精神の旅
俺の名は…名前なんてどうでもいいから、田中とでも名乗っておこう。
俺は現在塗装の仕事を覚えている途中である。
別に塗装の仕事なんてしたかった訳ではなく、単純にお金が欲しかったが、学歴も特別な技術も無い自分には3K仕事をするしかないと思った。タウンワークでこの仕事に応募したときは、まさか採用されるわけがないと思っていたし、中卒なのに高卒だとか履歴書で平然と嘘をついたりしていたのだが、何故か採用されてしまった。おそらく応募しようとした理由みたいな欄に映画から適当に盗んだ熱心な台詞を入れたからだろう。その欄を読んだ面接の担当者(社長自身)は、「真面目だね〜」なんて言っていたのを覚えている。今なら映画から台詞を引用したりしなくても、AIが勝手にそれらしいことを変わりに書いてくれるだろうな。とりあえず嘘でも良いから熱心さを見せるのは大切だと実感したよ。
次の日にタウンワークで作業着やつま先が鉄板の安全靴を買ってその次の日から仕事を始めた。仕事では色んな現場に行くため、ベテランの人が車で他の社員を回収してから現場に向かったりした。建設関係だから当たり前に週休1日で、休憩は10時から30分までと昼休み、更に15時から30分までと割とある。力仕事の建設関係の中でもペンキ屋は楽な方だろう。初めの頃は何年間もニートをしていたせいか、一斗缶を持つのにも一苦労していた。「人間は何にでも慣れていくものだし、自然と筋肉もついてゆくものだ」とよく言われたが、俺の力が桁外れに足りないせいかいまだに苦労している。知能も桁外れに低いから何度言われても同じミスを繰り返したりしている。ある日、同僚に「あんまり言いたくないけど、お前何か持ってんのか」と言われたことがある。それくらいの無能である。俺のような陰気で運動神経の悪い陰鬱な奴は建設業なんてやらない方がいい。周りを不幸にして迷惑をかけるだけだろう。
ところで建設業をやるような人たちの趣味といえば酒タバコギャンブルだろう。初めての仕事の日、車に乗っていたら、ベテランの方たちはタバコを吸いスロットの話をしていた。自分はこの手の話に全くついていけない。タバコは少し影響されてその後吸ってみたりしたが、酒は基本飲まないし(別に飲めないわけじゃない)、スロットもパチンコも全くやったことがないからだ。
俺は基本的に内的な人間で、外的な人間ではない。常に外よりも内に内にというタイプで、ドラッグにしても絶対アッパー系はやらない。お気に入りはLSDやDXMだ。ODをすれば合法のトリップができるドラッグと化すDXMは、俺をスピリチュアルな人間に変えてしまった。DXMはともかく、LSDでバッドに入り、発狂して病院に運ばれた奴がいるなんて話はよく聞くが、俺は初めてLSDでトリップした時でさえ、事前にインターネットでセッティングの重要さを学んだおかげでそんなことにはならなかった。問題はDXMの方だ。これは奇妙な薬でバッドトリップには殆どならない、少なくともLSDに比べたらその確率はかなり低いのだが、俺はこの薬のせいで病院に入れられた経験がある。
病院に入れられる前の俺は独我論に深入りしすぎていた。意識とは何か、なぜ自分が自分であって他の誰かではないのか、なぜこの特定の日本に住む日本人として生まれたのか、そんなことばかり考えていた私は4chanのいわゆるオカルト板に入り浸っていた。DXMを乱用していた俺はこの薬でODするとやたらシンクロニシティが起きやすくなることに気づいた。シンクロニシティとは、ユングが考えた用語で、偶然とは思えないようなことが起こったときなどに使われる。例えば、Twitterでおすすめを更新したりすると今自分がしていることや思っていることを代弁してくれるような投稿がバズっていたりする。奇跡というよりただただ不気味である。4chanのアニメ板を見ると俺が最近見始めた別にメジャーでもないアニメの話題で盛り上がっていたりしていた。そのことを疑問に思っているとまさに「なぜ私が特定のアニメを見始めると急に板でそのことが話題になるのか」というスレッドがあった。俺は集合的無意識や独我論、量子不死などの奇妙な話に惹かれていった。我々はシミュレーションの中にいるのか?本当の意識は経験をしているのは自分だけなのか?俺はこれらの疑問に取りつかれたしいつもこのことを考えていた。
ある日、いつものようにDXMでODしたら、病院に入れられるハメになったその出来事は起こった。単純な話、俺は多分死んだ。「何を言ってんだ、死んだならなぜお前は今日記を書けるのか」とこの文を読んで思った人が沢山いることだろう。実を言うと、死は一般の人たちが思っているようなものではない。永遠の闇なんてないし、意識経験の性質上それは不可能だ。俺は死から戻ってきたし、そういう人は実は沢山いる。例えばRedditにある量子不死のサブ(5chでいう板のようなもの)での体験談ではおそらく交通事故が最も多く、その内容は大体が状況から見て生き残るのは明らかにおかしいのに、生き残ったという感じである。
さっきからお前の言及している量子不死とは何だとイライラしてきた人たちもいそうだから説明しよう。簡単に言えば、人は死ぬとき、死んでいない世界線に強制的に飛ばされるという現象だ。客観的に死は存在するが、主観的な本質的な意味での死は不可能である。15階から飛び降りようとも心臓を刺しても同じことだ。主観的に見ると奇跡が起こったように我々は生き残ることになるだろう。ドイツの哲学者、ショーペンハウアーも死がすべての終わりなら我々が今存在しているのはよくよく考えればおかしいと言っていた。
話題を元に戻そう。俺はおそらくDXMの過度なODによって体に何らかの支障をきたし、それが致命的になりベッドの上で死んだ。目が覚めたら異様な雰囲気にすぐ気付いた。つまり、見かけが同じでも全く別の世界に飛ばされたことに。