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旅人   作者: 水樹洋
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ユースホステルを使った北陸の一人旅そして昭和の古き武蔵小杉で過ごした少年時代

上野駅の一六番ホームは、北陸へ向かう夜行列車、急行能登の入線を待ち受ける人々で既に賑わっていた。まだ真夏の蒸し暑さの残るむっとする空気の中、プラットホームに敷かれた新聞紙の上で、若者のグループや、家族連れが缶ビールやジュースを手にし、食べ物を口にしながら、あちこちで明るい笑い声を響かせていた。

水沢洋太は、先週、渋谷の百貨店で買ったばかりの紺の大きなバッグを肩に掛け、北陸方面への周遊券を持って、不安と、少しばかりの期待を胸に、このホームを歩いていた。

周遊券を使えば、特急は無理だが、急行は追加料金無しで利用できるのだ。

 洋太は、一応、私立では一流と言われる大学に通う、文学部英文科の2年生であった。 よく耳にはしていた一人旅というものを、何故かふと、自分でもしてみようと思い立ったのだった。そんなことを考えた理由は、自分でもよくわからなかったが、ひとつはユースホステルを使えば、思いの外安く宿泊できるのを知ったこと。そしてもう一つは、自然のほとんどない所で生まれ育った洋太に、自然に対するあこがれのようなものが無意識に働いていたのかもしれない。

 そしてもう一つ、最も大きな理由があった。その頃洋太は、小掠桂というシンガーソングライターのレコードアルバムを何枚も買い込んで、毎日のように聞きこんでいた。小掠桂の曲は、その当時の誰の曲とも全く違っていて、柔らかな風のように、洋太の心を優しく吹き抜け、自然や旅へと洋太をいざなうものであった。それは二つ目の理由を生み出したものでもあった。

洋太は、一見雑然とホームに座っているように見えた人々が、実は列らしきものを形成していることに気づいた。そして、自由席の車両に乗り込むのを待つ、いくつかある列の中で、最も短そうな列の最後部に行き、尋ねた。

「すみません。この列は急行能登号の列ですか」

「そうだよ」

と、洋太より少しばかり年上に見える若者のグループの一人が、煩わしそうに答えた。

「ここが一番後ろですか」

「ああ」

と、その若者はぶっきらぼうに答えると、すぐまた仲間との会話に戻っていった。

周りの賑やかで明るい雰囲気の中、自分だけが孤独な存在のように思われ、洋太は何とも言えぬわびしさを感じた。そして、さっき買ったばかりの缶コーヒーを飲みながら、これから向かう旅先、北陸のガイドブックを読み始めた。しかし、2・3行読むと、周りの様子が気になり、いつの間にか視線がそちらに向かい、ページはなかなか進まなかった。一五分ほどそうして時間が過ぎただろうか。人々が一斉に立ち上がり、歓声が上がった。そして、客車には誰も乗っていない能登号がホームに姿を現した。人々は身構え、まるで臨戦対戦に入ったかのような緊張感に、プラットホームは包まれた。洋太も、何かわくわくするような興奮を感じ、その時だけは先ほどまで感じていた孤独感も消え去っていた。

列車が停止しドアが開くと、人々は一応列の順番は守りつつも、先を争うように乗り込んだ。そして、少しでもよい席を取ろうと左右を見回しながら、車両の中を小走りで走った。そして乗り込んだ順番に見合うだけの納得できる席を見つけると素早く荷物を置き、それからゆっくりと腰掛けた。

洋太が乗り込んだときには、もう全ての席は埋め尽くされていた。仕方なく洋太は、彼と同じ境遇にある人達がするのに習って、通路に新聞紙を敷いて、そこに腰を下ろした。すると、一瞬忘れていた先ほどまでの孤独感が、新たに惨めさを引き連れて洋太の心に舞い戻ってきた。席を確保した家族連れや若者のグループは安心して、再び楽しげな会話を開始した。また通路にようやく居場所を見つけた人々も、まるでその境遇を楽しんでいるかのように洋太の目には映った。

しばらくすると、車掌のアナウンスが入り、ホームにベルが鳴り響き、ドアが閉まって、いよいよ列車は動き出した。次第にスピードを上げていき、家やビルの窓からの明かり、ネオンライトが窓の外を忙しく飛び交っていった。通勤でこの列車を使っている人もいるのか、埼玉県の大宮や熊谷で下車する人もいて、席が空くと、新聞紙に座っていた人が、素早くその席に着いた。だが、洋太は要領が悪いのか、なかなか座ることができなかった。

「お兄さん、ここ空いてるよ」

背中の後ろから、声が聞こえた。振り返ると、四〇歳くらいの男性が手招きしてくれていた。洋太はようやく、四人掛けの席の通路側に席を確保することができた。残りの三つの席には、声を掛けてくれた男性とその妻、そして小学生くらいの娘が座っていた。

 家族の中に、一人自分が同席するのは、何か気まずかった。しかし、長い乗車時間ずっと床に座っていくのを免れたこと、そして何より、孤独感に苛まれていた自分に、見知らぬ人がわざわざ声を掛けてくれたことが嬉しくて、洋太は丁寧にお礼を言って腰を下ろした。一言二言言葉を交わしたが、洋太はいつの間にか、浅い眠りについていた。






 洋太は、昭和三十年代、神奈川県川崎市で生まれた。東京タワーが建設され、その数年後には東京オリンピックが開催されるという、日本中が活力に満ちあふれていた時代であった。


 洋太の家は、細長い形をした川崎市のちょうど真ん中あたりに位置する、武蔵小杉駅から歩いて三分ほどのところにあった。川崎市を貫くように通っている国鉄南武線に沿うように、古い木造の寮が何棟か建ち並んでいた。一つの寮に一階二階併せて二〇数部屋があり、その中の一つの一階の八畳一間が洋太の家であった。

 寮は、ちょうど旅館やホテルなどによくあるように、廊下を挟んで南側と北側の部屋が向かい合う構造であった。トイレは共同であり、勿論、くみ取り式で、ドアを開けると悪臭がたちこめ、目が痛くなることも珍しくなかった。入って正面に男子用の便器がいくつか並び、右手に大便用のものが八カ所ほど設置してあったが、男女の区別はなかった。 トイレの向かい側に、水道の蛇口がコの字型に十箇所ほど設置してあり、住人はそこを「流し」と呼んでいた。そこは、台所であり、洗面所であり、また、洗濯場でもあった。洗濯場と言っても、勿論、洗濯機などはなく、洗濯板を使っての気の遠くなるような洗濯が、主婦たちによって、毎日のように行われていた。

 朝は百人近い住人が、それぞれの用事でそこに集結し、まるで満員電車のように鮨詰め状態であった。ガス台だけはかろうじて共同ではなく、各部屋の廊下に設置され、ガスコンロとその脇にある僅かなスペースを使って、料理が作られていた。トイレや流しは建物の西端に位置し、廊下をずっと歩いて行くと東端に玄関があった。畳二十畳くらいはありそうなスペースの壁沿いに、何段もの棚が設置され、無数の靴やサンダルなどが並んでいた。そこで住人は外履きからスリッパに履き替えた。そして、そこには、自転車も、出すのに一苦労するくらいぎっしりと、二~三十台置かれていた。一人住まいの部屋もあったが、ほとんどは四~五人家族の世帯で、洋太の斜め向かいの部屋には、両親と子供五人の七人が暮らし、子供たちの何人かは押し入れで寝ていた。

つまり、一言で言えば、当時まだ豊かではなかった日本でも、最下層の人々が住むような住居で洋太は育ったのだった。しかし、そこにあったのは、貧しさから来る悲壮感や暗さではなく、活気に満ちあふれた底抜けに明るい雰囲気であった。例えて言うならば、よく時代劇に登場する、江戸の町人の長屋のようなところであった。


洋太は両親と、四歳年上の姉と暮らしていた。父は旋盤工で、自転車で一五分ほどのところにある工場で働き、一応係長という肩書をもらっていたが、給料は驚くほど安かった。酒好きで、一日たりとも晩酌を欠かすことはなかった。

母は、当時のほとんどの母親がそうであったように専業主婦だったが、洋裁や編み物が得意で、知り合いに洋服を作ったり、セーターなどを編んだりしては、僅かな手間賃を受け取っていた。時には内職で、はんだ付けなどを行って、器械の部品を作っていたこともあった。そんな時には、ただでさえ狭い八畳の部屋は、たくさんの部品にスペースを奪われ、布団を敷くのも困難であった。


五歳になって保育園に通うことになったが、それ以前のことで洋太の記憶に残っていることは、ほんのいくつかしかない。

そのうちのひとつは、毎日のように一部屋挟んだ部屋に遊びに行っていたことだった。

その部屋には、両親と三人の息子が住んでいて、何とその部屋で、一家でペンキ屋を営んでいた。南側の窓の下の地面に、縦横数メートルに渡ってペンキやベニヤ板などの資材が雑然と置かれていて、通行人は板などを踏みつけて歩かなければならなかった。

よく洋太と遊んでくれたのは、「 オス」と呼ばれていた次男と、三男の「あきよさん」だった。何故二十歳前後の青年が、毎日小さな子供の遊び相手になってくれたのか、何が楽しくて、洋太も毎日遊びに行ったのか、後になって考えてみると不思議だった。

ただ、毎日部屋のドアの前に立って、

「あきよさん、遊ぼ」と、洋太が呼ぶと、

「おお、ピンチ、入れ入れ」

とオスやあきよさんが明るく呼び入れてくれ、それがすごく嬉しかったことはよく覚えていた。「ピンチ」というのは、洋太のあだ名だった。どんな由来があって「ピンチ」と呼ばれる ようになったのか、洋太自身知らなかった。

もうひとつ覚えていることは、父親の社員旅行に連れて行ってもらった時のことだった。

武蔵小杉には、渋谷と横浜の桜木町を結ぶ東急東横線も通っていた。その東横線の武蔵小杉駅の前のキオスクで、電車に乗る前、珍しく父親がおもちゃのカメラを買ってくれた。カメラにはお菓子が入っていて、首に掛ける紐が付いていた。旅行中、何度もカメラを手に取り、写真を撮るポーズをしては、上のほうに付いているシャッターボタンを押した。

その旅行で、洋太の目に焼き付いている光景があった。

 宴会をしていた会場で、若い社員同士が殴り合いのけんかをはじめ、大騒ぎになったのだ。多くの人が止めに入り収まったが、とても恐ろしい記憶として、そのことはいつまでも洋太の心に中に残っていた。


五歳になると洋太は保育園に入園した。保育園は、洋太の家から一キロ以上離れていて、そこまで一人か同じ五歳の園児と一緒に歩いて通っていた。五歳の子供にとって一キロ以上の道のりは果てしなく遠く感じられた。

 保育園のことで覚えていることと言えば、何度か取っ組み合いのケンカをしたことと、まだ家にはなかったテレビの前で、全ての園児が集まって、オリンピックの中継を観たことだった。また、大きな金属製のバケツのような入れ物に入った熱い脱脂粉乳を、やはり金属製の器に注いでもらい少しずつ飲んだことも覚えていた。表面には薄い膜がはり、何とも言えない感触を唇に感じた。

学芸会では「海彦山彦」という劇の海彦の役を演じたことは覚えているが、内容や自分が言ったセリフは全く覚えていなかった。

運動会では「大玉ころがし」に参加し、「ゆり組」のアンカーを「しょうちゃん」と務めることになった。その種目はもう一つの5歳の組である「さくら組」との対抗戦で、「しょうちゃん」も洋太も背が高く、足も速かったので、二人とも自信を持っていた。おまけに、二人は特別な作戦も事前に考えていた。

「しょうちゃん、大玉の後ろではなくて、大玉の両横に並んで、腕を横に伸ばして走ろう。 そうすればきっと、大玉が走る速さと同じ速さで転がって速いよ」

 洋太が知恵を絞って考え出した作戦だった。

「うん、そうしよう」としょうちゃんが答えた。

競技がはじまり、「 ゆり組」が5メートルくらいリードしたところで、いよいよ洋太達の出番が巡ってきた。ここであの作戦を実行すれば、勝利は間違いないと二人は確信していた。 作戦通り大玉の両横で、洋太は左腕を、しょうちゃん右腕を横にまっすぐ伸ばして、全速力で走った。ところが、力が大玉に伝わらず、みるみる差を縮められて、あっという間に「さくら組」に抜かれ、そして、その差は広がる一方だった。結局、大きな差をつけられて洋太達はゴールした。「 実際やってもみないで、頭の中だけで考えたことは、うまくいかないものだ」

ということが、小さな保育園児の頭の片隅に刻み込まれた。


保育園もあと数ヶ月で卒園という十二月のことだった。洋太の母が、唐突に洋太に尋ねた。

「ぼく、保育園行くのやめる?」

「ぼく」というのは、母親や姉が洋太を呼ぶ時に使っていた呼び名であった。

洋太はそれを聞いて、嬉しい気持ちになり、すぐに答えた。

「うん、やめる」

 洋太にとって、保育園の行き帰りは本当につらかったのだ。もうそれをしなくて良いと思うと心の底からほっとした。

こうして、洋太は保育園を中退することになった。理由は病気のためということになった。何故、母親が突然、そんなことを言い出したのか理由はわからなかったし、洋太も尋ねようとはしなかった。ただ、後になってから、経済的な理由だったのかもしれないと、洋太は思った。

三月になって保育園の卒園式が終わった頃、わざわざ先生が、文集のようなものを届けてくれた。そこには、先生の次のような文章が書かれていた。

「洋太君は、もう少しで卒園といういう時に、病気のため保育園をやめなければならなくなり、先生はとても悲しかったです」

洋太は、それを読んで何かとても悪いことをしてしまった気持ちになり、悲しくなった。




その日洋太は、母・姉と親戚の家に向かっていて、武蔵小杉の駅の改札を抜けようとしていた。まだ、一年生になったばかりだったので、母親は洋太の切符は買わずに、幼稚園児の扱いで無料で改札を抜けようとした。ただ、洋太は背が大きかったので、駅員は確認で尋ねた。

