悪魔とエクソシスト・下
右脚の大部分を喰い千切られた男は、自らの脚を咀嚼する悪魔に向けて光線を放った。悪魔が距離を取ると、今度は地面を撃って爆発させ、その衝撃に乗って私のいる場所まで転がってきた。
転がってくる男を受け止め、支える。ここまでの道筋に、大きな血溜まりが出来ているのが見えた。確か、太腿には太い血管が通っているはず。すぐに止血しなければ、このまま失血死してしまうだろう。
「ま、待ってて、すぐに縛るものをっ……!」
「だ、大丈夫……エクソシストは準備がいいんだ……」
男はコートの内側から手のひらサイズの黒い輪っかのようなものを取り出した。それを、喰い千切られた太腿の断面付近に押さえつけると、輪っかが広がり、まるで止血帯のように縛りつけた。
これもエクソシストの装備の一つだろうか。完全に、とはいかないまでも、ある程度出血が抑えられているように見える。ただし、このまま戦い続ければ、やはり失血死は避けられないだろう。
明らかに、顔色も悪い。今の一瞬で血を流しすぎたせいだろう。軽口を叩いていた男の表情には、あの飄々とした明るさの片鱗もない。
「わ、私のせいだっ……私が尾行なんてしたからっ……!」
そもそもこの場に私がいなければ、彼は脚を失うことはなかった。私が見る限り、悪魔との戦いは彼が優勢だった。私という障害がなければ、とうに悪魔を倒していただろう。
私のせいだ。中途半端に首を突っ込んで、足を引っ張っているだけだ。
情けなくなって、消えてしまいたくなって、震えていた手を男が掴んだ。見れば、脚を失ったというのに、怒ることもなく、そんな素振りを見せることもなく、彼は笑っていた。
「大丈夫。脚が一本無くなった程度だよ」
「大丈夫なわけないでしょ……!? 悪魔だって……!」
手負いの獣ほど恐ろしいものはない。それを本能的に理解しているのか、はたまた別の何かを警戒しているのか。悪魔は男の脚を咀嚼しながら、じっとこちらを見つめていた。ただし、いつでも攻撃出来るよう、低い姿勢で。
私の手を握る男の手に、力がこもる。私の目を見据え、何かを訴えようとしていた。
「確かに……この状態で奴を倒すのは、少し難しいかもしれない」
「っ!」
真っ正面から言われ、驚いてしまった。やはり、悪魔退治を専門とするエクソシストといえど、片脚の大量の血を失ってしまっては、悪魔に勝てないらしい。
あとは、死を待つだけ。私が余計なことをしなければ、二人とも死ぬことはなかったはずなのに。俯き、意味のない後悔ばかりをする私に、男は続けて言った。
「だから——少しだけ、君の力を貸してほしい」
はっとなって、顔を上げる。冗談を言っている様子はない。これまでに見たことがないくらい真剣な表情で、彼は私を見つめていた。
「わ、私のっ……?」
「君にしか頼めないんだ。君なら、リバーレイを使うことが出来るから」
彼の目線が、右手に持っていた銃に向く。壁を作り出す方ではなく、光線を放つための銃に。瞬時に、彼が言わんとするところが何なのかを理解した。
「ま、まさか私が……あいつを、撃つの……?」
「うん。今の僕に残された力じゃ、奴の攻撃を防ぐか、奴を仕留めるか、そのどちらか一方しか出来ない。そして、攻撃を防ぐためのシールドは、初めてリバーレイを持った人間には制御が難しい」
「わ、私にそんなこと……出来るのかな……」
あんなに素早く動く悪魔を、今まで銃も握ったことのないような人間が撃てるのだろうか。いや、撃てるはずがない。そもそも、クロスというものの存在自体を知ったのだって、数分前のことなのだ。そんな人間が、いきなり悪魔と戦うことなんて、出来るはずがない。
(——いや、違う。色々理由つけて、怖いのを隠してるだけだっ……)
情けない、と思った。私のせいでこんなことになって、私が動かなければ二人とも死ぬというのに、『怖い』という理由だけで戦うことを避けている。しかも、そんな感情的なくだらない理由を隠すために、一見まともに見える理由で上塗りばかりして。
「……大丈夫だよ」
そんな私に、彼が声を掛けた。『大丈夫』、と。
「昔ね……僕の尊敬する人が言ってたんだ。覚悟を決めたい時、誰かを安心させたい時……逃げ出したくなった時、怖くなった時。そんな時は、『大丈夫』って言葉を口に出せばいい。そうすれば、大抵のことは何とかなる、ってね」
「……」
『大丈夫』。思えば、初めて会った時も、彼はそう言っていたと思う。悪魔に部屋が壊されることを心配していた時も、私を狙っていた悪魔を倒した時も、『大丈夫』だと言っていた。言ってくれた。
「怖いよね。そう思う感情が正しい。いきなりあんな化け物と戦えって言われて、怖がらない人間なんていない。だから……巻き込んでごめん。でも、今の僕には、君の力が必要なんだ」
真っ直ぐに私を見つめるその瞳に、心を打たれた気がした。彼が大丈夫だと言えば、何とでもなる気がした。
「……ごめんなさい」
「……そっか」
悲しげな顔をする男に、続けて告げた。
「もう、大丈夫。怖いけど……怖いけど! 私がやるしかないなら、私がやるっ!」
胸を張って、ドンと叩き、覚悟を決めた。怖いし、逃げ出したいし、何もかも忘れて平和な日常に戻りたい。でも、どっちにしたって、今は戦わないといけないんだ。だったら、戦うしかないだろう。生きるためにも。
