32 触れたものの記憶を読み取れる魔法
リンと別れてお家に帰る途中、私はトムたちが本当にやっていなかったときのことを考えてみました。誰かがやったのは間違いないのですが、やったのがトムたちでもエマでもないとすると、その「誰か」というのはいったい誰になるのでしょうか。
集中して考えこんでいるうちに、私は立ち止まっていました。頭の中の引き出しにしまってある記憶を取り出しては調べていきます。
まず、私たちが1番乗りに学校へやってきて、コロキスの鉢が壊されているのを見つけました。
先生を呼んで片付けてもらったあと、だんだんクラスに人が集まってきて、トムが不安げな様子でコロキスについていろいろと尋ねてきました。
朝の会で先生が説明をしてから、犯人探しが始まってエマがやったことになってしまいました。エマが早退したあとのクラスの雰囲気は、かなり重苦しいものでした。
放課後、私たちはエマに謝るために家を訪ね、エマのお母さんにいろいろと聞かれました。「エマ、具合が悪くて早退したっていってたけど、別にどこも悪くなさそうなのよね。あなたたちは何か知らない?」とか「エマは学校でいじめられてるの?」とか。
私はそれに対して、「エマちゃんはいじめられるような子じゃないと思います」といいました。でも、本当はそうじゃないのかもしれません。
思い返してみれば、エマは消しゴムも教科書も、傘もなくしていました。ですが、いくらエマが抜けてるといっても立て続けにそんなことが起きるとは思えません。もしかしたらそれらを隠した人がいて、その子が今回も同じことをしてエマを犯人に仕立て上げたのかもしれません。
それをやりそうな人といえば誰でしょうか。トムたちにはそんなことする理由がありませんし、もちろんエマなんてこともないはずです。だとしたら……。
1人だけ思い当たる人がいました。でも、まさかその子がやるなんてことは考えられません。あの子だってすごくコロキスのことをかわいがってましたから。えさやりにはあまり来られなかったので、エマと仕事の取り合いになることはありませんでしたが。
ただ、問題なのはその子がエマと奪い合っていたのはえさやりの仕事じゃないってことです。まさか、その子がわざと鉢を倒してエマに罪を……? 自分の友達を使って犯人捜しの雰囲気を作り上げた……? あの子が掃除の時間に私に伝えようとしたのは、もしかしたら自分もアンディが好きだったということなのかもしれません。そうじゃなかったら、アンディが通りがかったのを見て黙りこくる、なんてことはないはずです。
いや、あの子がそんなことをするはずがありません。正直なところ、できることなら私は誰も疑いたくなんかないんです。思い込みのせいでお師匠さまを疑っていろいろなひどい言葉を投げつけ、傷つけてしまったばっかりですから。
変なことを考えてしまったな、と後悔しながら私は再び歩き出しました。ですが、どうしてもその考えが頭から離れず、あの子を疑う気持ちと信じる気持ちの間で私は板挟みになってしまいました。
「ただいま帰りましたー」と、お家の扉を開けながらいいましたが、返事はありません。お師匠さまはきっと仕事中なのでしょうが、竜もいつもの場所にいません。大きさを変えられるようになったり、お師匠さまが元気になったりしたのがよほど嬉しかったのでしょう、ここ3日で竜は家じゅうをよく動き回るようになりました。
私はリュックを背負ったまま洗面所へ行き、手洗いうがいを済ませたあと部屋に戻りました。その途中、お師匠さまの部屋の前を通りがかったときにがさごそと音がしたので、ドアにそっと耳を当ててみると、お師匠さまの独り言が聞こえてきました。
「はあ、ラピかあ……」
「ラピ」という単語に、私は反応しました。そんな感じの言葉をどこかで聞いたことがあったような気がしたからです。ただ、どこで聞いたのかは覚えていません。もしかしたら聞いたわけでもないのかもしれません。
何か分かるかもしれないと思い、引き続き聞き耳を立ててみましたが、それ以上は特に何も分からなかったので、宿題をすることにしました。
夕食の時間、私は横を向いてお師匠さまに話しかけます。あの日以来、私の席はお師匠さまの隣に移動しました。いつの間にか姿を現していた竜が、私の代わりにお師匠さまの向こうへ行き、私たちの食事をなんとも言えない表情で見守っています。
「今日、学校に行ったらクラスで飼ってたお魚の鉢が壊されてたんです。それを先生にいったら、私たちの代わりに朝の会で説明してくれたんですけど、帰るときにエマが学校の方に戻るのを見た人がいたみたいで、エマがやったってことにされちゃって……あの子もよくものにぶつかったりするから」
「それは大変だ。ところで魚は無事だったの?」
私がうつむいてかぶりを振ると、お師匠さまは一瞬食事を摂る手を止めましたが、またすぐに手を動かしはじめました。
「アリスはエマちゃんがやったとは思ってないんだね?」