「お子さん、まだ小学校にあがってませんね」

すると、母親が答える前に洋太が、ちょっと大きな怒ったような声で言った。

「僕、もう小学生だよ」

 駅員は勿論、他の客にもじろじろ見られて、母親の顔は真っ赤になり、

「すみません。つい最近小学生になったもので」

と言って、切符を買いにもどった。

 後に母親がその時のことを話すのを、洋太は何度も聞いた。

「まったく、この子は馬鹿正直だから恥をかいたよ」

でも、その話をする時の母親の顔はいつも妙に嬉しそうだった。



「ウルトラ!」「Q!」 と、遠くに向かって洋太が大声で叫んだ。すると、5匹の野良犬が、全速力で洋太めがけて走って来た。まだ、早朝6時を過ぎたばかりである。もう季節は初夏だったが、早朝の空気はひんやりしていて風が心地良かった。洋太には犬の種類はわからなかったが、大人が5匹とも雑種だと言っているのを聞いたことがあった。

 最初に面倒をみるようになった「ウルトラ」と、次に加わった「Q」は、共に白っぽい体に茶色の斑点のある犬だったが、ウルトラの耳はぴんと立っていて、Qは耳が垂れ下がっていた。そして、唯一の子犬の「シイラ」は全身グレーがかった茶色で、一番元気が良く、いつも洋太の脚にじゃれついてきて、雨の日などは洋太の脚は泥だらけになった。新参者の「デカパン」は最も体が大きく濃い茶色の犬で「シロ」は名前の通り真っ白だった。

こうして、朝一番に外へ出て、犬の名前を大声で呼ぶのが、洋太の日課になっていた。そして犬たちは、餌などもらえないことは、わかっているはずだったが、毎朝懸命に、洋太の元に走って来た。その姿が洋太にはとてもいじらしく思えた。

 5匹ともシッポを振りながら、洋太の前にとどまっていたが、洋太はいつも通り、ウルトラの喉のあたりに手をやって、なでてやった。最初に面倒を見るようになった犬であったこともあるのだろうが、洋太はウルトラが一番好きで、ウルトラをまるで友達のように感じていた。ウルトラはいつものように静かな目で洋太を見た。ウルトラを見ていると、穏やかではあるが、人間に飼われずに生き抜いている強さたくましさ、そして、何か犬としての誇りのようなものを、洋太は感じることができるような気がした。


学校から帰ってきた洋太は、遊び仲間の「かよっぺ」「 のっぺ」「ピッコロ」と、立ち並ぶ寮のひとつに向かっていた。

「かよっぺ」は、洋太より一つ下の女の子で、同じ寮の2階の北側の部屋に、母親と二人で暮らしていた。かよっぺの母親は、目つきが鋭く、髪の毛にはくるくるのパーマがかかっていて、よく煙草を吸っていた。特に厳しく怒られたりしたことはなかったのに、何故か子供達は皆、かよっぺの母親を怖がっていた。

「のっぺ」は、洋太より2歳年上の男の子で、やはり同じ寮の二階の南側の部屋に、両親、年の離れた兄と住んでいた。無口で無表情な少年で、洋太はほとんど、のっぺが話すのを聞いたことがなかったし、笑う顔も見たことがなかった。何故か、年下の洋太の後に、まるで子分のようにくっついてきて、黙って行動を共にしていた。

 のっぺは、洋太達と一緒にいると居心地が良いようだった。洋太も、のっぺがいると何となく気持ちが落ち着き、たまにいないことがあると、何か物足りない、ちょっと寂しい気持ちになった。のっぺは、いつも鼻水を垂らしていて、時折その鼻水が、数十センチも伸びることがあったが、それを巧みに吸い戻す類い希な技術を身につけていた。

 一度、みんなでしゃがんでいた時に、のっぺの鼻水が垂れ、地面に触れた。だがその時も、のっぺは見事に吸い戻し、鼻水の先端に土がついていた。みんながそれに気づき、驚きと感動の眼差しでのっぺを見たが、のっぺは自分では気づいていないのか、何事もなかったように平然としていた。

「のっぺ、鼻水に土が付いてるよ」

と洋太が言うと、のっぺは珍しくニヤッと笑った。

「ピッコロ」は、洋太の2歳年下で、洋太の住む部屋の斜め向かいに建つ、平屋の一軒家に両親・兄・祖母と暮らしていた。ピッコロの家には、洋太の住む寮のどの部屋にもない電話が引かれ、洋太の家族はよく呼び出しで電話を使わせてもらっていた。洋太はよくピッコロの家に遊びに行き、時にはピッコロの家でいっしょに風呂にも入った。ただピッコロは口が達者で、ピッコロの家の屏を挟んで、よく洋太と悪口を言い合う、口げんかの相手でもあった。だが、普段はまるで洋太の召使いでもあるかのように従順で、洋太の言うことには何でも従った。


目的の寮に着いた。そこは立ち並ぶ寮の中でも唯一の独身寮で、どこかの会社の若い社員のために食堂が置かれ、調理場が一階の西側にあり、そこを目指して、洋太達はやって来たのだった。4人の後ろには、5匹の犬が控えていた。

洋太はいつものように、調理場の外に面した引き戸を少し開けて叫んだ。

「すいません、残飯ください!」

「おお、いいよ。好きなだけ持ってけ!」

中の調理人が答えた。

「ありがとうございます」

洋太はそう言って引き戸を閉め、外に置いてある水色の大きな残飯入れの蓋を開けた。

「おお!今日は大漁だ!」

いつもは残飯入れの中身はほとんどがお茶っぱだったが、その日は珍しくコロッケかメンチカツのような揚げ物をはじめ、エサになりそうなものがたくさん入っていたのだった。

男3人が、かよっぺの方を見た。そして、洋太が言った。

「かよっぺ、頼むよ」

「なんで私がやんなきゃいけないのよ。みんなでやろうよ」

かよっぺが言い返した。

「だって、かよっぺ、女だからうまいだろ」

そう、洋太が言うと、のっぺとピッコロもうなずいた。

「そんなの関係ないよ。ずるいよ、みんなでやるの!」

そう言われて、仕方なく男3人も、かよっぺといっしょに残飯入れに手を入れて、エサになりそうなものを、嫌々つまみ出して、犬たちの前に置いた。犬たちは大喜びで、必死に食べ始めた。しかし、一度取り出した後、3人は黙って残飯入れの前に突っ立っていた。

「もう、しょうがないな」

かよっぺはそう言うと、いつものようにひとりで、次々に手際よく残飯を取り出した。

「さすが、かよっぺ!」

洋太はそう言った後、本当に小さな尊敬の気持ちを抱いて、かよっぺの姿を見た。



「ぼく、ソース買ってきて。」

 洋太の母親が、いつものように洋太にソースの容器を渡しながら言った。

「はい、わかった」

 洋太はそう言って、容器を受け取った後、家を出た。

もう夜で、外は真っ暗だった。向かう先は、寮の玄関からわずか数十メートルの所にある乾物屋だったが、洋太は必死に全速力で走った。というのは、少し前に吉展ちゃん誘拐事件という、小さな男の子が誘拐され殺害されるという悲惨な事件があり、マスコミも大きく取り上げ、親からも学校でも注意するように、何度も言われていたからである。

洋太の胸の中は、正直、怖いという気持ちでいっぱいだったが、心強い味方もいてくれた。それは、5匹の犬たちだった。

「いざとなれば、呼べばすぐに駆けつけて助けてくれる」そう思うと安心できた。

 無事、乾物屋に着いた。そして、いつものように

「ソース、濃いのと薄いの混ぜて一合ください」そう言って、容器を手渡した。

「はいよ。」

乾物屋のおばさんはそう言うと、一合枡に二本の一升瓶から、半合ずつ濃いソースと薄いソースを混ぜ入れた。そして、漏斗を使って手際よく、一合升からソースの容器にソースを移し入れ、容器を洋太に手渡して言った。

「おつかいして偉いね、洋ちゃん。気をつけて帰るんだよ」

「はい」

 とだけ答えて、洋太はまた走り出した。走ったのはほんの数十秒だっただろうが、洋太にはもっとはるかに長い時間に感じられた。電気のついている寮の玄関に入ると、胸をなで下ろした。



季節はもう冬になっていた。その日、洋太とかよっぺの二人だけで、洋太が持っている数少ないおもちゃの一つであるカエルのおもちゃで遊んでいた。数センチのゴムのカエルに細い数十センチのチューブが付いていて、さらにその先にたまごのような形をした空気を送り込むゴム製の部品が付いていた。そしてその部品を二本の指で押し込むと、カエルがジャンプするという単純なおもちゃであった。

しばらくすると、時々この辺りにやって来ては、小学生をからかったりいじめたりする中学生の2人組が、洋太達の前に現れた。

「おい、ちょっとそのおもちゃ貸せよ」

ひとりが言った。

「やだよ」 洋太が答えた。

「いいから、貸せ」そう言うと、無理やりカエルを取り上げた。

「返せ!」洋太はそう叫んで、中学生に向かって行って、中学生の腕を掴んだ。

「なんだ、このチビ。生意気だ」

そう言うと、洋太の腹を殴った。

勿論、力一杯殴ったわけではないだろうが、軽く殴られても、腹は痛みを感じるところであったし、中学生と小学校一年生の体力差もあって、洋太はその場にうずくまった。さらに、一人が後ろから洋太の脇の下に手を入れて体を起こし、もう一人が洋太を叩こうとした。すると、かよっぺは、地面にあった練炭が燃え尽きた後の灰の固まりをつかみ、中学生に向かって投げつけた。ちょうどそのあたりは、寮の住人が火鉢などで使った練炭の灰の捨て場だったのだ。だが、中学生は洋太の体を盾にして避けたので、練炭は洋太に当たってしまった。

その時だった。ものすごい勢いで走り寄ってくるものがあった。ウルトラ達5匹の犬だった。5匹は激しく二人の中学生に向かって吠えかかり、驚いた中学生は洋太から手を離し、逃げ去って行った。


次の日、朝から洋太は布団の中にいた。中学生に殴られた腹がまだ痛み、学校を休んだのだった。

夕方4時頃だったろうか、洋太の部屋のドアをノックする音が聞こえた。母親が応対し、来客と2、3言葉を交わした後、洋太を手招きした。行ってみると、きちっとしたスーツを着た40歳前後の男性が立っていた。髪は短く顔は日焼けしていて、ごっつい体格の実直そうな人であった。そして、その横には昨日の二人の中学生が立っていた。その男性は中学校の先生だった。母親が、中学校に抗議の電話を入れたのだった。

「この度は、本当に申し訳ありませんでした」

と、母親に向かって言った後、先生は洋太の方に顔を向けて言った。

「ごめんね。こんなことは二度とさせないからね」誠意のこもった口調だった。

洋太は、だまってうなずいた。

 「おい、おまえ達もきちんとあやまれ!」

すると、二人の中学生はうつむきながら言った・

「どうもすいませんでした」

母親は、中学生に厳しい言葉を投げかけた後、先生に丁寧にお礼を言った。

この後、中学生達が、洋太達の遊んでいる所に姿を現すことは二度となかった。 


ものすごい犬の鳴き声を聞いて、洋太はベランダから外へ飛び出した。いつもの遊び仲間も次々と集合してきた。そして、大人達も外に出て来る者もあれば、窓から身体を乗り出して見ている者もあって、総勢三~四〇人が、その光景を驚きの表情で見つめていた。

Qとデカパンが喧嘩をしていたのだ。勿論その原因はわからなかった。喧嘩といっても、Qは、がっしりしていて身体もはるかに大きいデカパンの敵ではなかった。一方的に噛みつかれ、耳の付け根をはじめ、身体のあちこちから血を流していた。そして、二匹ともこれまでに聞いたことないような激しく大きな鳴き声をあげていた。洋太は犬同士の喧嘩はしょっちゅう見ていたが、それはこれまでのものとは全く違っていた。普段喧嘩だと思っていたものが、実は単なるじゃれ合いにすぎなかったことにはじめて気づいた。

 大人達も何もできず、恐怖に引き攣った顔で、ただその光景を眺めていることしかできなかった。その時、デカパンとQの間に割って入って来るものがあった。ウルトラだ。すると、さっきまでの喧嘩がうそのように静まり、デカパンもおとなしくなったのだった。

 こうして喧嘩は無事収まったが、この喧嘩が、犬たちの運命を大きく変えてしまうことになるとは、その時は誰も気づいていなかった。


「大変だ!ウルトラ達が保健所に連れて行かれた」

 かよっぺが学校帰りの洋太に向かって叫んだ。デカパンとQの喧嘩があった翌日のことだった。喧嘩を見て恐怖心を抱いた、同じ寮の住人の一人が通報したのだった。洋太とかよっぺ、ピッコロとのっぺの四人は、すぐに集合し全速力で走って保健所に向かった。

保健所までの距離は寮から一〇〇メートルもなかった。四人が保健所に着くと、小さなトラックがまさに保健所を出て行こうとしていた。トラックの荷台は檻になっていて、ウルトラ達を含め十匹ほどの犬が入っていた。洋太達がトラックに近づくと、ウルトラ達も気づき、檻の中を移動して洋太達の方に寄り、いつものようにシッポを振りはじめた。

洋太達は皆、保健所に捕まった犬は殺されてしまうと聞かされていた。四人の目には涙があふれていたが、ウルトラはいつもの穏やかで静かな目で四人を見ていた。

 トラックの運転手はエンジンを切りその様子を見ていてくれたが、しばらくすると言った。

「ごめんね、僕たち。そろそろ行かないといけないんだ」

四人は黙ってうなずいた。トラックが動き出すと、かよっぺが大声で泣き声をあげながら、走ってトラックを追いかけた。残った三人は、檻越しにこちらを見ている犬たちの姿をじっといつまでも見ていた。


学校から戻ると、洋太はすぐに寮のすぐ横にある犬小屋に向かった。そこには、子犬のシーラがいた。他の犬は保健所に連れて行かれたが、シーラだけはまだ小さいので、犬小屋にちゃんと繋いでおくという約束で、助けられたのだった。

