1 何度目かのおつかい
「うわっ! お師匠さま、朝っぱらからそういうのはやめてくださいよ!」
寝ぼけまなこをこすりながら、お師匠さまに「ふあ~~、お師匠さま、おはようございます」とあいさつすると、お師匠さまはキッチンで野菜を刻む手を止めて、いつものように「おはよう、アリス」と返してくれます。
それはいいのですが、お師匠さまの顔からは目と鼻と口がなくなっていました。
私は驚いて尻もちをついてしまいました。お師匠さまはにっこりと笑って言いました。いつのまにか目も鼻も口も戻ってきています。
「ごめんごめん、ちゃんと顔を洗って目を覚ましてきてね」
「もうすっかり覚めちゃいましたよ!」
少し大股で歩いて洗面所へ向かい、顔を洗います。お師匠さまはあんな風にして、よく私にいたずらをしてきます。
この間なんて寝てる間にベッドに入ってきて、私が起きたときには隣ですやすや寝てましたし。
「ほんとに困っちゃうんだから、もう!」
そう言って鏡を見ると、私の顔はなぜかにやけていました。口元を指で押し下げてもう一度言います。
「ほんとに困っちゃうんだから、もう!」
洗面所から出ると、お師匠さまに「もうちょっとで朝ご飯できるから、着替えて待っててね。今日は頼まれてほしいおつかいがあるんだ」と言われました。
「はーい」と返事をして、私は一度部屋に戻ります。
パジャマからおつかい用にお師匠さまが作ってくれた服に着替えます。ワイシャツに黒のベスト、そして黒のロングスカートです。
席についてしばらく待っていると、お師匠さまが二人分の料理を持ってきてくれました。
朝ご飯が私の前にふわりと降りてきます。お師匠さまは私の真向かいに座り、両手を合わせます。私もそうします。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
お師匠さまが作る料理はとてもおいしいです。昔とんでもない美食家がいたみたいで、その人のために練習したんだ、って聞きました。
私のためじゃないってところはちょっと悔しいかもしれません。
「おつかいで運んでもらうやつ持ってくるから、そのまま食べてて」
そう言って、お師匠さまは席を外しました。私がもうすぐでごはんを食べ終わるときになって、お師匠さまは部屋から戻ってきました。
「えーとね、まずどこに運んでほしいのかなんだけど……ふぁあ」
お師匠さまはテーブルに広げた私の地図の上できれいな指を滑らせます。名前もちゃんと書いてあります。そしてある地点で指を止め、あくびをしながらそこにペンでぐりぐりと印をつけました。
「お師匠さま、眠いんですか?」
「まあ、最近ちょっと寝不足でね」
「仕事のしすぎはよくないですよ。ちゃんと寝てくださいね。特に最近はずっと部屋にこもりっぱなしだから、心配です」
「大丈夫、あたしのことはあたしが一番よく分かってる」
「そうですか……だったらいいんですけど」
ここ二週間ほど、お師匠さまは私と食事をするとき以外はずっと部屋の中にこもっています。
いつも出てくるはずの時間になってもお師匠さまが部屋から出てこないと、なにかあったんじゃないかとすごく心配になります。
「話を戻すけど、ここね。地図を読むのもだいぶ上手になってるし大丈夫だよね。あとはお届け先の写真がこれね」
今回のおつかいについて、その他の説明を一通り終えたあと、お師匠さまは床の上に置いてあった箱を持ち上げ、机に乗せて言いました。
「届けてきてほしいのは、これなんだけど、いいよね?」
「え……」
箱の中をのぞきこむと、私の口から思わず声がもれました。お師匠さまは、にこにこしながら言いました。
「大丈夫。見た目はちょっとあれかもしれないけど、これ普通の観葉植物だから。それに縁起がいいんだ。なんでも、初代剣聖が追いつめられたときにこの木の枝を使って敵を倒したって伝説があるらしい」
「これが観葉植物……ですか?」
箱の中に入っているのは、黄色と緑の毒々しげなまだら模様をした、太い枝を持つ植物っぽいなにかでした。
指先でつついてみるとべたべたしていて少し弾力があります。確かにこんなものを叩きつけられたらひとたまりがないような気もします。
「そう。運んでくれるよね?」
「え、うーん……」
「は こ ん で く れ る よ ね ?」
いまいち乗り気じゃないと思ったのか、お師匠さまは身を乗り出して、笑ったまま同じことを繰り返しました。
お師匠さまの赤い髪が、はらりと肩からこぼれ落ちました。見た目は私よりちょっと年上の女の子なのに、圧がすごいです。
やっぱり町の人たちから「魔女様」と呼ばれるだけありますね。
「は、はい、運びます」
「ありがと。まあ、その分お駄賃ははずむよ」と、お師匠さまは赤い杖をついている手を少し挙げて、いかにも軽そうに言いました。
あの杖、何か普通のと違うんですよね。一番上のところに動物の頭みたいなのが彫られてるんです。
お師匠さまが言うには竜っていう生き物らしいです。私は見たことないんですが、すごく大きい生き物みたいです。
玄関のそばにある帽子掛けから黒いとんがり帽子を取り、かぶります。
「よし。じゃあ、行ってきますね」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
お師匠さまは私に抱きついてきて、言いました。私もお師匠さまの背中に手を回して答えます。
「はい、もちろんです」
私は、ドアの前でお師匠さまにあいさつをして外に出ました。