのに夢中になってしまって……」
疲れ果てて半ば液状化しているパーチを両手ですくい上げると、僕は立ち上がってヨハンに手渡した。振り返りざま、リディアさんに向かって『やっぱしゃべります』とアイコンタクトを送る。彼女は固い笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと天を仰いだ。
「あらためて、お礼を言わせてください」
腰を下ろした僕に、ヨハンはそう言った。
「先日はこの子を助けてくれて、ありがとうございました」
泥のように眠るパーチを膝に抱きながら、ヨハンは深く頭を下げた。その直後、リディアさんとメイド軍団は一斉に、腰を曲げて深々とお辞儀をした。
……事前に教えておいてよ、そういうの。
完全に出遅れた僕は、軽く頭を下げながら「いや、全然。やりたいことをやっただけなので」と素直に答える。
顔を上げたとき、ヨハンと目が合った。その視線の熱量に、僕は既視感を覚えた。
「ニーナさん」
と、ヨハンは言った。
「ぼくはいつか、あなたのお役に立ってみせます」
――そうか。と僕は思い出した。
中二の夏、万引きの冤罪をかけられていた同級生を助けたとき、彼は同じようなことを僕に言った。内向的だけれど、責任感の強い、信頼に値する男だった。
彼と同じ瞳の強さを持つヨハンに、僕は好感を抱いた。
この子にだったら、打ち明けてもいいかな、と思えた。
「でしたら」
と、僕は口に出す。
「ひとつ、相談に乗ってもらってもいいかしら」
その言葉に、ヨハンはすこしだけ驚いた顔を見せたが、にこりと笑ってうなずいた。
「これは、できれば秘密にしてほしいのだけれど」
僕はテーブルの上に手をついて、ヨハンの耳に顔を寄せると、
「私、異世界から転生してきたんです」
と告げた。