 いつもの3人と近づいて、撫でてやったが、いつもあれほどじゃれついてきていたシーラが、4人を見ようともせず、顔を地面につけてぴくりともしなかった。昨日、ブリキの器に入れておいた餌も、全く口をつけていなかった。4人が何をしても、シーラは何の反応も示さなかった。

そんな日が何日か続いた後の、寒い冬の朝のことだった。その日は日曜日だったが、シーラのことが気にかかり、朝起きるとすぐに、様子を見に行った。洋太がシーラに触れると、身体が冷たく硬くなっていた。いくら激しく揺すっても、シーラは目を開くことはなかった。洋太の目に涙が溢れてきた。


犬小屋から、5メートル位離れたところに、4人は穴を掘っていた。地面は固くなかなか掘り進まなかっが、4人で交代しながら、何とか50センチくらいまで掘ることができた。その穴の底に、シーラの身体をそっと横たえた。そして、寮の前にあるお菓子屋で、いつも交代で十円で買っては、みんなで分けて食べていた小さな揚げせんべいを買った。その日は、二十円分買ってシーラの身体の上に置いた。そのせんべいはシーラの大好物だったからだ。

その上から土をかけていくと、だんだんとシーラの身体が埋まって見えなくなっていき、ついに完全に見えなくなった。元気にじゃれ回っていたあのシーラが、固く冷たくなって土の下に埋まっていた。四人は目をつぶって手を合わせ、しばらくそこに座り込んでいたが、一言も言葉を交わすこともなく、それぞれの家に帰っていった。


ウルトラ達のことは、長い間、洋太の心に悲しい思い出として残っていた。その気持ちが変わったのは、何年も経ってある映画を観た時のことだった。

それは「猿の惑星」という映画で、地球を飛び立った宇宙飛行士がある惑星に着陸するというストーリーだった。そこは猿が支配する惑星だったが、実は遠い未来の地球だった。宇宙船は光速に近い速度で飛行していたため、宇宙船の内部では時間が経つのが遅くなり、結果的に、タイムマシーンに乗って未来に移動したのと同じことになっていたのだ。その惑星では、猿が人間をも支配し、人間の中には猿にペットとして飼われているものもいた。捕らえられた宇宙飛行士も、ペットとして善良な猿に飼われることになり、大切にされる。

 だが、そのシーンを観た洋太は、宇宙飛行士がとてつもなく惨めに見え、まるで自分のことのように悔しい気持ちになった。どんなに大切にされようと、檻に入れられ、同じ人間と自由に行動することもできない生活は、人間としてのプライドを奪われた、この上なく屈辱的なものだった。

 ウルトラ達の一生は、ろくに食べるものもなく、短い一生だったかもしれない。でも、同じ犬の仲間と走り回り、誰からも束縛されず、自由でとても幸せなものだったのではないかと、洋太はその時はじめて思った。あの幼くして死んでいったシーラの一生でさえも。

 その時から洋太にとって、ウルトラ達との思い出は、少しずつ、楽しく懐かしい思い出へと変わっていった。






洋太は、少し開けられた窓の隙間から入ってくる涼しい風で目を覚ました。急行能登は、信越本線を経て北陸本線へと入っていた。右手には、初めて見る日本海が広がっていた。田畑や山々の木々を通ってきた風は、まるで、都会にいた洋太の身体を清めてくれるかのように、心地良く車両を吹き抜けた。しばらく風に当たりながら、昇ったばかりの朝日に照らされた景色を眺めていたが、いつの間にか、再び眠りについていた。


6時53分能登は金沢駅に到着した。洋太は、駅弁とプラスティックの容器に入ったお茶を駅のホームで買い、福井県の東尋坊に向かうため、列車を乗り換えた。席に座り、早速、弁当箱の紐を解いて、薄っぺらな木の弁当箱の蓋を開け、弁当を食べ始めた。初めて食べる駅弁は予想以上に美味く、空きっ腹の洋太の胃袋も心も癒してくれた。

 

 洋太は、東尋坊とその先に広がる日本海を眺めていた。険しい岩壁が続き、最も高い場所で約25メートルの垂直の崖がある。東尋坊を構成する岩は、安山岩の柱状節理で、これほどの規模を持つものは世界に3カ所しかないそうで、地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物および名勝に指定されている。

 地名の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って、此処から突き落とされた勝山市平泉寺の僧の名前によるということだった。そのことに加えて、自殺の名所としても有名だったので、美しい景色や晴れた空とは裏腹に、洋太の孤独感は増す一方だった。

 東尋坊を見終えると、小さな食堂に入り、テレビの高校野球の中継を観ながら、ラーメンを食べ始めた。洋太は、旅に出たことを後悔し始めていた。

「家で、のんびりゴロゴロしながら、テレビで、この高校野球でも観ていた方がましだったな。もう帰るかな」そんなことを考えはじめていた。だが、予約したユースホステルや、せっかく高い金を出して買った周遊券のことを考えると、その考えは諦めざるを得なかった。ラーメンを食べ終えると、その日宿泊する永平寺の前にあるユースホステルへと向かった。






その日、洋太は母親に手を引かれ、歩いて2~3分ほどの所にあるマーケットに来ていた。そこは一つの平屋の大きな建物の中に、八百屋・魚屋・肉屋・乾物屋・菓子屋・洋品店・文房具屋をはじめ、様々な店が入っていた。そこに来れば大方のものは手にはいり便利なので、多くの人が買い物に来ていて、いつも、人とぶつかりながら歩かなければならないほど、ごった返していた。母親はいつも洋服の生地や毛糸を売っている店に入り、そこで、長時間時間を過ごした。洋太は買い物についてくるのは好きだったが、その店で過ごす時間はとても退屈で、長く感じられた。

 しかし、数年後、同じそのマーケットは全く違った場所になっていた。すぐ近くにスーパーがオープンしたのだった。あれほど人で溢れかえっていた場所が、いつ訪れても、ほんの数人の客しか見ることのできないさびれた場所に変わり果ててしまっていた。そしてしばらくすると、数軒の店が居酒屋へと変わり、新たに商売を始めていたが、それ以外の多くの店は閉店しシャッターが閉まっていた。




教室の洋太の後の席は、美津という女の子の席だった。同級生の一年生の時の顔など、大人になるころには、ほとんど記憶に残っていなかったが、その女の子の、ある時の表情だけは、それから何十年経っても、洋太の記憶の片隅に、深く鮮明に刻み込まれていた。

その女の子は、洋太の寮と同じような古くて汚い寮に住んでいた。ちょうど「サザエさんのワカメ」のようなおかっぱ頭に、涼しく澄んだ目を持ち、整ったきれいな顔立ちをしていた。物静かで、ほとんど自分から話すことはなく、たとえ話しても、蚊の鳴くような声で、聞き取るのが難しかった。洋太は、その女の子が笑う顔を一度も見たことがなかった。


その日は、給食費の集金の日だった。クラスの子供達は皆、集金袋を持って、教室を出て行った。だが、美津ちゃんだけは、教室の自分の席に座ったままだった。給食費を払い終えて戻ってきた一人の男子が美津ちゃんに言った。

「おまえ、また給食費払わないのか。ずるいな。おまえの父ちゃん、酔っぱらって、階段から落ちて死んだんだろ」

すると、他の男子も美津ちゃんを囲むように集まり、手拍子を取りながら歌うように、声を揃えて言った。

「美津の父ちゃん、酔っぱらって、階段から落ちて死んだ」

 洋太も面白がって仲間に加わり、いっしょに声を上げた。美津ちゃんは、座ったまま黙って下を向いていたが、やがて、目から大粒の涙がこぼれだした。だが、一切泣き声は上げず、涙の粒だけが、美津ちゃんのスカートに落ちた。洋太は、美津ちゃんのその表情を見た瞬間、口を閉じてその場から離れた。

 

 その後、美津ちゃんの泣き顔が、洋太の心に何度も浮かんだ。その度に、胸が締め付けられような思いを感じ、美津ちゃんを喜ばせて笑顔にするために、何かしなければいけないと思った。だが、何をしたら良いのか思いつかず、実行するのは難しかった。そして、それが実現されないまま、美津ちゃんはまもなく転校していった。



 

洋太は、母親の使うミシン用の椅子にまたがり、ちょうど馬に乗っているかのように、椅子を前後に傾けていた。

家に来ていたピッコロのお母さんが驚いて叫んだ。

「あぶないよ。洋ちゃん」

前にも後ろにも、いつひっくり返ってもおかしくない、ぎりぎりの角度まで椅子を傾けていたのだ。

「大丈夫よ。いつもやってるから」

洋太の母親があっさり言った。実際一度もひっくり返ったことはなかった。

ピッコロのお母さんが、いつものように二時間以上長話をして、ようやく帰ってくれた。

洋太はホッとして、これも、いつもやっている洗濯ばさみの遊びを始めた。縦長の木製の洗濯ばさみの表面に、マジックで番号が書かれていた。洋太の中では、番号によって正義の見方と悪者が別れていて、一人芝居で正義の味方と悪者を戦わせた。母親はその様子をニコニコしながら見ていた。これはピッコロのお母さんの前ではできない遊びだった。

一時間ほどその遊びをして飽きると、洋太は家の平面図を描き始め、出来上がると、いつものように誇らしげにその図面を見せた。

「おかあさん、僕が大きくなったら、こんな家に住ませてあげるからね」

 その家は、二階建てで、大きな風呂や台所などがあり、全部で十以上も部屋がある大邸宅であった。

「ありがとう」母親は、微笑んで言った。

ちょうどその時、ポンせんべいを売る屋台の呼び声が聞こえてきた。すると、母親は

「ポンせんべい頼んできて」と言って、袋に入った米を洋太に渡した。


「この米で、ポンせんべいお願いします」

洋太はそう言って、米の入った袋を、黒ずんだ軍手をはめた手に手渡した。米を持って行った方が、材料費の分安くなるのだ。

「順番で焼くから時間かかるよ。家に帰って三十分くらいしたら、またおいで」

洋太はそう言われたが、おじさんがせんべいを焼くのをじっと見ていた。長い柄のようなものの先に、丸いせんべい型の部分がついた金属製の道具を使って、おじさんはせんべいを焼いていた。丸い部分に米を少し入れ蓋をして、屋台の火にかざした。そしてしばらくすると「ポン」と大きな音がして、せんべいが焼き上がった。その繰り返しを、ずっと洋太は見続けた。

「ほら、一枚食え」

そう言って、おじさんは洋太に焼きたてのせんべいを手渡した。ほっぺたが落ちそうになるくらい美味しかった。

 そして、おじさんの言った通り、三十分ほどすると、洋太のせんべいが焼き上がった。

「ほら、おまけだ」おじさんは、三枚ほどせんべいを余分にくれた。

「ありがとう、おじさん」

洋太はそう言って、新聞紙の袋に入ったせんべいを、宝物のように抱きかかえて、家に向かって走り出した。せんべいの暖かさが洋太の胸に伝わった。




ある日、洋太の父親が、新品のグローブを買って家に帰ってきた。めったにおもちゃを買ってもらえることはなかったのに、子供が初めて買ってもらうには高級過ぎるグローブだった。友達の誰のものよりも良いものだった。父親は、グローブオイルも一緒に買って来ていた。そのオイルを入念に、自分でグローブに実際に塗り込みながら、洋太に塗り込み方を教えた。

 かなり時間をかけたその作業が終了すると、二人はベランダから外に出て、家の前でキャッチボールをはじめた。初めてグローブを手にした洋太に、父親は腰から上のボールの取り方、腰から下のボールの取り方、必ず両手でボールを取るようにすることなどを、一つ一つ丁寧に教えた。そして緩いボールを何度も投げては、洋太にキャッチさせた。

 父親は酒に酔うといつも同じ話を繰り返したが、その中の一つが野球についてのものだった。昔勤めていた会社の野球チームで、自分はエースピッチャーだったと耳に胼胝ができるほど聞かされていた。洋太は父親が誇らしげに話すその話を聞くのにうんざりしていた。でも、初めてするキャッチボールは思いの外楽しく、取り方を熱心に教えてくれた父のその姿は、それから何十年経っても、洋太の目に焼き付いていた。


洋太の住む寮の裏口のそばに、幅20メートルほど縦50メートルほどの空き地があった。空き地と言っても原っぱなどではなく、新しく建設された鉄筋コンクリートの4階建てのアパートと昔からある寮の間のスペースであった。そこで、よく中学生達がソフトボールをしていた。そこは野球場のような広さはないので、三角ベースで、それぞれせいぜい4~5人でチームを作り試合をしていた。2年生になった洋太は、何度もグローブを持ってその空き地に行き、中学生達が試合をするのをじっとずっと見ていた。

そんなことが5~6回続いただろうか。中学生の中のひとり、みんなから「まっかちゃん」と呼ばれている、一番年上でリーダー格の少年が洋太に声をかけた。

「いいグローブ持ってるな。入りたいのか」

 そうきかれて、洋太は、嬉しさで胸の鼓動が高まるのを感じた。そして、大きくうなずいた。

 だが「かっちゃん」と呼ばれている唯一の小学生が言った。

「こんなチビ無理だよ。まっかちゃん」

 かっちゃんは小学生といってももう6年生で、他の中学生と身長はほとんど変わらず、何人かの中学生よりも大きかった。

「ピッチャーなら大丈夫だろ」

まっかちゃんがそう言うと、それ以上反対するものは誰もいなかった。洋太が仲間に入れたのには、もう一つ理由があったのだ。その空地の奥には、コンクリートの柱からなる高さ2メーターほどはある屏が立っていた。その屏の後には、保健所・支役所などの施設があり、その屏が野球場のフェンス代わりで、そこを打球が超えればホームランということになっていた。

