はじめての
死ぬ、というのは初めての経験だ。
誰にでもはじめてはある。
とくに死は、必ず平等だ。
ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。
唯一の違いはどう死ぬか、にあるといっていい。
(名前も知らない美少女に、いきなり刺し殺される、というのは平均的ではないはずだよな。)
俺、天野勇人はついに、平均から大きくかけ離れた事態に遭遇することができた。「美」少女だったかどうかはほぼ一瞬だからよく覚えていないが、この際美少女ということにしてしまおう。
(最後に名前を呼んでくれたのが、とびきりかわいいお姫様、というところもなかなかポイント高いな。)
一人で腕を組んでうんうんと頷いた。
もちろん動く腕はないから気分的なものだ。
意外と余裕があるなとお思いであろう。
その通り、俺は意外と余裕だった。何も聞こえないし何も見えない。生きているような実感はなく、むしろ『あー死んでるねー』といった実感すらある。
感情が動かないために冷静でいられている、というのが正しいかもしれない。
今はどういうタイミングなのだろうか。
脳が死ぬ一瞬手前の、脳内麻薬やら何やらが作用して得られている平穏的な状態なのだろうか。
あるいは、天国か地獄に行く手前の霊魂的な状態なのだろうか。
臨死体験、という奴があるのかもしれない。
死ぬのは初めてだからわからない。
このまま変化を待つしかないだろう。
変化しない可能性、というのはどちらかというと一番考えたくない。
さすがに少しぞっとする。
俺は何の変化もない暗闇をじっと観察し続けた。
観察し続けるほどに思考が痺れたように働かなくなってくる。考えがまとまらない。
(あぁ…。たぶんこれ…このままなにもなくなってくやつ…。)
俺が覚えているのはそこまでだった。
「!!!」
急に目に光が飛び込んでくるまでは。
どこだ。
なんだ。
急に動き出した思考に混乱する。
(待て。落ち着け。いったん目を閉じて。よし落ち着いた。ゆっくり開けるぞ。)
再び目を開けると、そこは森であった。木々はまばらだ。俺は森の中に突っ立っているようだった。
時刻は夜。空には満月が浮かんでいる。周囲はかなり明るい。空も暗く星もこぼれ落ちんばかりに瞬いているが、周囲の様子はよく見ることができた。
周囲をぐるりと見回してみたが、誰もいないようだった。
服は、と自分の体に目を落として、俺は愕然とした。
(骨!?)
服はない。肉もない。ただの骨がそこにあった。手も足も、胴体も骨だけである。
手足を動かすと、骨だけがかしゃかしゃと動く。
スケルトン。ゲームでも小説でもみんなおなじみの。
「ファンタジートラップそっちかー!!」
声帯がないから声も出ないかと思ったが、声はしっかりと出た。
(待て。落ち着け。落ち着くんだ。こういうときは、素数を数えるといいと誰かが言っていたじゃないか。素数って何だっけ。
いやそんなことしてる場合じゃない。深呼吸だ。)
深呼吸しようとして、そもそも骨だけで肺もないから深呼吸もできないことに気がついた。
(おいおいおいまてまてまて。状況を整理していこう。)
「一、まず俺は殺された。
二、どうやらスケルトンになってしまったらしい。
三、息は、してない。しなくてもよさそうだ。肺ないし。
四、空腹感もない。食事もいらないのだろう。胃袋ないし。」
口にだして整理していくと、少しずつだが気分が落ち着いてきた。
「五、一生童貞確定。」
(ふっ…。初体験の平均年齢っていくつだっけ。ついに平均から外れたぞ、俺は。)
やはりまだ混乱しているようだった。そんなことはどうでもいいのだ。よくないけど。
俺は改めて周囲を見渡してみたが、見える範囲には森しか広がっていなかった。生物の姿はない。人工物もない。
(俺が死んだのは王都近くの神殿のはずだよな。)
墓地に運ばれたりする可能性があったとしても、そう遠くに移動されることがあるとは思えない。
(高いところで周辺を確かめてみたいけど…。)
スケルトンの体で木を登ったらどうなるかわからない。
もし落ちて割れたりしたらくっつくのだろうか。
俺は土地が高くなっている方を目指して歩き始めた。
