9 不運と幸運
前回までのあらすじ 先生のお家に突っ込んだ
「ん……? どこ、ここは」
「私の家なんだけど」
私が目を覚ますと、先生は不機嫌そうな様子で答えました。どうやら、リビングのソファーに寝かされていたようです。
「あなたたちが突っ込んできたせいで二階が大変なことになってるんだけど、なにがあったの? リンちゃんは触手がどうのって言ってたけど、本当?」
「そうです。先生のお家から出たあと、ちょっと誘拐されちゃったんですけどすぐに警備隊の人たちが来て助けてくれたんですけど、触手が暴れはじめたせいで護送車が壊れちゃって、なんとか出てきたはいいんですけど、血まみれの男の人に追いかけられて、それもリンが助けてくれたんですけど、バランスを崩して先生のお家に……」
私はぐちゃぐちゃになっている記憶を整理しながら、今まであったことを吐き出しました。
「まあ、だいたいはわかったわ。触手から逃げてるときにバランスを崩しちゃったってことね」
「はい、そんな感じです。その、ガラス割っちゃってごめんなさい」
先生はため息をつきました。
「まあ、すぐに謝れるのはいいことよ。これからも、その精神は大切にしてね。にしても、ガラスに頭から突っ込んで無傷だなんて、アリスちゃんたち二人とも運がいいのね」
「全然よくないですよ。不運ですよ、不運。運がよかったら、今ごろはもうお家でアイスでも食べて涼んでましたよ。誘拐もされなかったでしょうし」
私がそう言ったとき、リンが歩いてきました。
「先生、トイレありがとな、助かったよ。で、なんの話してたんだ?」
「いや、別にそんな大したことじゃないよ」
「そうか……それにしても広いな、先生の家。お食事券でも使ったのか?」
「リンちゃん、まったくどこでそんな言葉覚えたの? たまに新聞で見るけど、使い方間違ってるし。私はそんなに偉くないわ。私が先生になったときに、お祝いで親が建ててくれたのよ」
「先生のお家、ずいぶんお金持ちなんですね」
「いいなあ、うちのマ……母ちゃんなんか手伝いしても10ゴールドしかくれないんだぜ?」
「いいことじゃない。私は親なんてほとんど家にいなかったから、あなたたちのほうがうらやましいわ。私も、お母さんのお手伝いしてみたかったわ」
先生はどこか遠くのほうを見つめて言いました。そして、はっとした様子で口をふさぎました。
「気づいたらどうでもいいことまで……リンちゃん、あなた尋問の才能あるわよ。お父さん譲りかしら」
「先生がわりと勝手にしゃべってただけだと思うけどなあ。あたしは」
お師匠さまはおつかいが終わると、500ゴールド硬貨を「ありがと。はい、お駄賃」と言って渡してくれます。
手のひらにずっしりとした重さを感じると、私はなんでもできるような気がしてきます。
でも、おつかいのときにしかお駄賃はもらえないので、リンとどっちがいいのかは分かりません。
「ま、そのあたりは人によるのよね。自分の持ってないものがうらやましくなるっていうか、そんな感じね。『隣の芝生は青く見える』ってやつかしら」
それを聞いた私たちは、思わず後ずさりしました。
「なんで逃げるのよ」
「い、いや、ちょっと。ねえ、リン?」
「あはは、そうだな」
私とリンは顔を見合わせて、苦笑いしました。ですが、私のほうを見ていたリンの表情がだんだんとくもっていきました。
「アリス、あれ、なんか来てないか」
「ほんとだ……。魔法かな? もしかしたら流れ弾かも」
先生も気づいたようで、「確かに、こっちに来てるわね。でも大丈夫。一応、窓からは離れておいて。
ガラスが割れたらけがしちゃうから」と言って走ってリビングから離れていきました。
リビングに取り残された私たちは、急いですみっこに移動しました。理由はありません。でも、なんとなく壁の近くにいたほうが安全な気がしました。
先生は呪文をぶつぶつと唱えながら走って戻ってきました。手には杖を握っています。何重にも結界が張られていき、迫りくる流れ弾から家と私たちを守ろうとしてくれました。
「そういえば、マ……母ちゃんとアンナは大丈夫かな」
「なんでいきなり……まず自分たちの心配しようよ」
「あたしたちは、きっと大丈夫だからな。あ、もしかしてびびってるのか、アリス?」
「は? び、びびってないし」
「あたしは、知ってるよ。アリス、意外と怖がりだもんな。手、握っててやるよ」
ほら、と差し出されたリンの手を私はぎゅっと握りました。少し震えています。
もしかしたら、私に手を握ってほしくてあんなに回りくどい言い方をしたのかもしれません。まったく、リンらしくないですね……。
「あなたたち、うずくまって! 頭だけはちゃんと守って!」
先生の叫び声と同時に、流れ弾の爆発音、そして結界が壊れていく音が聞こえてきました。言われた通りに頭を片腕で抱えるようにして覆います。リンの手は握ったままです。
私の体を抱きしめた先生が、お家の破壊されていく音に負けないほどの大声を出しました。
「最悪、先生はどうなってもあなたたちのことだけは守るから!」
いろいろあったせいで、すっかり自分は不運なんだと思ってしまっていたのですが、本当はとても幸運だったんだと思います。
こんなにいい先生と、いい友達に出会っていたのですから。