問題は、ホームランが出ると、ボールを取りに行くのに、屏沿いを通って支役所の門から入り、ずっと回り道をする形で数百メートルは歩かなければならないことだった。その間、最低5分くらいはプレーが中断した。しかし、コンクリートの柱の隙間のいくつかは、洋太のような小さな子供が、うまく頭の角度を調整すれば、通り抜けることができたのだ。ホームランが出ると、洋太は通り抜けできる柱の位置や高さを入念に選び出し、頭の角度を微妙に調整し、通り抜けてボールを取りに行った。簡単に通り抜けられないこともよくあったが、それでも回り道をして取りに行くよりは、はるかに時間を短縮できた。その点で、洋太は中学生達にとって貴重な存在だったのだ。

 まっかちゃんが決めた通り、洋太の守備位置はピッチャーになり、ソフトボールなので、下手投げで緩いボールを投げた。ストライクが入らないことが続くと、ホームベースに近づいて投げるように言われたが、何とかピッチャーの役割を果たした。そして、たまに飛んでくるピッチャーゴロなども、何とかさばき、送球がうまくできたときはアウトにすることもあった。バッティングもさせてもらえたが、中学生達の使うバットは洋太にはあまりにも重く、短く持っても当てるのが精一杯で、ボテボテのゴロしか打つことができなかった。それでも必死に一塁に向かって走り、たまにではあるが、セーフになることもあった。

 メンバーは、他に「でぶちゃん」と呼ばれる、かっちゃんの兄の中学二年生がいた。その名の通り、太っていた。そして「ひでちゃん」と呼ばれる、中学三年生とその弟二人、それに、以前洋太をいじめた中学生二人も時々加わった。その二人は、まっかちゃん達の前では、まるで子分でもあるかのようにおとなしく、洋太には別人のように思えた。

そのメンバーの中で、目立っていたのは、でぶちゃんのバッティングだった。そのパワーはすさまじく、高く舞い上がるホームランをよく打ち、ゴロを打っても、打球は驚くほど速かった。

 だが、そのでぶちゃんをも凌ぎ、別格のプレーをするのがひでちゃんだった。ほとんど毎打席ホームランで、その打球は弾丸ライナーであり、飛距離もデブちゃんをはるかに超えていた。すごいのは打撃だけでなく、守備でも難しい打球を軽々とキャッチし、ホームランになりそうな打球も、屏際でジャンプしたり、屏によじ登ったりして掴んだ。そしていつもは、洋太が屏の隙間を通って取りに行くボールも、時々、屏を簡単に乗り越えて取りに行ってくれた。そんな芸当をやってのける、すばらしい身体能力を持った中学生は他にはいなかった。いつも怖い顔をしていて無口だったが、洋太にとってはヒーローのような存在で、いつか自分もあんなふうになりたいと思っていた。


ある日、洋太達がいつものようにソフトボールをしていると、小太りで少しお腹の出た五十歳は過ぎているだろう男性が、鉄筋のアパートの階段を駆け下りてきた。

 そして、くりくりした目を輝かせてほほ笑みながら、

「一発、打たせてよ」と、言った。

「いいよ」と、まっかちゃんが答えた。

男性は、相変わらずニコニコしながら、バットを借りて構えた。腕は太く、もじゃもじゃの毛に覆われていた。ピッチャーの洋太がボールを投げると、一球目は明らかなボールだったので、ゆったり見逃した。そして、二球目をを投げると、一瞬鋭い目つきに変わり、スイングした。ものすごいライナーが飛んでいき、あっという間に塀にぶち当たった。

 みんなから、「すげー! 」という歓声があがった。

 その男性は、両脚の間の太腿の辺りに、バットを挟み、手で持った部分の汚れを落とすかのように、ズボンで丁寧に拭った。そしてバットを手渡しながら、

「ありがとう。気持ち良かったよ」と、相変わらず笑顔で言うと、走り去っていった。

後で知ったことだが、その男性は、以前高校野球の監督をしていて、甲子園にもチームを導いたことがあるような名監督で、監督を退いた後は、プロ野球のスカウトをになっていたということだった。

 その後も何度か、その男性は階段を降りてきては、バットを一降りした後、仕事に向かった。少年達の目には、その打球のすごさよりも、はるかに年上のおじさんが子供のように楽しそうにバットを振る姿と、バットを宝物のように大切に扱う姿が焼き付いた。


 その日、いつものように洋太はソフトボールのピッチャーをしていた。すると、かっちゃんが、

「おい、ちゃんとストライク投げろよ」

と、怒鳴りつけるように言った。ボール球が何球か続くといつも、かっちゃんはそうやって洋太を怒鳴りつけた。その声は、楽しいソフトボールを、恐怖でこの上なく嫌なものに変える声だった。

その日は、いつもより調子が悪く、厳しく怒鳴られれば怒鳴られるほど、緊張で硬くなりコントロールが乱れた。

「お前みたいに、へたくそなチビがいると、迷惑なんだよ。帰れよ」と、さらに厳しい口調で、かっちゃんが言った。洋太は、涙をこらえながら投げ続けた。しかし、コントロールはますます乱れるばかりであった。

「帰れって言ってるだろう。早くしろよ」

 洋太の目に涙が溢れてきた。ボールを足下に置くと、家に向かって全速力で走り去った。家の前に着くと、外のベランダの陰にしゃがみ込んで、腕で顔を覆い隠しながら声をあげて泣いた。涙が止まらなかった。

五分か十分経っただろうか。相変わらず洋太がベランダの陰に座り込んで泣いていると、足音が背中の方から聞こえてきた。一人の足音ではなかった。

「洋太」

と呼ぶ声が聞こえた。まっかちゃんの声だった。洋太が顔を上げると、そこには、まっかちゃんに腕を捕まれたかっちゃんをはじめ、ソフトボールをしていたメンバーが全員立っていた。

「おい、洋太に謝れ」

まっかちゃんが言った。かっちゃんは、顔を真っ赤にして下を向いたまま何も言おうとしなかった。すると、いつもほとんど口をきかないひでちゃんが、低くゆっくりした口調ではあるが、威圧感のある声で言った。

「謝れ」

「洋太、ゴメン。もうあんなこと言わないから、いっしょにやろう」

 洋太は、しゃがんだまま小さくうなずいた。


洋太は、まっかちゃんの家にいた。その日のソフトボールは打ち切りになり、まっかちゃんが洋太を家に連れて行ったのだった。ソフトボールをやっていた空地から歩いて5分くらいの、二階建ての一軒家で、一階にまっかちゃんの部屋があった。部屋の南側には縁側があって、二人はそこに腰かけた。縁側の南側にはちょっとした庭があり、西に傾きかけた太陽が、柔らかな秋の日差しを注いでいた。

 まっかちゃんは、本棚から切手帳を3冊、切手カタログを一冊出してきて、縁側の板の上に置いた。そしてページを開いて、そこに挟まれている切手の一つを指さしながら言った。

「この切手、すごい値打ちがあるんだぜ」

そう言うと、その切手が載っているカタログのページを開いて見せた。確かに、切手に印刷されている金額の百倍以上の額がカタログには記載されていた。

「すごいね!」洋太は目を丸くして叫んだ。

 実は洋太も、当時の多くの子供達同様、切手を集めていた。いや正確には、母親が集めていて、それを分けてもらっていた。記念切手が発売される日には、朝早く起きて母親と郵便局の前に並んだ。冬などは、まだ暗い、日の出前から並ぶこともあった。身体の芯まで冷え切るような寒さであったが、多くの人で長い列ができていた。洋太は三分の一くらいは辛く並びたくないという気持ちだったが、三分の二くらいは、新しい切手を手に入れるのが嬉しくて、わくわくしていた。そして、朝早く並びに行くということが、何か特別なイベントのように感じられて楽しかった。

 まっかちゃんのカタログで、自分の持っている切手の価値を調べてみた。洋太が持っているものは、比較的新しいものばかりで、あまり価値のあるものはなかった。でもいつかきっと、自分が苦労して買った切手も高く売れる日が来るに違いないと思うと、洋太の胸は弾んだ。

 空が、夕日で赤く染まりはじめていた。洋太が庭に目をやると、木でできた小屋のようなものが目に入った。

「まっかちゃん、あれ何?」

「鳩小屋だよ。見たいか?」

「うん、見たいな」

「よし、じゃあ、見せてやるよ」

 その小屋は2階建てのようになっていて、二人が梯子を登っていくと2階部分に鳩がいた。とても狭く臭いにおいがして、初めて入る鳩小屋は、不思議な世界だった。

 まっかちゃんは、その中の一羽を両手でそっとつかんで、外に飛び立たせた。洋太は驚いて尋ねた。

「逃げちゃうよ」

「大丈夫だ。ちゃんと戻ってくるよ」

 二人はしばらく、夕焼け空に羽ばたく鳩を見ていたが、だんだん小さくなり、ついに見えなくなった。

「おっ、卵生んでるぞ」まっかちゃんはそう言うと、卵を手に取り、洋太に持たせた。

「あっ、あったかい」

「うん、まだ産みたてだ」

 店で売っているニワトリの玉子や、洋太の家でよく買う安いうずらの卵以外の卵に、触れるのはもちろん、見るのも初めての経験だった。洋太は卵を持ったまま、しばらくじっと座って、その中に入っているだろう雛の姿を想像していた。そんな洋太の姿を見ながら、まっかちゃんが、静かな口調で言った。

「おまえは、俺の小学2年生の時より、ソフトボール全然上手だぞ。頑張れば、ひでちゃんみたいになれるかもしれないな。」

 そして、洋太の頭に手をのせて言った。

「もう暗くなってきたから、そろそろ帰るか?」

 洋太は大きくうなずき、二人はもう暗くなってはっきりとは見えなくなってしまった梯子を、慎重にゆっくりと降りた。

帰り道の空は、西の方がかすかに赤く染まっているだけで、頭上の空はもうすっかり暗くなっていた。洋太の胸の奥にあった暗くて重たい塊が、解きほぐされ軽くなっていった。そして小さな胸に、小さな自信が芽生えていった。


 洋太は次の日から、それまでと変わらずソフトボールに加わった。その後もしばらく、洋太や中学生達、そしてたまに飛び入りで参加するおじさんのソフトボールは続いた。

 しかし、ある時を境にしてぷっつりと行われなくなった。と言うよりも、できなくなってしまった。新しい鉄筋コンクリートのアパートを建設するために、北側にあった古い寮の取り壊しがはじまったのだ。空き地はなくなり、洋太がまっかちゃんやひでちゃんと会うことも、いつしかなくなっていた。




洋太とかよっぺは、池に来ていた。南部線武蔵小杉駅の南側、東横線武蔵小杉駅の西側に、駅に接するようにしてある南部池という池だ。

池の手前に古い木造の小屋があり、そこで十円を払うと、池で遊ぶことを許可された。

洋太達は、時たまそこに来て、アメリカザリガニなどを取って帰った。その日は珍しく、他のメンバーがいっしょに遊べなかったので、かよっぺと二人ではあまりすることもないので、池にやって来たのだった。

 もう秋も深まってきていて、青い空を背景にしていわし雲が浮かび、渡り鳥の群れがきれいに形を整えて、先を急ぐかのように、高い空を飛んでいた。池からは、ホームが一階にある南部線の乗客がすぐ近くに見えた。東横線は高架になっていて南部線の上を通っていたため、ホームも二階にあったが、隙間から乗客の姿の一部が見えた。南部線のこげ茶色の電車や東横線の蝶の幼虫の青虫のような電車が、頻繁に行き来し、発車ベルの音が忙しく鳴り響いていた。

 最初、洋太とかよっぺは二人でアメリカザリガニを見つけて、捕まえた後、手で持って遊んでいた。しばらくすると、かよっぺはその遊びに飽きたのか、洋太の傍を離れ、五~六メートル離れた所にある木でできた、縁側のようになっている場所に移動した。そこは釣りなどをする時に使うのだろうか、池から二メートル位の高さがあり、水際から池に向かって張り出すように作られていた。

洋太が、かよっぺの様子を見ようと、ちらっと横を向いた瞬間だった。かよっぺが下の池に向かって落下していく姿が、スロービデオのように映し出された。縁側の木が腐っていて折れ、空いた穴から落ちたのだ。水しぶきがあがり、泥がはね上がり、かよっぺの大きな鳴き声が響き渡った。洋太は急いで池に入って、かよっぺに駆け寄った。幸い、水の深さは膝くらいまでしかなく、溺れる心配はなく、大きな怪我もしていなかった。

だが、かよっぺが泣き止む気配は全くなかった。洋太は、小屋の人に簡単に状況を説明すると、服や手足が泥まみれになり、びしょ濡れになったかよっぺをおんぶして、寮に向かった。かよっぺはまだ小さく体重も軽かったが、洋太もまだ小さく、歩いて五分くらいの距離だったが、途中何度も立ち止まって休憩した。

帰り道、洋太の頭の中に、ある人の顔が浮かんで決して離れようとしなかった。かよっぺのお母さんだ。

「泥だらけ、びしょ濡れになって大泣きしているかよっぺといっしょに帰ったら、自分がいじめたに違いない、とかよっぺのお母さんは思うだろう」

この状態で、鋭い目つきをした恐ろしいかよっぺのお母さんの前に、さらされることを想像するだけで、洋太は怯え、憂鬱な気分になった。

「せめて、泣き止んでほしい」洋太は祈るような気持ちだった。

寮の玄関にたどり着くと、幸か不幸かちょうど買い物に行こうとしていた、かよっぺのお母さんに出くわした。悲惨な状態のかよっぺを背負った洋太を目に前にして、予想通り、かよっぺのお母さんは、いつものくるくるのパーマがかかった頭に鋭い目つきで、洋太を睨みつけた。ひとつ救いだったのは、もう、かよっぺが泣き止んでいたことだった。

洋太は、詳しく何があったかを説明した。かよっぺのお母さんは、かよっぺの方を見て言った。

「本当なの」

 かよっぺは、洋太におぶさったまま肯いた。

「おぶって、連れて帰ってきてくれてありがとう。洋ちゃん」かよっぺのお母さんは、洋太の頭の上に手を置いて、微笑みながら言った。

洋太が、かよっぺのお母さんの笑顔を見るのは、それが初めてだった。

 





