29.枕戈待旦
アンティオキア作戦開始まで残り数時間。
最前線にその身を置くのは当然、リベリィ達だった。
リベリィに言い渡された指令は最前線にて敵のアンダーズを殲滅させること。連合艦隊はその後方から援護をするというものだった。当然のようにどういった援護が行われるのか、リッターは愚かマイスターのアーシャすら聞かされていなかった。
本来ならばリベリィもまた連合軍の一員として作戦の詳細を知らされるはずなのにも関わらずその全容が秘匿されていた。
本作戦においてのリベリィ以外の連合軍がどれだけ本気かという考えにも取れるものではあるが、敵の攻撃を真っ正面から受ける事になるリベリィにとって不安材料以外の何物でもない。だが、指揮系統の殆どが連合陸軍にある為下手な事は出来ない。万が一下手な事をしてしまっては今後のリベリィの立場が危うくなってしまう。
普通の人間と違う魔力を使い戦う。
ただそれだけの人間。悲劇なのか。そのように思う人間は決して多くはない。ただでさえ少ない人類の中で更に厳選されてしまった人間を疎ましく思う人間の方が多いのだから・・・。
「マイスター・アーシャ」
「リッター・シリヲン・・・どうかしたの?」
一人の女リベリィが優しい笑みを浮かべながらアーシャに語り掛けた。
短い髪で顔立ちが整っているまさにイケメン、イケジョだ。
そんな彼女は、眼前のフリッズ王国をただ一人で眺めているマイスター・アーシャの隣に同じく眺める。落ち付き払った二人の後ろ姿はまさに歴戦の勇姿、誰かがそんな言葉を口にしたのかそれまで下を向き冷たい地面を眺めることしか出来なかった者達の顔を上げていた。
リッター・シリヲンの意図なのかは、本人にしかわからないこと。だがその二人の後ろ姿を見るだけで目付きを変える者達は後を絶たなかった。
「世間話なんて、と思いましてね。久しぶりにアーシャ様にお会いできたのでつい」
「そっか、ヘリオエールを出発してから、ここまでずっとバタバタしてたからね。どう最近の調子は? マイスター候補さん」
アーシャも自然と笑顔を取り戻すかのように表情が和らいでいった。
会話の通り、二人は昔からの付き合いだった。アーシャも一人の人間、親しい仲間と出会えばグレードなど関係なく一人の女の子としていられる。それはシリヲンも同じことだった。
アーシャと同じように任されたユースの子達を上手く落ち着かせ時間の無い中でどうにかして関わりの少ない者達を一丸にしようと努めた。
ただでさえ少ないリベリィを纏め上げるには当然時間が無い。それでも実戦経験の少ない者達を生還させる為に彼女達は血眼になっていた。
「やめてくださいよ、アーシャ様からそんな冗談を言われると困ってしまいますよ。"あの二人"を差し置いて自分だけマイスターになるなんて考えてもないですから。ミレスは元気してましたか? 噂では、何かやらかして変わった事をやらされてるって聞きましたが」
「変わった事・・・うん、確かに変わってる事だね。あれは、ふふふ」
"あの二人"の中にはリッター・ミレスも含まれていた。
アーシャは、直接見ていた訳では無いにしろ多くの情報を耳にしている。
それこそ先日行われた狼煙の発端と呼ばれる解放戦は流石のアーシャも驚きを隠せないでいたが、その詳細を聞いて納得をしてしまっていた。
シリヲンの言う通り変わった事だ。中々普通の人間、リベリィでさえ出来ないような事を多く成し遂げていると聞いていた。
狼煙の発端は、人類からするとアンダーズへの反撃の一歩なんて大それたことを語る者は多いが、アーシャの思う発端はそれだけでは無かった。
自分の知っているチシィの夢。ブレイカーの発展からの技術の進歩。その一歩として新型のブレイカーの開発とその量産。アーシャもチシィの夢を応援する一人として協力は惜しまなかったつもりだが、如何せんマイスターというグレードがそれを阻んでしまった点は多く有りアーシャとしては苦い気持ちをずっと持ち続けていたのだが、自分の知らないところでその一歩を踏み出していたのが自分の事のように嬉しかった。
更には東寮という他の寮に比べて問題が多く付き纏っていた実態を解消。ここもアーシャにとっては一大事の一つだった。
どうしてもリベリィの戦いには一人一人の実力はもちろんの事、一番大事な物はリベリィ同士の連携だとアーシャは親しみある仲間から初めて名前を聞く者まで耳にタコができるレベルで告げている。そんな自信の掲げる理念に対して東寮にはその理念に耳を傾けてもらうには骨が折れる思いだった。だがそれもつい先日から良い噂を耳にするようになり耳を疑ってしまった。
それもこれもどうやらその狼煙の発端から始まったのでは無いか、そう自己分析をしていた。本当の所の詳細はわからない。
けれど、きっとそんな事象が多く起きたのはきっと、彼がいたからなのか。とアーシャは笑みを浮かべる。