「そ、そうなんです。エマはみんなに疑われたせいで早退しちゃいましたし、明日学校に来てくれるかもよく分かりません。私もそのとき、エマのために何にもできなくて……だからせめて、これからエマが犯人じゃないってことを示してあげたいんです。でも、エマじゃない人がやったっていうのも考えにくくて」
「なるほどね」お師匠さまは晩ご飯のロールキャベツを飲み下していいました。「じゃあ、アリスはなんでエマちゃんがやってないと思ったの?」
「エマはあの日の夜に小魚の塩辛を食べてたんです。しかもわざわざ買ってもらったんですよ? コロキスの鉢を壊してたらまさかそんなことできるわけありません。それに、あの子はコロキスのことすごくかわいがってたから……もし壊しちゃったとしても何とか助けようとするはずなんです。だけど私たちが見つけたときにはそんな感じは全然なかったし……」
「なるほどね。それならちょうどいい魔法がある。『触れたものの記憶を読み取る魔法』なんだけどね。色々と条件はあるけどそれで鉢に触れれば誰が割ったかすぐに分かるよ。明日学校に行ったら先生に鉢の破片をもらってきな。そしたらあたしが見てあげる」
お師匠さまは少し考えこむような表情をしたあと、ゆっくりとこちらを向きました。「もしかして、アリスは誰かがエマちゃんを陥れるつもりでわざとやったとか思ってる?」
「まさか。のう、アリス。そのエマとやらは嫌われるような子じゃないんじゃろう?」
竜が否定すると、お師匠さまは「まあ、そうだよね」とうなずき、また食事に戻りました。フォークでロールキャベツを押さえながら、ナイフで切っていきます。もったいなくなるほど汁が中からあふれてきますが、それを気にしてたら食べられません。私もお師匠さまと同じようにしながら、竜の質問に答えます。
「もちろん。だから私だってエマのことなんとかしてあげたいって思ってるわけだし。それに……」私はナイフとフォークを置き、少しあらたまっていいました。
「お師匠さまのいう通りで、誰かがエマを犯人にするためにわざとやったんじゃないかなって……心当たりもあるんです。でも、その子もいい子なんです。それに私、もう誰かを疑うのは嫌なんです。こないだはお師匠さまのこと疑ったせいで、ひどいことしちゃったし」
お師匠さまは黙って私の頭をなでてきました。お師匠さまの手が何度か私の頭の上を往復したあと、お師匠さまはぽつりといいました。
「アリスもいろいろ考えてるんだね」
「え? まあ、はい。それなりには」
予想していなかった言葉に、私は少し驚きながら答えました。最近のお師匠さまはちょっと様子がおかしいような気がします。いつも寂しそうな感じで、私がそばにいても一人ぼっちでいるように見えます。
でも、そんな雰囲気もすぐに消え、数秒後には「いやあ、それにしてもこのロールキャベツ切りにくいね。うっかりお皿ごといっちゃいそうになるよ」といつものお師匠さまに戻っていました。
私が安心して食事を再開しようとしたとき、「アリス」と竜の真剣な声が響きました。竜のほうを見ると、竜は私を見据えてはっきりとしゃべります。
「ぬしが悪かったのは赤を疑ったことじゃない。わしや赤の話を聞こうとしなかったことじゃ。わしが仲直りをすすめてみても、赤が何か言おうとしても怒って聞かなかったじゃろう? わしは今回もぬしが同じ過ちを犯しそうでならぬ。とにかく、いろいろな人の話を聞いてから判断することじゃ。分かったな?」
かなり耳が痛い言葉で、聞いているあいだ胸が締め付けられましたが、私はなんとかうなずきました。
「そうだね、危ないところだった。今も勝手にその子がやったんじゃないかって思い込んでたから。ありがとう」
「でも、犯行時刻を絞らないとあんまり意味ないからね。あの魔法、映像として読み取れる記憶は1つのものにつき1分間だけなんだ。だからまあ、単に鉢の破片を持ってきただけじゃ犯人は分からないの」
それを聞いて、リンが糸くずを拾っていたのを思い出しました。あれ、捨てなければよかったな……。
「そして、時間制限があるんじゃろ? ある程度時間が経つと読み取れなくなってしまう。もし鉢が壊れたのが昨日、11日のことなら17日の午前0時までに読み取る時間を決めないといけない」
「その通り」お師匠さまはうなずくと、私の方を向きました。「大切なのは助け合うことだよ。1人だけでできることは案外少ないからね」
「わかりました」
私が答えると、お師匠さまは突然思い出したように手を叩きました。「話変わるけどさ、アリス今日運動着持っていくの忘れてたでしょ」
「あ……でも、今日は特に体育の授業はなかったので大丈夫でしたよ。明日は運動会の練習があるので持っていきます」
緊張感のないやり取りをしながら、竜やお師匠さまの言葉に安心している私もどこかにいました。大事なことを思い出させてくれたからです。みんなの話を聞いて、一歩ずつ真相に近づいていけばいいのです。今のところ、鉢が壊れたのは9日にエマが教室を出てから、今日私が教室に入るまでの2日半ほどのあいだになります。
あ、よく考えたらめちゃくちゃ範囲広いじゃん。無理かも……どうしようこれ。