永平寺前のユースホステルは、こぢんまりしていて、宿泊客も少なかった。静かで落ち着いた雰囲気で、前の晩、夜行列車であまり眠れなかった洋太にはありがたかった。

洋太が、風呂から出て、脱衣場で着替えていたときのことだった。脱衣場のドアが開き「きゃあ、ごめんなさい」という甲高い声が聞こえ、ドアはすぐに閉まった。洋太が、着替え終えて、脱衣場から出て行くと、さっきの声の主が待っていて、声を掛けられた。洋太より少し年上に見える、いかにもしっかりしていそうな女性だった。

「さっきはごめんなさい」

とその女性は顔を真っ赤にして、何度も謝った。

「別に大丈夫ですよ。気にしないでください」と、洋太は笑顔で答えた。

 女湯と間違えて開けてしまった、ということだったが、パンツははいていたので、実際、何度も謝られるような問題ではないと思った。その女性とは、その後話すことはなかったが、その出来事で洋太の孤独感は少しだけ癒された。


 翌朝、朝食を取るとすぐ、洋太は、永平寺に向かった。永平寺は、七百年以上前、鎌倉時代に、禅宗である曹洞宗の道元によって開かれた寺だった。

そこでは多くの雲水と呼ばれる修行僧が、日夜修行に励んでいて、洋太と同じ年頃の僧もたくさんいた。毎日、遊ぶこともスポーツをすることもできず、好きな食べ物を食べることも、行きたい所に行くことも、のんびりすることさえできない。朝から晩まで、掃除なども含めた修行に明け暮れる毎日。彼らは、洋太と同じ時代同じ国に生きていながら、全く違う世界にいるのだと洋太は感じた。自由など全くありそうもないこの寺で、一体どんな思いで、彼らは日々暮らしているのか、洋太には想像することさえできなかった。

しかし、厳しい修行の果てに得ることができる精神の安らぎ、本当の精神的な自由というものを求めて多くの人が修行に励んでいると言うことを、洋太は後に知った。

時代も社会も人の生活も、何より人間自体が、七百年の間に大きく変化してきたはずなのに、この寺も道元の教えも、衰えたり忘れ去れたりすることなく、脈々と生き続け、アメリカやイタリアなどにもその教えを実践している人がいるという。その教えには、普遍的な人の心に深く響く何かがあるのだろう。だが、その時の洋太には、それは理解を遙かに超えるものであった。

だが、四季を通して移り変わっていく自然の中に身を置いて、自然から教えを受けるという感覚は、何かおぼろげながら理解できる気がした。






 母親が苦しそうな表情で、布団の中で横になっていた。息づかいが荒く、左腕は真っ赤になって腫れ上がっていた。その横に洋太は座り、心配そうに母親を見て、腫れた腕をさすっていた。

 洋太が3歳の時、母は乳ガンを患い手術をした。その後遺症で左腕はいつも右腕より太くなっていたが、時折腫れがひどくなり、太さは右腕の倍ほどなって真っ赤になった。発熱も伴い、頭痛もひどくなるようだった。 鉄筋コンクリートのアパートの建設がもうはじまっていて、朝から、杭を打ち込むけたたましい音が、ひっきりなしに轟いていた。

「あの工事早く終わってくれるといいのにね」

母親が言った。その音で頭痛が痛みを増幅させていたのだ。


 母親の曾祖父は、九州で広大な領地を持つ武士で、母親の兄の家には、その当時の鎧甲がいまだに飾ってあった。そして、母親の父、洋太の祖父は、当時日本の占領下にあった朝鮮で警察署長を務めていた。しかしある日突然、祖父はその職を自ら退き、その後一切仕事をしなくなった。まだ母親が幼かった時のことだったそうだ。当然一家は困窮し、七人兄弟の二番目、長女であった洋太の母は、兄が学校に行けるよう、当時の高等小学校を卒業してすぐ、働きに出なければならなくなった。

 母親は、高等小学校ではトップクラスの成績で、勉強したいという気持ちは誰よりも強かったそうだ。卒業後、朝仕事に向かう途中で、元のクラスメートが、楽しそうに学校に向かうのを見かけると、羨ましさと悔しさ恥ずかしさで、涙が溢れてきて、友達に見つからないように姿を隠したという。そう話す母親の悲しそうな表情を、洋太は一生忘れることができなかった。

 また、母親は祖母の家にあずけられた時期があった。その祖母は武士の娘であったため、武家の教育を受け、何をやらせても完璧で非の打ち所がなく、とにかく厳しい人だったと、母親はいつも話していた。そこでの生活で、母親は多くのことを祖母から学ぶことができたが、決して気が休まることのない張り詰めた辛い日々だったようだ。

警察署長を突然辞めた洋太の祖父は、大柄でがっしりしていて、いかにも元警察官という体格をし、鼻の下には立派な髭を蓄えていた。しかし、怖さを感じることは全くなく、無表情か、微笑みを浮かべているかのどちらかであった。だが、その微笑みで周りの人間が好感を持つことはなかった。7人の子供は皆、仕事を全くしなかった父を恨み、その子供、つまり孫にもその恨みを伝えていたからである。

 洋太と姉は、同年代のいとこ達6~7人と、よく祖父の家に遊びに行った。ただ、祖父に会いたかったわけではなく、そこがいとこ達と集まる場所になっていたし、祖母にはなついていたからである。

 集まった子供たちは、祖父に敬意を払うことなどなく、近づこうともせず、ほとんどその存在を無視していた。ただ、正月だけは唯一、祖父の周りに集まりお年玉をせがんだ。毎年孫たちはお年玉を要求したが、その願いが叶えられることはなかった。

 そんな要求が何年も続いた後、ある年の正月、孫たちの執拗な要求についに耐えかねて 「お年玉あげるよ」と祖父が言った。

そして、孫たち一人一人にお年玉が手渡された。しかし渡されたのは、むき出しの1円玉だった。

 

 そんな祖父が、洋太の家の南側にあるベランダの横を歩いているのを見た瞬間の驚きを、洋太は今でも鮮明に覚えている。祖父はベランダから家に入ってきた。祖父が洋太の家にやって来たのは、それが最初で最後だったし、いつも家に閉じこもっていて、外出するのさえ見たことがなかったのである。

「小遣いやるよ」

そう言って、むき出しの千円札を、洋太と姉にそれぞれ手渡した。二人は茫然としながらその金を受け取った。祖父は5分くらいだろうか、部屋に入って何か話して帰ったが、洋太は何を話したのか、全く記憶に残っていない。 その時、家にいなかった母にそのことを話すと、それまで見たことがないような驚きの表情を浮かべた。

 後に、他のいとこ達に、小遣いをもらったかどうか尋ねてみたが、もらったのは洋太と姉だけだった。他のどの子供よりも辛く悲しい思いをさせた娘への、僅かばかりの罪滅ぼしだったのかもしれない。

 洋太は、ずっと祖父のことを怠け者のどうしようもない人だと思ってきた。しかし、成長して歴史を学び、当時の日本が朝鮮で行っていたことや、そこで祖父が警察署長という職を務めていたことを考えると、ひょっとすると、計り知れない深い考えや、誰にも言えない理由で、何か信念を持ってその職を退いたのかもしれない。と思うこともあった。だが、その真相を知る術はもはやなかった。


 洋太は相変わらず母の傍らに座って、しばらくじっと何かを考えていたが、急に立ち上がると、外へ飛び出して走り出した。向かった先は、アパートの建設現場だった。そして、しばらく作業をしているブルドーザーの近くに立ち、じっと見ていたが、勇気を奮い起こして作業員に向かって叫んだ。

「すいません」

 洋太の声は、工事の音で遮られ、作業員には届いていなかった。もう一度、さっきよりもさらに大きな声で叫んだ。

「すいません」

 作業員は洋太に気づき、ブルドーザーを止め、降りてきて洋太に近づいて来て言った。

「なんだい、坊や」

「お母さんが、頭が痛くて寝てるんです。あの杭打つ工事、今日は止めてくれませんか」

 作業員は、自分を見上げている子供の顔をじっと見ていたが、しばらくすると穏やかな口調で言った。

「ゴメンね、坊や。工事止めることはできないんだ。勘弁してな」

「わかりました」

 洋太はそう言うと、すぐに振り返って家に向かった。不思議と作業員を恨んだり、悔しいと思うような気持ちは起こらなかった。子供心に、工事を止めるのは無理なことはわかっていたのだろう。ただ、苦しむ母親のために何かしたかったのだ。




 洋太は、寮の人が共同で使うモップを手にして廊下を水拭きしていた。母親に言われて仕方なく行っていた。きれいになったかどうかはほとんど気にしない、おおざっぱな作業であった。

「洋ちゃん、えらいね。お手伝い?」

通りかかったおばさんが言った。洋太は肯いた。

「洋ちゃん、えらいね。きれいになって、たすかるわ」

やはり通りかかった別のおばさんが言った。洋太はそう言われて、さっきまでより力を入れて、隅々まできれいにした。すると、また別のおじさんが通って洋太を褒めた。洋太は、嫌々行っていた床拭きが、段々楽しくなってきて、いつもは、自分の家の部屋を含めて、隣と前の家と斜め前、四軒分の家の前の廊下しか拭かないのに、どんどんその先まで拭き進めて行った。どこへ行っても、洋太は賞賛され、まるでヒーローになったような気分になった。結局気づけば、二階の廊下まで全て水拭きし、最後は階段まできれいに水拭きしていた。


洋太の前に、かよっぺ、のっぺ、ピッコロが横にまっすぐ並んで立っていた。洋太は三年生になっていた。季節は初夏で、熱い日差しが、洋太の顔とかよっぺたちの背中に降り注いでいた。洋太が廊下を水拭きした次の日のことだった。

「今日から『天国いい子隊』の活動を行います」

洋太はそう言うと、三人にカードを手渡した。三人は全く状況が理解できず、不思議そうな顔をしたまま、カードを受け取った。そのカードは、一枚の画用紙を四つに切り、それぞれを二つ折りにしたもので、洋太が、その前の晩、夜遅くまでかかって仕上げたものだった。

表紙の上の方には「天国いい子隊」と赤い太い字で書かれ、下には枠があって、クラス番号氏名を書くようになっていた。そして、その間のスペースには四人の子供が並んで立っている絵が、黒い鉛筆で描かれていた。ページをめくると「天国いい子隊」の決まりが、箇条書きで書かれていた。

・かならず、一日一回は良いことをすること。

・お父さん、お母さんの言うことをきくこと。

・早寝早起きをすること。

・ごはんは、残さず食べること。

・りょうのろうかを一日交代で四人でふくこと。

その他合計十ほどの決まりが、丁寧な字で書かれていた。そして、残った二ページは表になっていて、日付とその日に行った活動を記入するようになっていた。隊員達は、自分が初めて耳にする「天国いい子隊」と称する隊の隊員に、自分達が突然なったことをうっすら理解した。ピッコロが質問した。

「ぼくも寮の廊下拭くの?」

 ピッコロは寮の前の一軒家に住んでいたのだ。

「ああ、そうか。ピッコロは廊下は拭かなくていいや」

 ピッコロはほっとした表情を浮かべた。

「でも、これからは隊長に対する言葉遣いには気をつけるように」

「はい、わかりました。隊長!」ピッコロは元気に答えた。

 早速、天国いい子隊の活動がはじまった。四人は良いことを求めて、寮の周りを物色し始めた。しかし、いざ良いことをしようとすると、なかなか良いことは見つからなかった。

「隊長、寮の中に入って探しましょう」かよっぺが提案した。

「よし、そうしよう」

「隊長、私も寮に入っていいですか?」ピッコロが心配そうに尋ねた。

「いいことをするんだから、大丈夫だよ」

洋太がそう言うと、四人は玄関から中に入った。ピッコロのスリッパがなかったので、洋太は、中学生になって、まだ学校から帰ってきていない姉のスリッパを、ピッコロに貸してあげた。

一階二階の廊下を入念に見渡しながら四人は歩いた。しかし、寮の中に入っても、なかなか良いことは見つからなかった。そして、流しを見て、最後に便所に入った時だった。

「おお、いいこと思い付いたぞ」

洋太は目を輝かせてそう言うと、ポケットから蝋石を取り出して、大便所の、左側一番手前の木の扉に書き始めた。

「トイレのドアは、開けたらきちんとしめましょう」

そして、その一文の周りを、よく目立つように線で囲んだ。

「みんなが、トイレに入った後、ちゃんとドアを閉めるようにすれば、臭いのが少しおさまるだろ」洋太は、得意気に言った。

「でも隊長、トイレのドアにいたずら書きしたって、怒られませんかね」

ピッコロが言った。洋太ははっとして、かよっぺとのっぺの顔を見た。二人とも、ピッコロの意見に納得しているような表情を浮かべていた。洋太も、内心ピッコロの言う通りかもしれないと思ったが、隊長としてのプライドと面子が、洋太にそう認めることを許さなかった。

「いいこと書いたんだから、怒られるわけないよ」

洋太はそう言って、その日の活動を終了させた。洋太は、誰があの一文を書いたのか、大人達が探索をはじめるのではないかと、内心びくびくしていたが、幸いそのような探索は行われず、洋太が怒られることはなかった。


数日後、4人はハエ叩きを持って、再び集合していた。 「天国いい子隊」が果たすべき壮大な任務を、洋太が思いついたのだ。

 時たま洋太は、犬や猫の糞にウジ虫が湧いているのを見て、気持ち悪くなるほどぞっとした。また、自分の家や便所などにハエ取り紙が吊してあって、そこにハエがたくさん張り付いて死んでいるのを見るのも、気味が悪かった。ウジ虫を退治するために、大人達によって、白い粉末の殺虫剤の散布も時折行われてはいたが、ウジ虫の多くははしぶとく生き延びていた。

 ウジ虫の親であるハエを天国いい子隊の手で絶滅に追い込めば、その二つの問題が一挙に解決すると思ったのだ。洋太は、隊員達にこの作戦の意義を伝え、隊員達は活動を開始した。しかし、普段、嫌な音を立てて、しつこく不気味に飛び交っている煩わしいハエが、いざ探してみるとなかなか見つからなかった。ようやく見つけても、不思議とどこかに止まることなく、ほとんど飛び続けていた。仕方なく、飛び続ける一匹のハエを4人がかりで追いかけ、ハエ叩きを振り回して追い詰めても、なかなか仕留めることはできなかった。 4人は疲れ果て、次の日の活動に備え、その日は早めに解散した。

