生き残り
ところ変わって。
「壊滅しただと!!」
豪奢な家具が並べられた応接間に、大きな声が響いた。
太った男である。よほどの不摂生を重ねているのだろう、肉はたるみ肌もハリがない。
着ているものだけが誰もが一目で高級と分かる素晴らしい物で、豪奢な応接間にも見劣りしていない。
彼の名はエドモンド=レティサーク。
豪商エドモンドといえば街の誰もが彼の豚のような体を思い出すほどの有名人だ。
「へ、へい。」
エドモンドの前で床に座らされている男は、みすぼらしかった。服は所々破けてぼろぼろ、髪もしばらく洗ってもいないだろう。
勇人がもしここにいれば、山賊の頭の館で逃がした男であったことに気づくだろう。
「首領は。ブルドットの奴はどうした。」
「わかりやせんが、あんな化け物相手じゃいまごろは……。」
「相手はどこの誰だ? ブルドットに勝てるやつなどこの辺にはそう多くないはずだ。」
「あっしが見たのは二人だけです。一人はしゃべるスケルトンで、もう一人は首なしの化け物でした。」
「アンデッド……!」
エドモンドは天井を仰いだ。
「おまえらの不始末じゃないだろうな。」
エドモンドが賊をにらんだ。
「まさか! 頭も俺たちも気をつけてやしたし、下のもんだってアンデッドなんて出すわけにはいかねぇときっちり死んじまった奴の処理はしてやした!!」
「ならいいが、それなら奴らはどこから来たんだ? しかも喋るだと。知性があるアンデッドとなると相当やっかいだぞ。」
死者をしかるべく埋葬してやればアンデッド化を防げるという知見が広まって以来、よほどの大戦争や疫病でもない限り、アンデッドの発生は最小限に抑えられていた。
時折人知れず倒れた旅人がアンデッドになるといったレアケースはあったが、会話をする知性があるほどの高位のアンデッドの発生は、この町では何十年も確認されていない。
「なるべく早いうちに討伐隊を組む必要があるな。むしろ問題は、おまえたちに任せていた仕事の方だ。」
エドモンドの本業は奴隷商である。
自身も奴隷の販売をするが、勅許を得て、この街での奴隷の販売権の取り仕切りも行っている。
奴隷を販売するにはエドモンドに金を払わなければならない、と言う構造だ。
勅許には義務が伴う。
毎月奴隷を上納しなければならないというのがそれだ。
エドモンドはその奴隷を仕入れるのに、ブルドットたち賊を使ってやらせていた。行商人や旅人、街に出稼ぎに来ようとする農村の次男三男を街道で掠い、奴隷に仕立てるのである。
ブルドットたちが壊滅したとなると、その奴隷上納に支障が出る可能性がある。
しばらくは市場に出ている奴隷を買って上納すればなんとかなるが、そうすると奴隷の販売価格が上がってしまう。
「そ、それなんですが、エドモンド様。」
エドモンドの自分を見る目が人数を数える目になったのを察して、賊が口を挟んだ。利用価値をアピールしなければ自分が売られてしまうことになるからだ。
「実は、頭はエドモンド様に秘密にしてたんですが、エルフの里を見つけてあるんですよ。」
エドモンドの目の色が変わった。
「ほう、エルフ。人数は。」
「100もいないくらいです。そのうち訓練された強い奴らは30人ですが、やつら今オークの軍団が迫ってきているってんでそれどころじゃないはずです。」
「なるほど、なるほど、なるほど…。」
エドモンドは腕を組み、頭の中のそろばんをたたいた。
エルフは高く売れる。
エルフ1人は、最低でも普通の人間の2倍の値がつく。エルフ10人でもいればかるく1月分のノルマは達成できるだろう。全員捕まえるのは無理としても、半分でも奴隷にできれば、かなり儲かる。
「よし、それだ。すぐに傭兵どもを雇ってエルフを捕まえにいこう。おまえも行って道案内しろ。いいな?」
「お任せくだせえ!」
威勢良く話がまとまったところで、部屋の外でドタドタと大きな足音がした。
エドモンドが慌てて座る位置を変え、上座を空けた。
この館でエドモンドに聞こえるように足音を立てて歩いてもよい者は1人しかいないのだ。
勢いよく扉が開けられた。
入ってきたのは、魔族の少女だ。
頭の左右に角が生えているほかは見た目ではほぼ人間と変わらない。見た目はどう見ても16,7歳の人間の少女にしか見えない。
