バカめ
百人長ケログは、兵士に囲まれ、慎重に里の中に入っていった。
本来であれば方円の陣形を取って進みたいところだが、里の中は大木と住居が入り交じっている。陣形を組んで里の中奥深くに入っていけば、陣形が乱れ、各個に攻撃されかねない。
里の中央に向かっている道を進むには、長蛇陣形しかなかい。罠の中に飛び込んでいくことになるので左右への警戒を怠るな、と厳命して進むしかなかった。
建物や木の上、窓の奥を気にしながらの行軍である。
行軍速度は通常の3分の1程度の遅さだった。
ケログは騎乗している。
矢が飛んでくる可能性を考えれば馬から下りた方が安全だが、それではケログがおびえているように見られてしまう。
兵士の手前、そして後ろから見ているベロアと閣下の手前、騎乗は譲れなかった。わざわざ罠にはまって持ちこたえるという過酷な役目を買って出たのである。勇敢さをアピールしておかなければならなかった。
百人の隊列がじりじりと里の中を進んでいく。
物音がするたびに列が止まるが、たいていはネズミやイタチなどの小動物だった。じれったいが、やむを得ない。罠にかかりに行くと言えば大抵の兵士が不安がる。
矢は、まだ飛んでこない。
いまか、いまかと待ち構えながら、一軒、また一軒と家々の間を通り抜けていく。
ついに広場が見えた。おそらくそこが里の中央のはずだ。
(里の中央まで引き込むつもりか。)
広場であれば、全周位から矢を射かけることができるだろう。それがエルフどもの狙いだとみて、ケログは広場まで兵を進めた。
「方円をとれ!」
開けた場所に出て、隊列を再編する。
兵が十人の隊ごとにわかれて大きな円を作り、全周囲に対する備えを固めた。
「進め!」
さらにゆっくりと広場の中央を目指す。
(来るか、来るか……?)
ケログは騎乗している分、頭が高く、狙われやすい状態にある。いつ矢が飛んできても対応できるよう緊張感を維持して、ケログは広場の中央にたどり着いた。
「……。」
攻撃はまだない。
「百人長、これは……?」
ケログの脇にいるモルド十人長が小声で聞いてきた。
「攻撃はあるはずだ。しばし待て。」
気を緩めたところで攻撃してくるのかもしれないと思っていた。
「はっ。」
「……。」
しかし、一向に攻撃がない。兵士達が不思議そうに互いの顔を見合っている。実は罠などないのではないか、と考えている顔である。
(このまま待っていても緩んでしまうか。)
ケログはそう考えた。
「モルド、お前の隊で近くの家の中を探してみてくれ。」
広場の中央を弓で狙える範囲には5軒ほどの家がある。
「分かりました。」
モルド十人長は命令に従い、兵士十人を連れて広場の脇にある家に向かった。
5人が中に入り、しばらくして、5人とも出てきた。
モルド十人長は、別の家に向かい、やはり中に入った兵士達は何事もなく出てきた。
(まさか、これは。)
罠ではないのではないか。ケログはそう考えざるをえなかった。
モルド十人長が戻ってきた。
手に布きれを持っている。
「百人長、これを。」
差し出されたそれをケログが見てみると、文字が書かれていた。
『バカめ』
ケログの頭にかっと血が登った。
しかしすぐに冷静さを取り戻す。
「モルド、これをベロア隊長にお見せしてこい。」
「はっ。」
モルド隊が駆け足で里の門に戻っていった。
「警戒を緩めるな! まだ攻撃がないと決まったわけではないぞ!!」
配下に命じるが、ケログは内心もう攻撃はないと思っていた。
(してやられた。罠もないのに警戒して時間を潰した馬鹿だ、俺たちは。)
とはいえ、これからどうするかはベロアが考えるだろう。
「いない!?」
報告を受けたベロアの方は、叫ぶしかなかった。
「はっ。里はもぬけの殻と思われます。」
「ぐぬぬ。しかもバカめ、だと。おのれエルフ風情が……!」
ベロアは書き置きの布を握りしめた。
失点だ。大失点だ。
このままでは栄達への道がなくなる。
「伝令、いそぎ騎兵に伝えよ、里には誰もいない、逃げたエルフどもを探せ、だ。必要なら騎兵の判断で攻撃して構わん!」