  

 次の日も、4人はハエ叩きを持って獲物を求めて歩き回っていた。すると、洋太が突然叫んで、一人の少年を指さした。

「おっ、地獄悪い子隊だ!」

 隊員達は、一斉に洋太が指さした先に視線を向けた。4人の視線を集めたのは「ちびきん」と呼ばれる洋太より一つ下の少年で、同じ寮の一階の北側の部屋に住んでいた。

「えっ、何?」ちびきんは、いきなり「地獄悪い子隊」呼ばわりされ、驚いて言った。

「えっ、どういうこと?どういうこと?」

ちびきんは更に繰り返した。洋太はちびきんに説明した。

「俺たち、天国いい子隊作ったんだけど、ライバルが必要だろ。頼むから『地獄悪い子隊』結成してよ」

 洋太は、決してちびきんと仲が悪いわけではなく、時折、二人でいっしょに野球をやったりしていた。二人ともバットを買ってもらえなかったので、バットと同じくらいの長さの角材をバットにして、ピッチャーとバッターを交代でやっていた。ただ、天国いい子隊結成時には、たまたまいっしょに遊んでいなかっただけだ。それに、洋太は天国いい子隊の活動に行き詰まりを感じ、何とかしてこの局面を打開したいと思ったのだ。

「そんなの、いやだよ」ちびきんは言った。

「それに、他にメンバーいないし」

「妹がいるじゃん、他の寮にも小学生いるし」

 洋太は必死に説得したが、その努力は結局報われず、ちびきんは走り去っていった。


 翌日、洋太は熱を出して学校を休んだ。部屋で寝ていると、隊員達が南にあるベランダからやって来た。

「隊長、大丈夫ですか?」ピッコロが尋ねた。

「今日は、俺は活動できない。お前達だけで活動してくれ」

「でも、何をしたらいいんですか?」ピッコロが更に質問した。

「自分たちで考えるんだ。隊長がいないと何もできないようじゃどうしようもないぞ」

 三人は、うつ伏せになった状態で肘をつき、両方の手の上に顔をのせて、洋太をじっと見た。足首から下だけ、ベランダに残し、ほぼ身体全体が、洋太の家に入り込んでいた。そして、隊長の様態が急速に回復し、活動できるようになることを期待して、熱い眼差しを投げかけていた。しかし、洋太が起き上がってきそうもないことがわかると、三人は力なく立ち上がって、

「お大事に」と一言言って、外に出て行った。

 

それから何日かして、天国いい子隊は活動を停止した。僅か一週間足らずで、天国いい子隊はその使命を終えたのだ。ハエ絶滅という任務は、小学生四人が背負うにはあまりにも重く大きすぎる任務だった。隊員に配られたカードもいつしか忘れさられ、その後、誰も天国いい子隊のことを口にする者はいなかった。便所に書かれた洋太の落書きだけが、天国いい子隊の功績として残された。






洋太は永平寺を見学した後、金沢に移動し、兼六園、忍者寺などを見て回った。兼六園は十七世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする、江戸時代を代表する池泉回遊式庭園で、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで日本三名園の一つに数えられていた。

 妙立寺、通称忍者寺は、加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺と呼ばれるそうだ。この寺は要塞としての機能を備え、隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備える。忍者寺と称されるのは、この寺に忍者がいたからではなく、伽藍の複雑な建築構造に由来するということだ。

 

 その日は、金沢ユースホステルに泊まった。永平寺のユースホステルとは打って変わって、

まるで学校のような大きさで、宿泊客は数百人はいそうで、人で溢れかえっており、風呂は芋洗い状態であった。だが、これほど人がいるのに、不思議と人が多い故の、前とは別の種類の孤独感を洋太は感じた。

 夕食後、正に校庭のような広い場所でフォークダンスが行われた。フォークダンスなどは小学校以来で、少しだけ旅行が楽しく思えてきた。フォークダンスの後、洋太が入り口で靴を脱ぎ、中に入ろうとしていると、後ろから声を掛けられた。

「あの、すみません」

振り返ると、高校生くらいの女の子が二人立っていた。

「さっき、いっしょにフォークダンスを踊ったんですが、住所を教えてもらっても良いですか」と二人の中の一人が恥ずかしそうに言った。

「うん、いいよ」

洋太は、そう言って、その女の子が差し出した手帳に名前と住所を書き、自分も手帳を出して、二人の住所を書いてもらった。二人とも高校二年生で、群馬から来ているということだった。その晩、洋太は何となく良い気分でベッドに入った。






武蔵小杉から東横線で二駅の所に多摩川園という遊園地があった。多摩川園は、新聞屋がくれる券で、無料で入場することができた。そして、季節ごとに変わる催し物会場も無料で、夏のお化け屋敷は楽しかったが、秋の菊人形は洋太にとってはとても退屈なものであった。

そして、多摩川園に行くと必ず乗る乗り物があった。観覧車だ。特にその乗り物が好きなわけではなく、どちらかというと、これも退屈な乗り物だった。ただ、同じ寮の2階に住む、洋太より十歳ほど年上の直子ちゃんという女の子の母親が、観覧車の係員をしていて、いつも行くと歓迎してくれて、ただで乗せてくれたのである。

それ以外の有料の乗り物には1つか2つ乗れれば良い方だった。それでも、多摩川園は洋太にとっては夢のように楽しい場所だった。

 



 洋太は、住んでいる寮の裏にある、鉄筋のアパートに隣接する、一階建ての建物の平らなコンクリートの屋根の上にいた。そして、うつ伏せになって下を見下ろし、様子を伺っていた。その建物は、アパートに水道水を供給するためのポンプを収容する設備だった。

そのすぐ横に電柱があったので、それを使って登ったのだった。もう、時刻は夜の8時を過ぎ、当然辺りは真っ暗だった。

 その日、洋太は父に叱られた。理由は、学校で禁止されているメンコをやり、自分より小さい子にメンコで勝って、メンコを巻き上げている、というものだった。 確かに、メンコやビー玉を含む賭け事は禁止されていたが、それを守っているものは誰一人いなかった。それに巻き上げているのではなく、勝負で勝った時だけ、その分のメンコを手に入れているだけだった。しかも、決してメンコは強いほうではなく、年下でも洋太より多くのメンコを持っている子供はたくさんいた。

父親は厳しく叱った。しかし、洋太はどんなに叱られても納得しなかった。すると父親は、洋太の両腕を掴んでドアの外に連れ出した。それは、これまで何度も父親がしてきたことであった。その時までの洋太は、そうされると、ドアを叩いて泣き叫びながら謝っていた。すると、廊下を通る住人がその姿を見て、心配して声を掛けてくれたものだった。

 だが、その日の洋太は違っていた。以前より大きくなっていたし、自分は絶対に悪くないと思った。ドアの外に出されると、黙って廊下を歩いて玄関で靴を履き、寮の外に出て行ったのだ。


洋太の父は、母と同じ7人兄弟で、姉が一人男6人の四男であった。だが、洋太の父と弟の2人を除いては若くして亡くなり、洋太が他の5人の兄弟姉と会うことはなかった。父の家も、昔は浅草の大商人だったということを後に親戚から聞いたが、父からそんな話を聞いたことは一度もなかった。

 そしてどういう事情かはわからなかったが、父は幼い頃に、川崎市の北部にあるラーメン屋の養子になったということだった。そこで、鍋を洗ってきれいにし過ぎて怒られたという話を、何度も父から聞かされていた。洋太は家族でよくそのラーメン屋に行った。登戸駅から歩いて行ける距離だったが、幼い洋太にはとても遠く感じられた。

 店は洋太達の住む寮よりも更に古い建物で、いつもベレー帽をかぶり、眼鏡をかけ腰の少し曲がった老人と、明るく元気でいつもにこにこして迎えてくれる、その妻の二人で切り盛りしていた。一階の一部が居住スペースになっていて、老夫婦はそこで暮らし、障子を挟んだL字型のスペースに客用のテーブルが五つほど並んでいた。ラーメンは独特で不思議な美味しさがあり、そのようなラーメンに出会うことは後にも先にもなかった。ラーメンは一杯五十円だったが、勿論ご馳走してもらえ、それを楽しみに洋太は遠い道のりを頑張って歩いた。

 父はそのラーメン屋で幼少期を過ごしたようだが、鍋の話以外はそこでの生活についてあまり話すことはなかったし、学歴についても一切話さなかった。父から聞いた話で、洋太の記憶に残っていたのは、関東大震災の時、倒れてきた柱が、ちょうどつっかえ棒のようになり、その下にいて命が救われたこと。そして、戦争中、戦車を作る工場で働いていたため、徴兵を免れたこと。それくらいであった。

「その二つのことがなかったら、自分はこの世に存在していなかったかもしれない」

 洋太は、子供心にそう思った。

 父は、大きな会社に勤めたこともあったようだが、いくつかの会社を旋盤工として渡り歩き、どこかの会社では「無法松」というあだ名をつけられたと、よく得意気に話していた。無法松というのは「無法松の一生」という、テレビドラマや映画にもなった小説の主人公で荒くれ者の人力車夫だった。会社で上司に対して、臆することなく刃向かっていって、言いたいことをずけずけ言ったことから、そう呼ばれたと話していた。

 だが、無法松に何より似ていたのは、大酒飲みという点だった。酒癖が悪く、よく夜飲み歩いては夜中に帰ってきて、母親に絡んで喧嘩になり、その度に、狭い一部屋に寝ている洋太と姉も起こされた。一度は、付けで飲み歩いている店への支払いもあったのだろうが、給料日に一晩で月給を全て使い果たして帰ってきたこともあった。洋太は、そんな父親が、キャッチボールや将棋・腕相撲をしてくれる時を除いて、大嫌いだった。こんな狭い家に住んで貧しい暮らしをしているのは、大酒飲みの父親のせいだと思っていた。


 水道ポンプの施設に登ってから十分くらい経った頃だった。洋太の名前を呼ぶ声が聞こえた。母親と姉だった。二人は寮の周りを回って洋太を探し出そうとしていた。そして、二人から数十メートル離れて、着物を着た父親が歩いていた。家に帰るといつも着物に着替えて酒を飲み始めるのが、毎日の日課だった。

「ここにいたら、見つかるわけない。」

 洋太は、こちらからは見えているのに、気づかず寮の周りを何周もしている父親を見下ろしながら、勝ち誇ったように、独り言を言った。

 さらに十五分くらい時間が過ぎただろうか?そんなに遠くに行くはずがない、と思っていたのか、3人は相変わらず、寮の周りを回っていた。だが、声の調子は明らかに違ってきていた。必死に叫ぶような声に変わっていた。黙って歩いていた父親も大声を出し始めた。暗闇の中、大声で自分を呼びながら、もう十周以上も寮の周りを回っている三人の姿を見ていると、次第に、得意になって嬉しがっていた洋太の目に涙が溢れてきた。洋太は電柱を伝わって下に降り、父親の前に立った。父は黙って洋太の頭の上に手を置いた。洋太は、大嫌いな父親の胸に飛び込み、溢れていた涙が流れ落ちた。



 

 洋太と友達数人が、寮の裏の鉄筋コンクリートのアパートの前でメンコをしていた。父親は、メンコについて何も言わなくなった。勿論やっていいと言ったわけではなかったので、洋太は父親にメンコをしているところを見られないかと、いつもビクビクしながらやっていた。そしてある時メンコをしている最中に、珍しく仕事から早く帰って来た父の姿が遠くに見えた。心臓の鼓動が高まり、はち切れそうになった。だが、明らかに洋太がメンコをしているのに気づいたはずなのに、父は黙って家に入っていった。洋太は胸をなで下ろした。それからは安心してメンコを楽しめるようになった。

洋太達がメンコを始めて三〇分位過ぎた頃だった。「 ひできちゃん」がやって来た。ひ

できちゃんは洋太と同じ年で、家は近くのマーケットで魚屋をやっていて、すぐ傍というわけではなかったので、めったに洋太の住む寮の辺りに遊びに来ることはなかった。

 洋太達がメンコをやっているのを見てひできちゃんが言った。

「おこしやろうよ」

「おこし」というのは、自分のメンコを地面に叩きつけて、地面に置かれた相手のメンコを裏返せば、そのメンコがもらえるという遊び方だった。普段、洋太達がやっているのは「だし」という遊び方だった。「だし」ではお互いが数十枚から場合によっては数百枚のメンコを出し合う。それを重ねた状態で地面に並べ、はじめに一枚のメンコを指定し、それを並べたメンコの中央に差し入れる。そして、そのメンコを自分のメンコではじき出して表にすれば勝つという遊び方だった。

 「おこし」は一回の勝負で、勝ってもせいぜい数枚しか手に入れることができなかったが「だし」は一回の勝負で、数百枚手に入れることもできた。多いときには、並べたメンコの長さが一メートルを超えることもあり、スリル満点の勝負になった。しかも、その勝負は「いっぴん」といって、一番最初に、たった一回の一撃で、指定したメンコがはじき出され表になれば、僅か数秒で勝敗が決することもあった。

 この頃の洋太達は、スリル満点の「だし」をいつもやっていて、最近は「おこし」をすることなど全くなかった。だがその時、ひできちゃんは、ポケットに一枚のメンコを持ってきただけだった。そういう事情で、洋太達はひできちゃんと「おこし」を始めた。

 ひできちゃんの住むマーケットの前には、大規模な古い木造の社宅が建ち並んでいた。そこに住む人の数は、洋太達のいくつかの寮の数倍で、当然子供の人数も十倍以上はいた。そこは「メンコ」をはじめ、「ビー玉」「コマ」など子供の遊びのメッカで、その遊び方の高度な技術は、代々受け継がれていた。