靴も履いていない状態だが、スケルトンの体は軽く、すいすいと歩いて行くことができた。息が上がることもない。少し跳んだりしてみてもなんの支障もないようだった。
(今ならマラソン世界記録狙えそうだな。)
などとどうでもいいことを考えながら森の中を進んでいく。
しばらく進むと、森の中に石畳の道が残っているのが見つかった。
道といっても、石畳の間から草が生えすっかりでこぼこになっている。
相当長い間放置されていたようだ。
(王都は丘の上にあったんだよな。)
短い記憶をたぐり寄せて、俺はその道に沿って再び歩き始めた。
どれくらい歩いただろうか。満月の高さがすっかり変わるくらいになって、道の分岐にたどり着いた。
適当に右側を選んで進むと、城門があった。
馬車の中から見た王都の城門に似ている。おそらく同じ門だろう。
鉄の門扉は固く閉ざされていて、中の様子を見ることはできない。
道はぼろぼろのままだし、城壁のすぐ近くまで木が生えている。
ここも長い間放置されているのは明らかだった。
城壁を登れば中には入れるかもしれないが、やはりスケルトンの体では不安がある。落ちたら折れたり砕けてしまうかもしれない。
俺はもう一つの心当たりに向かうことにした。
(神殿はさっきのところを左かな。)
俺は少し道を戻って、先ほど右に進んだ分岐を左に向かう。
俺が神殿に着く頃には、空が白み始めていた。神殿も城門と同じく、相当放置されていたようで、壁にツタが生え、ところどころ崩れていた。
(日の光は避けた方がいいかなぁ。)
俺は神殿の扉を押し開け中に入った。
神殿の中は、所々こけや草、細い木が生えていた。
俺が殺される前と変わらずベンチが並び、正面には祭壇がある。
もちろん誰もいなかった。
(ここで俺は死んだのか。)
目を上に向けると、正面の天井近くのステンドグラスが砕かれて大きな穴が開いているのが見えた。
俺を殺した少女が飛び込んできたあとだろう。
(まぁ、俺が勇者なんてなれるはずないもんな。何かの間違いで、何かの間違いだからきっと俺はここで殺されたんだ。)
一瞬の夢だった。
その一瞬夢見た罰が、スケルトン、アンデッドとして彷徨うことになるだなんて。
俺は早く神殿から出てしまおうと思った。
こんなところには来ない方がよかった。いない方がいい。
「勇人様!!」
声が聞こえた。気がした。
はっと神殿の中を見回すが、誰もいない。
気のせいなのだ。
俺は自分に言い聞かせながら、祭壇の前に進み出た。
やはり誰もいない。
争いが起こった形跡もなく、骨すら落ちていない。
(もう罰は来てるんだから、もう一度だけ夢見るくらい、いいだろう…。)
俺は祭壇の前に跪いた。胸の前で手を組み祈りの姿勢をとる。
儀式の続き。たしか、名乗れということだったはずだ。
「俺は天野勇人。勇者かどうかは…わからない。」
視界に光が差し込んできた。
朝日だろうか。
顔を上げると、神殿に掲げられた杖が光を放っていた。あのときと同じように。
(え…。)
何が起こっているのか。
声が頭の中で響いた。
『スキル授与の申請を受領しました。対象者を天野勇人と特定。転移者要件該当を確認。特殊神与スキル「生の謳歌」のインストールを開始します。』
(インストールっておい。)
アプリか。
『異世界人向けにわかりやすい表現にしております。…インストール時にエラー発生。スキル前提条件の矛盾が確認されました。インストールを中止します。』
またトラップか。
『矛盾解消のため、スキルを修正します。…完了。再度インストールを開始します。』
(もうどうにでもなれ。)
俺にはもう何をどうすることもできない。
『完了しました。神与スキル「不死王の凱歌」インストール完了。現在のスキルレベルは1です。』
輝いていた杖から光が失われていく。
(どういうスキルなんだ?)
名称だけわかっても何もできない。
『死者の最後の願いを聞くことができます。』
(あ、これやっぱりはずれだ。)
『スキルレベルが上昇すれば他の機能が解放されます。がんばってくださいねー。』
(スキルレベルってどうやって上げるんだよ?)
答えはなかった。杖の輝きは完全になくなっていた。
(自分で調べろってことか。)
俺は立ち上がって、神殿から外に出ることにした。