しかしエドモンドには分かっている。
この少女は皇帝の名代として、エドモンドを始めとするこの街のすべての者の生殺与奪の全権を持っているのだ。
年齢も、実際の年齢はエドモンドよりもずっと年上だ。魔族の寿命は人間と大きく異なる。エドモンドが物心ついたときから少女はずっと少女のままだった。
「これは、セリスフェル様。本日もご機嫌麗しいご様子。お目にかかれてうれしゅう思います。」
エドモンドが立って挨拶をした。
セリスフェルと呼ばれた少女はエドモンドには応えず、先ほどまでエドモンドが座っていたソファーに腰を落とした。
「アンデッドが出たそうね。」
セリスフェルがエドモンドに尋ねた。
「は、はい。知性があるアンデッドだそうで、早急に討伐隊を編成いたします。」
エドモンドはなぜセリスフェルがそれを知っているのか、などと馬鹿な問いをすることはしない。
彼女の聴力は人間とはかけ離れている。ここでエドモンドと賊がしていた会話くらい、すべて聞こえていたのだろう。
「私も行くわ。」
「え?」
予想もしていなかった申告に、エドモンドはうっかり聞き返してしまった。
セリスフェルがエドモンドをにらみつけた。
「も、申し訳ありません。」
エドモンドは縮み上がった。
「いま、御身も行かれると、そうおっしゃったのですか?」
「そうよ。あぁ、安心して、あなたがエルフをどうしようと、私たちはきちんと上納さえしてくれればそれで構わないから。」
「は、はい。」
問題はそっちではない。
セリスフェルが来るなら、討伐隊にはそれなりの者をそろえ、彼女が不便を感じないよう召使いたちも同行させなければならない。その手間と費用を考えてのことだった。
しかし、彼女が行くという以上これは決定事項である。
「すぐに用意をさせていただきます。討伐隊の編成に2日ほどはかかるかと思いますが、よろしいでしょうか。」
「任せるわ。出発が決まったら教えてちょうだい。」
セリスフェルはそう言い残して部屋から出ていった。
魔族。
それは単一の種族の名称ではない。
彼らは元々この大陸にはいなかった者たちだ。遙か昔に、大陸の北、デーラール海を超えてやってきた者たちである。
総じて強力な魔法の力を持っており、1人の魔族に千人の人間の軍勢が敗れたこともある。この大陸に元々すんでいた人間や亜人、獣人たちと比べてあまりに圧倒的であった。
魔族たちが一つの国としてまとまっていれば、おそらく大陸すべての国が彼らに頭を垂れるしかなかっただろう。
しかし、魔族たちは、幸いにしてひとつの国を構成することなく、大陸中に自らの住みよい場所を求めて散らばったのだった。
セリスフェルはハーフドラゴンであった。母は竜、父は魔人という混血種である。
父の顔は知らない。
母は彼女を産んで少しして、病にかかり死んでしまった。竜たちは混血であるセリスフェルを同胞とは認めず、彼女は群れを離れざるを得なかった。
一人で群れから離れた彼女が生きるためにできることと言えば、奪うことのみだった。山野の獣を狩り、時折見かけた人型の者たちから服を奪い、生きた。
幼いとはいえ、最強種の一角であるドラゴンの血を引いている。何も考えずに戦っても彼女が負けることはなかった。
だからその日、彼女は空を飛んでいてたまたま見かけた荷馬車の一団をなんとなく襲おうと思った。
彼女に半分入っている竜の性質が、その一団がそれなりの宝飾品を持っていることを教えてくれた。竜は光る物が大好きなのだ。
先頭を歩いているのが護衛だろう。
護衛は魔族、おそらく魔人だと思った。まず護衛を黙らせるため、彼女はその男めがけて急降下した。
護衛を一撃で仕留めるつもりだった。
そうすればあとの者は荷馬車を捨てて逃げていく。
一団は誰1人彼女に気づかない。
(もう少し。)
もう少しで攻撃が届く。
そう思った瞬間、護衛が彼女を見上げた。気づかれていた。
(かまうもんか!)
右手を握りしめ、そのまま降下を続ける。
護衛の魔人から魔力が立ち上り、その周囲に10本の雷の槍が作られた。
構成が早い。
雷の槍が彼女を狙って飛んできた。
セリスフェルは降下の軌道を操り、魔人の放った光の槍をかいくぐっていく。
(よけきれない!)