いい加減に痺れを切らしたのか、悪魔が吠える。喰い千切られたはずの彼の右脚は、全て悪魔の胃の中に消えてしまったようだ。もう、時間はそれほど残されていない。
「私、リリーシャ。リリーシャ・ウィンチェスター。作戦は?」
「……僕はシドー。樫塚シドー。作戦は……『どうにか奴をぶっ殺す』だ」
「いいね、気に入った」
作戦とも言えない作戦。一言二言交わしたところで、悪魔が咆哮しながら突撃してきた。シドーは右のリバーレイの照準を悪魔……ではく地面に合わせると、光線を三度放った。光線は着弾と同時に小さな爆発を起こして、大きな土煙が上がる。
その隙に私は大きく後方へ下がった。シドーをその場に置いて。悪魔がまず狙うのは、手負いで且つエクソシストであるシドーだろう。この作戦におけるシドーの役割は……所謂、囮だ。
悪魔は私達の読み通り、土煙を突っ切ってシドー目掛けて体当たりを仕掛けた。しかし、シドーは事前に放っていた三つの光球で壁を作り、それを防ぐ。
悪魔もそれを見越していたのか、にたりと不気味な笑みを浮かべたかと思うと、大きく跳躍し、私とシドーとの間に降り立つ。
……どうやら、狙いをシドーから私に切り替えたようだ。先ほどと同じ。か弱い私を狙い、シドーがその守りに入ったタイミングで、再びシドーの捕食に移行するつもりだろう。
「シドー!!」
「任された!」
どうやら、クロスの力を使うためには、人間の持つ何たらエネルギーとやらが必要らしい。ここまでの戦闘と負傷で、シドーはその力に限界がきている。だから、攻撃と防御のどちらもこなすとなると、どちらも中途半端にしか力を発揮出来ないらしい。
だからこそ、シドーはこの銃を私に託した。悪魔の隙を作ることに専念するために。
「全力全開……! そこを、動くなっ……!」
シドーが何度も引き金を引き、無数の光球を放つ。その光球の一つ一つを動かし、私に迫る悪魔の前方に配置した。
否、前方だけではない。悪魔を覆い囲むように、まるで、牢獄のように、それらを配置した。
悪魔は何かを察知し、緊急回避に移行しようとする。が、少し遅い。配置された光球から、それぞれの光球へと光が伸び、悪魔を覆うように長方形型の箱が形成された。
牢獄のようだと言ったが、訂正しよう。どちらかと言えば、これは、『棺』に近い。
「今だ、リリーシャ! 全力で、撃てっ!!」
シドーの叫び。私は銃口を悪魔に向けた。初めて握った武器なのに、何故だか懐かしさを覚えるほど、手に馴染むような感覚があった。
銃も扱ったことのない私が、動きの素早い悪魔に光線を当てることは難しい。下手に消耗し続ければ、その何たらエネルギーとやらが尽きて、仕留めることも出来なくなる。
だから、敵の動きを拘束すればいい。狙わなくても当たる、そんな状況にすれば、私の狙撃の腕は関係ない。
あとは私が、覚悟を決め、恐怖を乗り切って、全力を込めて引き金を引けば、それでいい。
悪魔は棺の中で必死にもがいている。撃たれればそれで終わりというのを理解しているらしい。棺の壁にヒビが走り、放っておけばそのうち自由になるだろう。
だけど、奴が自由になるよりも、私が引き金を引く方が……早い。
「当……たれぇぇっっ!!」
引き金を引き、凄まじいほどの脱力感に襲われる。それと同時に、あの時見た光線とは比較にならないほど巨大で、激しい光を放つ光線が、悪魔目掛けて銃口から放たれた。
核の位置だとか、そんな小難しい話は私には分からない。だったら、一撃で悪魔の大半を消し去れるほど、強力な一撃を放てばいい。そのために、シドーは『全力を込めろ』と言っていた。
放たれた光は、棺に閉じ込められた悪魔に向けて、真っ直ぐに飛来する。そして、棺ごと悪魔を呑み込んだ。
シドーを巻き込まないよう、斜め上空に向かって放った光線。輝かしい光を放つそれは、暫くの間止まることはなく。そして、光が消えた時、悪魔もまた、両足をほんの少しだけ残して、それ以外は欠片も残さず消滅していた。
残った両足も、少しずつ灰になっていく。無事に、悪魔の核が破壊された証拠だ。それを見届けて、私は腰を抜かした。
急激な脱力感。もはや立ち上がることすら叶わないほどの疲労感。シドーの言う何たらエネルギーを使い過ぎた反動だ。そんな私の元へ、シドーが壁を支えにしながらやってくる。
「あ、はは……や、やったよ、シドー……」
「ああ……やったね、リリーシャ」
私の隣に座り込んだシドーが、拳を突き出してくる。酷く疲れた顔をしているが、笑顔を隠せていない。隠す気もないのだろうが。
私はシドーの拳に、自分の拳を突き合わせた。疲労感のせいで腕を上げることも辛かったが……これだけは、しておきたかった。
そうして、私とシドー二人での、初めての悪魔狩りが終わった。その後、あの巨大な光線を見た人達が、続々と裏路地に押し寄せてきたが、それとほぼ同時に到着した他のエクソシスト達の手によって私達は保護され、難を逃れることが出来た。肉体的・精神的な疲労からか、あるいはエクソシスト達に保護されたことで安堵しすぎてしまったのか、そこから先の記憶はない。
ただ、意識を失う前、脚を失ったシドーを運ぶエクソシスト達の傍らで事後処理をしていた、数名のエクソシストが話していた内容が、意味も分からないのに、何故か妙に耳に残っている。
『明星も、これで終わりだな』、と。