ベロアは、全員逃がしてしまうより、いくらかは逃がしてもエルフを捕まえることの方が大事だと判断した。
「はっ。」
伝令の騎兵が駆けていった。
ベロアの命令を伝えられた騎兵は、すぐに散ってエルフたちを探し始めた。
エルフの里を見つけたが手ぶらで帰った、となれば評価は最悪である。騎兵の指揮官達も焦っていた。
ベロアの出世がなくなるだけなら他人の火事だが、とばっちりは受けたくはない。もらい火はごめんだった。
騎兵達があちこちに散ってエルフそのものか、エルフの通った痕跡を探していく。
道もない森の中である。彼らにはこのあたりの地理の情報もない。闇雲に探すしか手がなかった。
エルフたちを見つけたのは、午後も遅い時間になってからだった。すでに日が傾き始めている。
「報告します。ついにエルフどもを発見しました。」
騎兵からの報告を受け、里の中で待っていたベロアは手をたたいた。
「よくやったぞ、どのあたりだ。」
「ここから北西に騎兵で1時間ほどです。」
「そんなにも遠くに行ったか。エルフの数は? アンデッドについての情報はあるか?」
「数はおよそ60、こちらを待ち構える構えをしていました。アンデッドについては確認できておりません。」
「よし、クレスはどうした?」
ベロアは、騎兵隊の指揮を任せているクレス百人長はどう判断してどう動いたかを尋ねた。
「は。クレス百人長は、歩兵を待っていては日が没してしまうため、騎兵のみで行くとのことです。」
「よし、いいぞ。我らも追うぞ。案内せよ。」
「かしこまりました。」
ベロアは配下に指示を出して出発の用意を進めさせておき、セリスフェルの元に向かった。
セリスフェルは、エルフの長老が使っていたと思われる大きな家で休んでいた。横になってすっかりくつろいで果実をかじっていた。
「閣下、エルフどもを見つけました。」
「そう。アンデッドは?」
「確認できておりません。」
「馬鹿なの、あなた。」
突然罵られて、ベロアは血の気が引くのを感じた。
「私が、エルフがどうのに興味あるとでも思ったの?」
セリスフェルの声は冷たい。
「い、いえ……。」
「ならそんなことは知らせないでちょうだい。私が知りたいのは、アンデッドのことだけ。それ以外は好きにやってって言ったよね?」
「はい。たしかにお聞きいたしました。」
「ならいいわ。早く私の欲しい情報を持ってきてよ。」
「かしこまりました!!」
ベロアは慌ててセリスフェルの前から下がった。
(指揮に口を出さないでくれるのは助かるとはいえ、なんと扱いの難しい方なのだろうか。)
ベロアが長老の家から出ると、歩兵達は移動の準備を終えていた。
ベロアは両手で頬をたたいて気合いを入れ直し表情を作った。部下達のやる気をそがないためには、ここでセリスフェルに褒められたという顔をしていなければならない。
「よし、行くぞ!」
意気揚々と命令を下し、部隊が進み始めた。
騎兵の案内で森の中を歩いて行く。騎兵隊が走った跡をたどっていけばいいから、迷うことはなさそうだった。
日没前にベロアは野営を命じ、テントを張った。
ベロアは野営の端で騎兵が向かった先を見つめ、今か今かと報告を待っていた。
もうそろそろ日没になってしまう。いい報告は早く聞きたかった。
日がついに遠くの山にさしかかったころ、全速力の騎兵が走ってきた。
騎兵は野営地を見つけ、足を止めた。
騎兵はよほど急いできたのか、憔悴した顔をしていた。見たことがある。たしか、十人長だ。
「ほ、報告。」
「どうした、何人捕らえた!?」
ベロアは報告をせかした。
「騎兵隊、壊滅しました。クレス百人長は戦死……。多くがちりぢりに逃げております。」
「……何?」
ベロアは耳を疑った。
「何があった。アンデッドでもでたか!?」
「アンデッドではありません。エルフどもです。」
「……詳しく話せ。なにがあった。なぜ敗れた。」
ベロアは指揮官として必要なことだけを考えるようにして、心の平静を整えようとした。
エルフ60。騎兵隊だけで十分に潰せる数だったはずなのだ。
指揮官は、何があったか知る義務がある。