最後の一本が眼前に迫った。とっさに左腕で防御する。
雷光がほとばしり、轟音が鳴り響いた。
雷が体中を走り、一瞬、セリスフェルの動きが止まった。
その隙を狙って、護衛の男が特大の雷を放った。
直撃。
強烈な電撃が体の中を暴れ回り、セリスフェルの意識を奪った。
目が覚めたときには、目の前に護衛の魔人が座っていた。セリスフェルは縛られてすらいない。
「やぁ、君がこのあたりで有名な竜の子だね。」
のんきな声だった。
その魔人が、のちに魔族の帝国を興すヴィラス=ジグムールであった。
「だったら何?」
「うん。竜の子なんて珍しいから、話してみたくてね。」
「……残念だけど、あたしは竜と魔人のハーフよ。」
「そうなんだ。まぁどっちでもいいよ。俺は君の話を聞きたいんだから」
「なっ―――!!」
そんなことを言われたのは生まれて初めてで、セリスフェルは赤面してしまった。
「陛下…。」
セリスフェルは目を開け、思い出から現実に帰ってきた。
クレアッドの街で最も高い塔の屋根の上である。激しい雨が降り、時折雷が天から大地に突き刺さっている。
セリスフェルは屋根の上に立ち、魔法で雨を防ぎ、街のあちこちに落ちる雷を眺めていた。
雷を見ると、昔のことを思い出してしまう。
レグ=デアラル帝国皇帝の名代。それが彼女の現在の地位である。
およそ300年前、ヴィラス=ジグムールは北方の魔族の諸部族をまとめ上げ、ひとつの国家を作った。
帝国は建国と同時に南進を開始。
南方の諸国を支配下に収め、大陸の3分の1を支配するに至った。
クレアッドの街は、200年前まではレクノード王国という人間の国家の支配下にあった。
セリスフェルはレクノード王国を攻略する南方軍団の一員としてここに来て、それ以来ずっとここにいる。
帝国の南進はここ旧レクノード王国までで止まっていた。
レクノード王国陥落はさほど苦労した覚えはない。
軍勢は弱く、最後の頼みの綱として王女が試みた勇者召喚も、召喚直後の勇者を彼女が殺した。最後の希望が打ち砕かれれば、あとはもろい。
彼女個人としては、勇者に少し期待していたのだ。骨のある相手と戦えるかもしれない、と。
全くの期待外れだった。
勇者はあっさり死に、その後、王国は降伏した。
軍団長オドケアスが王都の住人を皆殺しにしていたが、あれは少し趣味が悪いと思った。弱い者をなぶって殺しても何も面白いことなどない。
軍団はさらに南進したが、そこでパーディア王国軍との戦いに敗れた。
セリスフェルはクレアッドの街を守るべくここに残り、その後旧レクノード王国領を預かる形で今に至っている。
帝国に再度南進する余裕はなかった。
ちょうどセリスフェルたちがパーディア軍と戦う直前、皇帝ヴィラス=ジグムールが崩御したのだ。
跡継ぎはまだ幼かったため、各軍団長が軍閥を作って割拠することとなり、帝国は事実上分裂状態にある。
町の中央にある邸宅から、1人の魔族が飛び出してセリスフェルのところに飛んできた。実務の一切を任せている部下だ。
「セリス様。」
部下の魔人はセリスフェルの目の前に膝をついた。
「なあに、テルク。」
「オドケアス様から、兵を出してほしいとの要請が来ておりますが、いかがいたしましょう。」
元南方軍団長オドケアス。いまではセリスフェルが属していることになっている軍閥を率いている男だ。悪趣味が悪趣味の皮を被って悪趣味のふりをしているような男である。
「いちいちそんなこと聞かないで。」
セリスフェルは不機嫌そうに答えた。
「い、や、よ。と伝えておいて。」
「…よろしいのですか。」
念を押してくる。このテルクという男は、セリスフェルの部下ではあるが、今ではオドケアスに忠誠を誓っているとセリスフェルは考えていた。
「興味ないの。それが彼との約束じゃない。」
セリスフェルは、各軍閥がどうなろうと、さらにいうとヴィラス=ジグムールの後継者がどうなろうと、どうでもいいとすら思っていた。
クレアッドにいる兵力はさほど多くない。しかし、ハーフドラゴンであるセリスフェルという個の戦力は非常に大きく、いるのといないのとでは戦況を左右しうる。
そこで軍閥の中で最も劣勢にあったオドケアスが持ちかけてきたのが、セリスフェル個人は好きに任せる、ただし敵にはつかないこと、という約束だった。
実際に戦場には現れなくとも、いるというだけで他の軍閥への牽制になる。
したがって、セリスフェルにオドケアスの要請を受けてやる義務はないのだった。
「分かりました。」
テルクが邸宅に戻っていく。
きっといまのセリスフェルの言葉を忠実にオドケアスに伝えるだろう。
「あぁ、退屈。」
セリスフェルは1人呟いた。
(近くに現れたという知恵あるアンデッドが、少しは楽しませてくれればいいのだけど。)
思わずにはいられない。
アンデッドは旧レクノード王国の王都で発生したものかもしれない。知性があるなら、生前の記憶もあるのではないか。
復讐に燃えるアンデッド。
少しは楽しめるかもしれないと思っていた。




