『僕』のこれまで
三年前、飲酒運転のトラックに両親がひき殺されたとき、姉は高校中退を決意した。
僕の進学に必要なお金を、なにをどうやっても稼ごうとしたのである。
(姉さんなら、そういう無茶をするだろうな)
と思っていた僕は、事前に姉の高校に向かい、担任の先生(らしき人)を捕まえると、メモを手渡してこう言った。
「姉が退学届を持ってきたら、この番号に電話してください」
スマホが鳴ったのは、それから二日後のことである。
通話を終えた僕は、押し入れからバリカンを取り出して電源を入れると、唸る刃先を自らの頭髪に突っ込んだ。
髪の両サイドをなんとなく刈り上げ、なんとなく『モヒカン』になってから家を飛び出した僕は、進路相談室の中で唖然とする姉と先生方の前に立ち、涙で滲んだ退学届を引き裂きながら叫んだ。
「ぼかぁバカだからっ! 大学には姉さんが行ってくれぇ!」
「…………うん」
こうして、僕たち姉弟の新しい生活が始まった。
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中学を卒業し、空手の道場も辞めた僕は、ガソリンスタンドや飲食店を掛け持ちして働いた。対する姉は図書館や高校の自習室に入りびたり、昼夜を問わず勉学に励んでいた。
普通は逆なのかもしれない。
実際、親戚の中には(金も出さないくせに)姉をたしなめる人もいたが、僕が逆立ちしながら奇声を上げて通りすぎるだけで、みんな納得してくれた。
物わかりが良くて助かる。
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一年後、つまり今から二年前、姉は都内の有名大学に合格した。努力の甲斐もあって、返済不要の奨学金がもらえたらしい。
僕はというと、お世話になった中華料理屋で働きつつ、生活費を仕送る構えでいたのだが、「都会の一人暮らしは怖いから」という姉に引きずられ、気が付いた時には東京行の新幹線に乗っていた。
見送りに来た友人の
「ペットみたいだな……」
という言葉が、今も胸に残って離れない。
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体力だけが自慢の僕とは違い、姉は賢くて、思いやりのある人だった。
彼女はことあるごとに僕を抱きしめると「就職したら、養ってあげるからね」とささやいた。
生活に不満はなかったが、その言葉だけが不安だった。
姉の人生の重荷には、なりたくなかったのである。
だから今日、たったいまこの瞬間、両親と同じように『青信号の横断歩道に突っ込んできたトラック』にひき殺されつつある僕の心の中には、恐怖とともに安堵の気持ちがあった。
(ああ、これで、僕の役目は終わったんだな)
目の前を駆け抜ける走馬灯を眺めながら、僕は奇妙な達成感を味わっていた。
一つだけ、残念なことがある。
歩道の真ん中で動けなくなっていた女性を突き飛ばしたはいいものの、トラックが近すぎてどうやら助けられそうにな