 「おこし」が始まった。日々、その社宅で腕を磨いているひできちゃんにとって、伝統のテクニックなど全く持ち合わせていない洋太達は、敵ではなかった。あっとう間に、一枚しかなかったひできちゃんのメンコは、数十枚になった。すると、

「だし、やろう」

と、ひできちゃんが言い出した。洋太達が同意して「だし」が始まった。

 するとそこに、滝川君が通りかかった。滝川君は洋太やひできちゃんよりも一歳年上で、隣の寮に住んでいたが、めったにいっしょに遊ぶことはなかった。滝川君に気づくと、ひできちゃんが、

「へい、へい、滝川みたい顔でへい、へい」と、繰り返し歌い始めた。

その歌は、ひできちゃんが滝川君を見るといつも歌い出す歌で、どういう経緯で誕生し、どういう意味があるのか、みんなわからなかったが、その歌詞や歌い方とメロディーがユーモラスで、みんな大笑いし、仕舞いにはみんなで合唱し始めた。滝川君は、年下の連中に、そんな歌を歌われて怒っていたが、ひできちゃんが歌い続けていると、あきらめて家に帰っていった。

 「だし」になっても、ひできちゃんは強かった。連戦連勝だった。「だし」は一回の勝負で勝てば、持っているメンコの数が二倍になっていくので、たった一枚で始めたひできちゃんのメンコの枚数は、あっという間に、そこにいた誰よりも多くなった。

「そろそろ、帰るよ」

ひできちゃんが言うと、みんなは悔しそうではあるが、尊敬の眼差しでひできちゃんを見た。

「メンコ、ばらまくぞ」

ひできちゃんはそう言うと、勝ち取ったメンコを全てばらまき、みんなはそれを拾った。

 みんなが拾い終えると、ひできちゃんは、唯一残しておいたメンコを洋太に手渡しながら言った。

「これあげるよ」

 それは、ひできちゃんが最初に持ってきたメンコで、相撲メンと呼ばれているメンコだった。その名の通り、表には相撲取りの絵が描かれていて、他のメンコより一回り大きく、高級感と品位を兼ね備えていた。ひできちゃんが、強かったのはそのメンコのせいでもあった。洋太の周りで相撲メンを持っているのは、二人くらいしかいなかった。洋太は勿論、持っておらず、そのメンコを売っている店は、その近辺にはなかった。 洋太は、嬉しくてたまらなかったが、一応遠慮して言った。

「いいよ、悪いからもらえないよ」

「遠慮するなよ。俺はまだたくさんあるからあげるよ」

 洋太は、胸がはじけそうな思いで、そのメンコを受け取った。

「おい、みんなでたまや行こうぜ。おごってやるよ」

ひできちゃんは、そう言うと走り出し、みんなは後に続いた。「たまや」というのは、ひできちゃんの家のあるマーケットに、店を構えているお菓子屋だった。

「みんな、好きなものひとつ、選んでいいぞ」

そう言われて、みんなはさすがに少し遠慮して、二〇円くらいのものを選んだ。

「おばさん、付けね」

そう言うと、ひできちゃんはお金を一切払わず、魚屋である家に帰っていった。みんなは、目を丸くして顔を見合わせた。




その日、洋太は家から歩いて三分ほどの図書館にいた。友達数人と、あのひできちゃんもいっしょだった。土曜日の午後のことだった。図書館といっても、勿論、本を読んだり勉強したりするために来たわけではなかった。

 その図書館は三階建てで、二階と三階にはバルコニーが付いていて、そこには外階段を通って行くことができた。そのバルコニーと外階段を使って、銀玉鉄砲をするためにやって来たのであった。そこでの銀玉鉄砲は、まるでテレビで観る刑事物や西部劇の登場人物になった気分で、撃ち合うことができた。踊り場で折り返す階段の所に身を隠して、相手を撃ったり、階段を上っていって突然相手に出くわして、撃ち合いになったりする時の気分はスリル満点であった。

バルコニーで撃ち合うこともあったが、その時はガラス越しに、図書館で勉強している年上の中学生や高校生の姿が見えた。彼らは、おそらく呆れて洋太達を白い眼で見ていたのだろうが、洋太達は全くそんなことには気づかず、むしろ得意気に撃ち合いを続けた。

 三〇分ほどそうして遊んだ頃だった。下の方から大人の声がした。

「君たち、勉強の邪魔になるから、そこで遊ぶのは止めなさい」

 図書館か、隣接する公民館の職員のようだった。洋太達は、そう言われて仕方なく外階段を降りていき、図書館の門に向かって歩き始めた。だがその時、ひできちゃんが立ち止まって言った。

「やっぱり、ここでやる銀玉鉄砲は最高だから、やろうぜ」

「でも、また怒られるよ」洋太が言った。

「小さい声でやれば大丈夫だよ、それにもう、おじさん達、中に入ったし」

 そう言われて振り返ってみると、確かにもう職員の姿はなかった。

「よし、じゃあ静かにやろう」

洋太がそう言うと、少年達はまた外階段を上り始めた。銀玉鉄砲ごっこが再開されて、十分ほど経過した頃だった。再び下から声がした。今度はさっきの穏やかな声ではなく、大きな怒鳴り声だった。

「おい、お前ら、降りて来い!」

「逃げろ!」ひできちゃんが叫んだ。

 図書館には東西に外階段が備え付けられていた。職員は東側の方にいたので、洋太達は西側の外階段に向かって、全力で走り出した。必死に階段を駆け下り、あと数段で降り終えると思った時だった。目の前に行く手を遮る大人が突然現れた。もう一人の職員だった。そして、後ろには東側の外階段を上って追って来た職員がいて、挟み撃ちにあった。 洋太達五人は下に降り、二人の職員の前に横一列に並ばされた。

「さっき、邪魔になるから止めるように注意したよな」

そう言われて、五人は黙って肯いた。

「何でまた、同じことやってるんだ。しかも怒られて逃げ出すなんて、とんでもないぞ」

 五人は返す言葉がなく、素直に謝った。

「ごめんなさい」

「君たち二人が一番年上だな」と職員は洋太とひできちゃんを指さした。

「はい」二人は返事をした。

「学校名と学年名前を言いなさい」そう訊かれて、二人は正直に答えた。

「朝礼の時、校長先生に、君たちの話をしてもらって、叱ってもらうからな」

 そう言われて、洋太は目の前が真っ暗になるようなショックを受け、自分たちのしたことの大きさに気づかされた。月曜日の朝には、毎週朝礼が行われていた。そこで、いつも校長先生は、全校生徒の前でいろいろな話をしていた。そんなところで、自分たちの名前が出されて叱られるのだ。

五人は肩を落として家に向かった。


 それから、土曜日の夜日曜日と、洋太の頭は朝礼のことで一杯だった。遊んでいても、少しも楽しくなかった。両親にも、そのことは一言も話せなかった。

 月曜日の朝がやって来て、洋太は憂鬱な気分で登校した。いつも通りに、校庭に全校生徒が並び始めると、ひできちゃんの姿が目に入ってきた。さすがのひできちゃんも元気がなく、落ち込んでいるのがわかった。

 生徒達が並び終わり朝礼が始まった。校長先生の話が始まると洋太の心臓は激しく鼓動し始めた。いつ自分たちの話が出るのかと、固唾を呑んで聞き入った。なかなか洋太達についての話は始まらなかった。そして、しばらくすると、 

「気を付け、礼」という声がスピーカーから流れた。

洋太達の話は出なかった。図書館の職員が単なる脅しで言っただけなのか、校長先生が自分の胸に収めて大目に見てくれたのか、洋太達には知る由も無かった。朝礼が終わり昇降口に戻る時、ひできちゃんが後ろから洋太の背中を軽く叩いた。二人は顔を見合わせてにっこり笑った。




洋太は中原支役所の玄関前に来ていた。寮の仲間四人とひできちゃんもいっしょだった。

一月の最も寒い時期だが、その日は陽射しが暖かく、空気はさすがに少し冷たかったが、風は穏やかで寒さを感じることはなかった。

「いっせいのせい」というかけ声で、全員が一斉に独楽を回しはじめた。

支役所の入り口の所は、御影石のような石で覆われていて、つるつるしており、独楽を回すには最高の場所だった。寮の板の床で独楽を回すと、板と板の間に軸が挟み込まれ、すぐ止まってしまった。近くのアパートの階段前や、アパートの更に奥にある電電公社の、打ちっ放しのコンクリートのスペースも、表面がざらざらいていて、あまり独楽を回すには適していなかった。あちこち転々と場所を変えていき、最後にたどり着いたのが、この支役所の玄関前だった。

 

 まず、全員で一斉に独楽を回し、止まり終えた順に順位を決めた。勿論、一番最後まで回り続けた独楽の持ち主が、最高順位の名誉を与えられることになっていた。

 ここからが本番だった。まず、一番と二番目に止まってしまった二人が、独楽を回し、その中の一つが止まってしまったら、三番目が独楽を回す。それ以降同じ要領で、一つが止まる度に、次の一人が独楽を回しはじめるという流れで進み、やはり、止まった順で再び順位が決まり、一つのラウンドが終了した。

 当然先に回す独楽は、元々持久力がない上に、早く回しはじめるので、普通にただ回すだけであれば、毎回ほとんど順位は変わらない。そこで、使われるのが様々な技である。

 まず「みつ」と呼ばれる技は、独楽の軸の地面の近いところ手前側に、左右に広げた独楽の紐を密着させ、その紐で自分の独楽を滑らせて、相手の独楽にぶつける技である。うまくぶつければ、相手の独楽は傾き、側面が地面に触れて転がりだし、あっという間に止まってしまう。あるいは、玄関前の御影石の所から、下のアスファルトの所に落とすことによって、止まりやすくなる。

次に多く使われるのは「ガストン」である。これは、手に自分の独楽をのせ、相手の独楽の上に落とす技である。上手く相手の独楽の端の方にぶつければ「みつ」と同じような効果がある。手に載せるのも、地面から載せる技と、回しはじめに空中で載せる、より高度な技があった。さらに、回しはじめに、自分の独楽を地面すれすれに投げだし、相手の独楽にぶつけてから手に載せる、という最高難度の「ジャックナイフ」という技もあった。

 寮の子供達は、大体木製かブリキで中が空洞になっている独楽を使っていた。洋太もずっとそうだったが、お年玉で鉄ごまを買った。それは、本体は、ほぼ木製だが、外縁部分に厚さ数ミリの鉄の輪がはめ込まれていた。鉄ごまは最強で、持久力もある上に、技の破壊力も他の独楽の比ではなかった。したがって寮の子供達と独楽をやれば、大体いつも洋太が一番上の順位にいた。

 しかし、その日は違った。ひできちゃんがいたからである。メンコ同様、ひできちゃんは別格だった。ひできちゃんも使っていたのは鉄ごまだったが、軸の地面に触れる部分を丸く滑らかに削り、ロウを溶かして木の上部にたらし、それが固まって鎧のような役割を果たしていた。そんな独楽を持っている者は、洋太の近所には誰もいなかった。持久力でも技でも、他の子供達は勿論、洋太も全く歯がたたなかった。

しばらく独楽は続いたが、冬は日が暮れるのが早く、いつの間にか辺りは夕闇に包まれていた。

「俺帰るね」ひできちゃんはそう言って、メンコの時と同じように、洋太に手に持っていた独楽を渡した。

「これ、あげるよ」

 洋太は、再び、胸がはち切れそうな気持になって言った。

「本当に、いいの」

今度は全く遠慮せずに言った。自分の独楽を、こんな風に強いものに変える熟練の技を身につけるのは、到底自分には無理なことがわかっていたからである。

「うん、いいよ。まだ、俺、家にいくつかあるから」

「ありがとう」

 ひできちゃんは帰っていった。その日からその独楽は洋太の一番の宝物になった。そして、洋太は練習に励み「ジャックナイフ」「綱渡り」 「肩掛け」などの高度な技を、次々に身につけていった。 




「もう、暗いから入りなさい!」洋太の母親が、部屋の中から大声で叫んだ。

「はい!」

「真っ黒じゃない」母親は、洋太達の泥で汚れた姿を見て言った。

「そのまま、風呂屋に行きなさい」

そう言うと、石鹸・タオル・ヘチマ・シャンプーの入ったプラスチックの洗面器とバスタオル、お金を渡した。親たちも子供もその辺りでは、銭湯という言葉は使わず、みな「風呂屋」という言葉を使っていた。

「みんな、いっしょに風呂屋行こうぜ!」

 洋太がそう言うと、みんな親と話をし、五分ほどで洗面器を持って、寮の玄関前に集合した。

 風呂屋は、寮から僅か数十メートル、乾物屋や八百屋の、道路を挟んで向かい側にあった。もうすっかり暗くなっていたが、高い煙突から煙が立ち上っているのはわかった。 洋太やちびきん達男4人は入って左側、かよっぺ達女3人は右側に入り、それぞれサンダルを脱いで下駄箱に入れ蓋を締めた後、木の札を引き抜いた。みんないつも入れる下駄箱を決めていた。

「今日、俺の下駄箱空いてない」

ちびきんが言った。洋太がいつもしまう下駄箱は空いていて、何となくホッとしながらサンダルを入れた。

「7時に入り口な」洋太が、かよっぺ達に向かって言うと、

「遅れないでよ」と、かよっぺが答えた。

 曇りガラスのはめ込んである木製の引き戸を左側に滑らせ、脱衣場に入り、背伸びをして十五円を番台に置いた。

 脱衣場の右側、女風呂との仕切りになっている壁には大きな鏡が付いていて、その奥には体重計が置いてあった。そして、番台と鏡の間には木製の扉が付いていた。時たまその扉が開いて、風呂屋の従業員や小さな子供が男湯と女湯を行き来した。両親が男湯と女湯に分かれて入っているからだった。洋太達は子供心に、扉が開く度にドキッとした。脱衣場の中央と左側の壁にはロッカーが設置してあり、ロッカーがいっぱいになった場合に備えて、籐の籠も脱衣場から入ってすぐ左手の所に、高く積み上げられていた。

