09.煙のように消えた【黒髪の聖女】
セイがヒドラを倒してから、数日後の出来事だ。
冒険者フィライト。この世界で数えるほどしか居ない、Sランク冒険者の一人だ。
フィライトは先日、【謎の聖女】の手によって、ヒドラの毒を解毒してもらい、一命を取り留めた人物である。
フィライト、そして恋人のボルス(セイをサンジョーの町までつれてきたリーダー)は、冒険者ギルドのギルドマスターのもとへ呼び出されていた。
「来たか、フィライト、ボルス」
「遅くなってすみませんわ、ギルマス」
フィライトとボルスは、ギルドマスター、ギルマスにうながされてソファに座る。
「それで、見つかったか? 謎の聖女さまは」
「それが……方々探し回ったんだけどよ、どこにもあの嬢ちゃんが見つからなくって……いたたたっ!」
ボルスの耳を、フィライトが強めにひっぱる。
「不敬ですわよ、ボルス。聖女様、でしょう?」
「いやまあ……いいじゃあねえか。本人がここにいないんだし」
聖女、すなわちセイのことだ。
フィライトたちはセイを探しているのである。
「天導教会に探りを入れてみたんだが、やはり黒髪をした聖女はいないそうだ……」
「黒髪の聖女様……」
もちろんセイのことである。
セイ・ファートはこの世界では珍しく、黒くつややかな髪を持っていた。
彼女の名前はわからないが、黒い髪をした人間で、あれほどまでの治癒の力を持つものは、二人といないだろう。
だがどこを探しても、黒髪の聖女は見つからないのだ。
「もーいないんじゃねえかな。こないだフィライトを治療したとき、煙のように消えちまったじゃねえかよ」
「かもしれないな……ううむ、惜しい。実に惜しいことをした」
ボルス、そしてギルマスがハァ……とため息をつく。
「ボルスたちも知っての通りだが、天導教会のクソどものせいで、今この世界では気軽に治癒、解毒ができなくなっちまってる。やつらは大金をおれらからふんだくって、簡単な治療しかしてくんねえ。しかも、やつらは自分たちの抱える聖女さまのお力を際立たせるため、ポーションの販売を規制してやがる」
セイがいた世界と、今の世界は、情勢が異なる。
この世界の【治癒】【治療】行為はすべて、天導教会という新しい組織が独占しているのだ。
「ギルマス。おれぁ……よぉ、天導の聖女ってやつに会ったことがある。あいつらは自分が神に選ばれた特別な存在だと思ってやがる。実に高慢なやつらさ。けど……あの黒髪の嬢ちゃんは違う」
ボルスは述懐する。
恋人が死に瀕してるとき、セイは嫌がるそぶりを全く見せず、患者の元へと足を運んだ。
そして、恐ろしいまでの治癒の力をもって、恋人の命を救った。そのうえで……。
「無償で人を助け、しかもお礼も受け取らず、煙のように去って行く……すばらしいですわ……」
ほぅ……とフィライトが熱っぽく息をつく。
確かにセイの行動は、端から見るとまるで、ピンチに天より舞い降りた女神に見えなくもない。
実際には、単に人からの追及が面倒くさかったから、さっさと逃げただけという、非常に残念な物だが……。
「黒髪の聖女さま……ああ、会いたいですわ。一言、お礼を言うだけでいいのに……」
「フィライトよぉ、おめえすっかりあの嬢ちゃんの信者……」
「嬢ちゃんじゃなくて、聖女さま……でしょ? ボルス?」
いつの間にか、フィライトは剣を抜いていた。
恋人のボルスの首元に剣をそわせて、険しい表情をしている。
ボルスがハンズアップすると、恋人は剣を下ろした。
「ま、あの黒髪の聖女さま探しは引き続きやってくさ。あの方が天導教会に属さない聖女さまだとしたら、是が非でも彼女といい関係を作りたい」
天導教会の聖女は、高い金をふんだくる悪者、という共通意識が冒険者達にはあるのだ。
と、そのときだった。
「し、失礼します!」
一人の冒険者が、慌ててギルマスの部屋に入ってきた。
「どうした?」
「ほ、報告します! ヒドラが討伐されました!」
「「「「なっ!? なんだって!?」」」
★
フィライト、そしてボルスは、ヒドラ討伐の報告を聞いて、現地へと急行した。
現地では森呪術師の職業を持った冒険者が立っている。
森呪術師。植物と意識をリンクさせ、会話できるという、特別な力を持つ。
「それで、本当にヒドラは倒されたのか?」
「……はい。この子達が見ていたそうです」
森呪術師が持っていた杖で、近くの樹を指す。
「毒の蛇を倒す、黒髪の女性の姿を」
「! そ、それは……黒髪の聖女さまですの!?」
フィライトが森呪術師にくってかかる。
「……さ、さあ……ただ、3人の奴隷を連れていたそうです」
「あの嬢ちゃんもたしか、サンジョーの町で奴隷を買ってたな。数は三」
ボルスは内心動揺していた。
ヒドラ討伐の任務は、Sランクである恋人のフィライトが請け負っていた。
だが彼女は仲間と協力して討伐任務に当たったものの、完敗した。
フィライトの強さはよく知っている。竜を単独で討伐できるほどの超実力者だ。
……そんな彼女が勝てなかったヒドラを、あのひ弱そうな女性が倒した?
にわかには信じられない。だが……。
「ああ! 黒髪の聖女さま! 慈悲深いだけでなく、お強いだなんて! きっと聖なる力で悪を討ったのですわ! はぁ~……素敵♡ 素晴らしいですわぁん♡」
どうやらフィライトは、完全にセイがヒドラを倒したと思っているらしい。
しかも、自分が勝てなかった相手を、小娘が倒したとしっても、まるでへこんでる様子もない。
「森呪術師さん! 黒髪の聖女さまはどちらに向かわれたのですの!?」
フィライトが森呪術師の襟首をつかんで、鬼気迫る表情で詰問する。
ボルスは彼女の襟首を摘まんでひきはがす。
「……そ、その人は森を抜けて、南へ向かったそうです」
「となるとこっから近い町といや、ミツケの町かな」
なるほど! とフィライトがうなずく。
「では行きますわよ、ボルス! 聖女さまを探し出すのですわ!」
だっ……! と走り出したフィライトのあとにボルスが続く。
歩きながら、ごくり……とボルスは息をのむ。
ヒドラは猛毒を発している。空気を、そして大地を汚す力を持つ。
だがこの森はとても静かで、そして穏やかだ。
毒による被害なんてまるで感じさせない。
「……Sランクでも手を焼くヒドラを倒し、その毒を中和して森を再生するなんて……マジで本物の聖女さまかもな。いや……ひょっとして、天導教会のボス、【大聖女】と同じ力を……」
「ボルス! いきますわよ!」
……想像で物を語っていてもしょうがない。
今は、あの黒髪の聖女を探して会うことが先決だ。