「素敵ですよ」
「え?」
「笑顔、やはりアーシャ様は笑っている顔が一番お似合いです。こうなると、その"原因"をこの目で見るまでは無理は出来なくなってしまいました」
素敵だと言うシリヲンもまた綺麗な笑顔でアーシャを笑った。
そんなアーシャは、シリヲンの言う"原因"が少しわからないようでポカーンとした顔に変わっていた。そして更にそれを見たシリヲンは吹きそうになっていた。
相変わらず、そんな事を言うとまたアーシャも昔を思い出すかのようにまた違った笑顔へと変わった。
アーシャもまた昔を思い出していた。
自分がまだリッターとしてヘリオエールで鍛練を積んでいた時に出会ったのが今の二人のリッター。ユース時代のミレスとシリヲンだった。
後にアーシャがマイスターとしてグレードが上がった時には彼女達もまた『ヘリオエールの三凛華』なんて呼ばれるほど強く逞しいリベリィへと成長していた。
アーシャは度々考えている。シリヲンは今もリッターとして自らの部隊を率いて各地を飛び回り活躍している。ミレスも自らから離れ今も第3班として多くの実績を積んでいる。
そして・・・今はもう居ない、もう一人の事も思い出す。
第3班の中睦まじい男の子達を見ていると、ふといつしかの三凛華が光景が過ぎっていた。
「リッター・シリヲン・・・いや、シリヲン。お願いがあるの」
今この戦場において、シリヲン以上に仲の良い人間はいない。
だからこそ、彼女にお願いするのが一番だとアーシャは決断した。
「もし、私に何かがあった場合。みんなをお願いね」
「・・・本当に久しぶりですね、その言葉も」
事あるごとに言っていた言葉。
シリヲンだけでは無い、ミレスにも同じ言葉を何度も言っていた気がすると言ってからいつも反省をしてしまっているアーシャ。
シリヲンもまた真剣な眼差しでアーシャに答えた。
「大丈夫です、あなたは死にません。今までもそうだったように、これからも。あなたは私達の希望なんですから」
希望。
それはシリヲンだけでは無い想い。ここに居ないミレスもまた同じ想いでいた。誰もが口にしていることだった。
アーシャが居たから勝てた。アーシャがいるから頑張れた。アーシャが共に戦ってくれるから。
そう、アーシャには重荷に感じているかもしれない。けれど、そう感じ、想って戦い抜いてきた者達は少なくない。
三凛華は、その筆頭だとシリヲンもミレスもそしてもう一人のリベリィも。アーシャ自身が思っている以上にマイスター・アーシャという存在は偉大だったのだ。
「うん・・・ありがとう」
最後にアーシャは笑みを浮かべ感謝述べた。それを聞き満足したシリヲンは自分の部隊へとアーシャから士気を貰ったかのように帰って行った。
アーシャはまだまだまだ未熟な自分を再確認した、どれだけ伝えても足りないくらい、自分は常に支えられてここまで来ている事を認識していた。
それはきっとブレイカーを初めて起動させたあの日から今まで、そしてこれからもきっと変わる事はないのかもしれない。
ならば。
アーシャは一度じっくり目を閉じ、そして再び目を開く。
さっきまで見ていたフリッズ王国の光景が変わったと感じた。見渡す限りのアンダーズの軍勢、心の中で絶望に打ち震えていた心に光りが見えた気がした。
そうだ、この光はきっと幻覚じゃない。仮にそうだったとしても、今は自分がその光りになるしかないんだ。
あの火炎に包まれた森の中で見えた光のように。
「きっと・・・ううん。必ず・・出来る」
決意は固まった。
誰もが固唾を飲んでいる中、人一倍の力強さ、凛々しさ、その存在感が更に増したアーシャ。
マイスターだからでは無い。一人の戦う者として、背を丸める事無く先頭に立つ。先ほどはシリヲンとの姿で士気が自然と上がったように思えた。だが今はアーシャ一人でそれ以上の重みをリベリィ達は感じ取っていた。
アーシャから何かの言葉を受け取ったわけでは無い。何か彼女の表情を見た訳でもない。
ただそこに立っているだけで、アーシャという存在を理解させた。
今はまだわからないことだらけだが、リベリィという存在、自分達がなるべき姿、それを今アーシャは体現しているかのように、アーシャに見惚れる者達は感じ取っていた。
ここで終わるわけにはいかない。自分も今目の前にいる彼女のようになりたい。今彼女が見ている光景は何か、瞳には何が映っているのか、自分も見てみたい。あわよくばシリヲンのように彼女の隣でその光景を共に見てみたい。
多くのリベリィが意気込む。当然それは緊張のあまり見せるプレッシャーでは無い。
自分もなれるはずだと、なりたいという想い。
その意志が今・・・集約されたのだった・・・。
「アンティオキア作戦・・・開始!!!!」
遂に戦いの火蓋は切って落とされた。