 洋太達は素早く服を脱ぎ、金属製でゴムの付いたロッカーの鍵を手首につけて、小走りで風呂場へ向かった。大きな透明ガラスのはめ込んである木製の引き戸を開けると、湯気がどっと脱衣場に入り込んだ。中は湯気が立ち込めていたが、正面のペンキで描かれた富士山はすぐ目に入った。

「絵、変わったな」洋太が言うと、ちびきんが答えた。

「そうだね。俺、前の絵の方が良かったな」

「そうだな」

 風呂場の正面全面に描かれた大きな風景画は、時たま描きかえられた。洋太達は描きかえられるのを楽しみにしてはいた。でも、いざ描きかえられると、何か落ち着かない気持ちになり、その絵に馴染むまでに、しばらく時間がかかった。

 洗い場は左右の壁に十くらいづつ、蛇口と鏡の付いた低い中央の仕切りを挟んで、両側にそれぞれ十くらい、合計四〇くらいもあった。それでも、洗い場が空くのを待たなければならないくらい混み合うことも珍しくなかった。

湯船は3つあり、一番左側は乳白色の薬湯になっていて、ガーゼのような袋に薬が入れられ、その袋が紐で蛇口に結びつけられ、湯船に浮かんでいた。そこからは、独特な臭いが漂い、洋太達はめったにそこには入らなかった。右側と中央には、同じ少し緑がかったお湯が入っていたが、右側の方が温度が高く、よくお年寄りが真っ赤な顔をして浸かっていた。そして湯船から出る時、身体も真っ赤に染まっていた。洋太達子供は、大体真ん中のぬるめのお湯に浸かり、他に人がいない時には、数メートルの水泳を楽しみ、時には潜水などもしたが、見つかると大人に怒られた。

右側の湯船のさらに右側には、木の引き戸が合って、そこから時たま服を着た従業員が突然登場し、洋太達をドキッとさせた。湯船の裏にあるボイラー室で働く人だった。引き戸が開いた瞬間、洋太はいつもボイラー室を覗こうとしたが、引き戸は素早い動作で閉められ、洋太は結局一度もボーラー室を見ることはできなかった。

 

 小さい頃は、風呂屋には父親と来ていた。湯船で、父親はタオルを使って、風船のようなものを作って洋太に触らせた。その感触が洋太には面白かった。また、よくヘチマで背中を洗わせた。

「力一杯洗え」

と言われて、洋太は全力を振り絞ってヘチマを擦りつけ、父親の背中は真っ赤になった。

「すごい力だな。痛いよ」

と言わせたくて、いつも必死にヘチマを擦りつけたが、父親は 

「おお、気持ちいいな、その調子だ」と言うだけだった。

 少し大きくなると、風呂には友達と来るか、一人で来るようになった。一人で来ると、湯船で手首を前後に動かす運動をしたり、身体や頭を洗う時、椅子に座らずにつま先でしゃがんで洗うようになった。父親に湯船で手首の運動をすると、水の抵抗力でスナップが強くなると言われたからだ。つま先でしゃがんで洗ったのは「巨人の星」というマンガで、巨人の二軍選手が、合宿所とグラウンドを往復するバスでシートに腰掛けず、つま先で立って身体を鍛えている姿を観たからであった。

年に数回であったが、風呂屋が開店してすぐの時刻に来ることがあった。晴れていると高い窓から日が差し、客は数人しかいなかった。いつもと違い、ゆったりしたくつろいだ気分で入浴することができ、気持ち良かった。できればその時間に毎日来たかったが、普段学校から帰ってくる時間はそんなに早くはなかったし、休みの日も暗くなるまで遊んでいる洋太には、その機会はなかなか訪れなかった。


 4人は湯船に1度浸かり、素早く身体と頭を洗い終えた。勿論4人並んで座ることはできなかったが、ほぼ同時に洗い終わると、洋太が言った。

「レース、やろうぜ!」

 その言葉を聞いて、3人は中央の洗い場に集まり、4人は木の椅子に座ったまま、横一列に並んだ。

「ようい、スタート!」

洋太がそう叫ぶと、4人は一斉に椅子に座ったまま、素早く歩く動作をし、椅子の足を床のタイルに滑らせながら、猛スピードで中央の洗い場の周りを回りだした。ちょうどレーシングカーのレースのように。ただし、レーシングカーの代わりが木の椅子、馬力のあるエンジンの代わりが生身の脚だった。ほとんど毎回優勝は洋太が勝ち取り、最初から最後までリードして終わったが、時たま椅子がタイルの目地に引っかかって、つんのめってしまうことがあった。そんな時は、抜かれ一瞬遅れを取ったが、直線コースですぐ抜き返した。カーブで抜くのは至難の業だった。

洋太達は、初めてこのレースをしようとした時、他の客の邪魔になるし、危険で迷惑だから、すぐに叱られるだろうと、自分たちでも思っていた。だが意外なことに、誰も叱る人はおらず、中には面白そうに笑って見ている人もいた。

三周で勝負が決まるレースを、三回行った後、四人は再び湯船に浸かった。しばらく浸かった後、洋太が高い所に備え付けられている丸い時計で時間を確認した後、女湯の方に顔を向けて、大声で叫んだ。

「かよっぺ、そろそろ出るぞ」

「わかった」返事が返ってきた。

 男湯と女湯の間の壁は、上の方に数十センチ隙間があって、そこを通して連絡を取り合うことができたのだ。

四人は湯船から出て上がり湯を浴び、簡単にタオルで身体を拭くと、ガラス戸を開けて、脱衣場に入った。まだ身体が火照っていた。四人はバスタオルを持って、すぐに洗い場と反対の方向にあるガラス戸に向かった。ガラス戸の向こうには、大きな石と背丈の比較的低い樹木が、味わい深く配置された日本庭園があった。ガラス戸の先には縁側があり、四人はガラス戸を開けて、裸のまま縁側に立った。涼しい風が吹きつけた。

洋太は、脱衣場からの明かりにぼんやり照らされた日本庭園と、視界の上の方にある、数個の星が微かに光る夜空を見て言った。

「おお、気持ちいいな」

「気持ちいいね、最高だね」ちびきんが答えた。

数分そこで涼んだ後、四人は、ガラス戸を開けて脱衣場に戻った。ガラス戸のすぐ横に設置してあって、数種類の牛乳が入っている冷蔵庫を四人はちらっと見た。冷蔵庫のガラスの向こうには、フルーツ牛乳はやコーヒー牛乳が、普通の白い牛乳の横に並んでいた。

「フルーツ牛乳、飲みたいな」洋太が言うと、

「僕も」

「俺は、コーヒー牛乳の方がいいな」

「僕も」

三人が口々に呟いた。だが、フルーツ牛乳やコーヒー牛乳は四人にとって、とても手の出る代物ではなかった。洋太は、自分へのご褒美で、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、フルーツ牛乳を二回、コーヒー牛乳を一回だけ買って飲んだことがあった。普段、家で飲む、白い牛乳にコーヒー牛乳の素を加えて作るコーヒー牛乳や、オレンジの粉末に水を加えて作るジュースとは、全く別次元のものだった。洋太は、その美味しさに夢見心地になり、天国にいるような気分になった。

 その日は、四人はいつものように、並んだ牛乳と、冷蔵庫の横で、フルーツ牛乳を片手に持って、美味しそうに飲み干している大人の姿を横目に通り過ぎた。

「急ごう」洋太がそう言うと、四人は素早く服を着て、小走りで風呂屋を出た。

 かよっぺ達が、入り口で待ったいた。

「おそいよ」かよっぺが口を尖らして言った。




 初夏の暖かい陽射しの中、家のベランダの前で、洋太は手に金槌を持ち、工事現場から拾ってきた板に、短い釘を打ちつけていた。額にうっすら汗をかいていたが、吹き抜ける爽やかな風のお陰で、暑さを感じることはなかった。

長い釘で角材を、板の四方に打ちつけて、その内側には、縦三センチ横二センチ位になるように、Uの字形に十カ所、短い間隔で釘を打ち込んだ。そして、点在するそのUの字のポケットの間に、たくさんの釘を、間隔を開けて打ちつけていた。 手作りのパチンコ台だった。斜めになるように地面に置いた板の上の方から、ビー玉を落とし、ビー玉が広い間隔の釘の間を通って、Uの字のポケットに入れば、賞品がもらえるというシステムであった。

完成したパチンコ台の前に、寮の子供達の列ができていた。銀玉鉄砲の玉三個でビー玉を三回落とすことができた。Uの字のポケットにはそれぞれ点数が書いてあり、その合計点で賞品が決定した。賞品は銀玉だったので、うまくポケットに入れば、銀玉は増えたが、入らなければ減る一方だった。ただ、三つとも入らなくても、参加賞としてイチジクの実をもらうことができた。

 イチジクは、洋太の家の前の低い木になる白っぽい果肉のものと、その十メートルほど西にある、高い木になる赤い果肉のものを用意した。その二本の木が誰のものなのか、誰も知らなかった。子供達は、自由に実を取って、おやつ代わりに食べていたが、決して叱られることはなかった。洋太は、事前に実を取って置いて、パチンコ屋を開店した。高い木の方が実もたくさんなったので、用意される実は赤が多かったが、白い方が甘みがあってジューシーだったので、子供達は、白い方ばかり選び、いつも赤が残った。


洋太のパチンコ台は、どんどん進化を遂げていった。右側の枠から三センチくらいの所にに細い角材もう一つ打ち付け、枠とその角材の間に、上下に動く角材をつけ、下からビー玉を打ち出すスマートボールへと、まず進化した。

 次に角材を下から手で押して打ち出すのではなく、本物のように、バネを使って打ち出そうと試みた。針金を買ってきて、バネ状に巻いて角材に付けたが、全く弾力性がなく、いくら工夫してもバネのようにはならず、その試みは失敗に終わった。

次に試みたのは、スマートボールからビーンボールへの進化であった。釘のポケットの代わりに、酒ぶたやビールの栓などを板に打ちつけ、そこにビー玉がぶつかれば、書いてある点数が入るというゲームにした。下の方には、十センチほどの木片で左右にアームを取り付け、それを手で持って、上下に動かしビー玉を打ち上げ、得点板にぶつけて高得点を稼げば、賞品がもらえた。そして、ど真ん中や左右の溝を通ってビー玉が下に落ちてしまうと、ゲームオーバーとなった。

 アームは、最初手で直接つかんでいたが、これも進化していった。先っぽの下の方に錐で穴を開け、そこに下から竹ひごを差し込んで、竹ひごを使って操作するようにした。洋太のビーンボールは、大変な人気となり、子供達は毎日列を作り、通りかかる大人達も足を止めて、そのビーンボールの出来に感心し、列に加わる人も出た。

 ただ、洋太にとって予想していなかった苦労があった。パチンコの点数の合計は楽だったが、ビー玉が素早く上下に移動し、得点板にぶつかる度に点数が増えていく、ビーンボールの点数の合計は困難を極めた。洋太は算数が得意ではあったが、その計算は洋太の能力の限界を超えていた。仕方なく時々点数をごまかしたが、それに気づくものは誰もいなかった。




洋太は小学四年生になって、地元の町内会の野球チームに入っていた。メンバーはそれほど多くはなかったが、四年生でレギュラーになっていたのは洋太だけだった。ポジションはセンター打順は八番だった。チームのキャプテンはプロ野球の選手を父に持つ六年生で、エースピッチャーでもあった。

 夏になった。開会式の後、全チームで華やかなパレードを行い、一年で一回だけの大会が始まった。以前まっかちゃん達とソフトボールをやったり、近所の空き地で野球をすることはあったが、ユニホームを着て正式な試合をするのは、洋太にとって初めての経験であった。 他のチームは勿論、自分のチームがどれくらい強いのか、全く見当もつかなかった。ただ、プロ野球の選手の息子がキャプテンでエースのチームは、きっと強いに違いないと感じていた。

 一回戦が始まり、洋太はすぐにチェンジになるだろうと思いながら、一回表の守備についた。先頭バッターがいきなり強烈な打球を放ちヒットになった。次もその次のバッターもヒットを放ち、四番バッターにはホームランを打たれた。ようやくチェンジになったが、二回表もやはり、エースピッチャーはめった打ちされた。仕方なく二番手ピッチャーに変わったが、結果は同じだった。

 相手チームが強すぎたのか、自分のチームが弱かったのか、わからなかったが、洋太の初めての公式戦は、コールド負けという形であっさり終わった。

 



洋太は、金属製の板の上に、山盛りに置かれた、砂利・砂そしてセメントを見ていた。板の左右に二人の職人がスコップを持って立っていた。中央に窪みが作られ、そこに水が入れられた。そして、水が板から溢れないように、二人の職人は、交互にスコップを手早く動かしながら、砂利・砂・セメント・水を混ぜ合わせ、あっという間にコンクリートが出来上がった。

 洋太は、何故かその作業に興味を引かれ、その作業をしている所に運良く出くわすと、必ず最後まで見届けた。その日も、作業が終了したことを確認すると、本来の目的であるベニヤ板探しをするために、古い寮の解体現場に向かった。 

 

 翌日、洋太達は、解体現場から拾ってきたベニヤ板を、洋太の家のベランダの柱に、釘で打ち付けていた。ベランダの下のスペースをベニヤ板で囲い、秘密基地を作っていたのだ。

もう季節は冬を迎え、冷たい北風が吹き荒れていた。夏、あれだけ人気を博したビーンボールは、ベランダの下の隅に置かれ、誰も見向きもしなくなっていた。秘密基地の中には、粗大ゴミ置き場から持ってきた大きなソファーが置かれていた。洋太とかよっぺ・ピッコロ・ちびきんの四人は、入り口のベニヤ板を折り曲げるようにして隙間を作り、中に入った。当然、ちょうつがいなどというものを買うことはできなかった。四人がソファーに座ると、洋太が言った。

「やっぱり、基地の中は暖かいな」

「ほんと、暖かいし、何か安心できるよね」

ピッコロが答え、かよっぺとちびきんも大きく肯いた。

薄っぺらなベニヤ板でできた、隙間だらけの冬の秘密基地が、四人には本当に暖かく安心できる場所に思えた。






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