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死にたがりの綺想曲  作者: 字書きHEAVEN
5/7

【4】

 貧民窟がごみ溜めと疎まれるように、その隣に位置する四番街も腐臭がすると等しく蔑まれる界隈だ。

 中でもマナの工房は貧民窟からほど近い区画にあって、ゆえに寄りつく者もない。

 寂れきった静寂を、静かでいいでしょとマナは言う。

 異を唱える気はさらさらなく、そうねと応じたのが遠い昔だ。

 錆びてくすんだ街並みと、灰色の石畳。

 空気の淀んだほの暗い路地の隙間で、浮浪者が膝を抱えて眠っていた。

 そのみじめな有り様を、蔑むことがタスクにはできない。

 マナが気まぐれを起こさなければ、あれはそのまま己の姿だ。

 慣れた道筋。いくつかの角を折れ、大通りに出る。

 三番街が近付くと、街に漂う倦んだ気配が次第に薄くなっていく。

 代わりに辺りに満ちるのは、クリスマスを祝う浮かれた空気だ。

 マーケットの中央に、大きなツリーが飾られている。

 根本に積まれたリボンまみれの空の箱。

 カラフルなオーナメントがきらきら光を弾いている。

 そんな陽気な光景に、なんとはなしに思い出すのが、いつかの雨の夜だった。

 あんな場所に迷い込んできたマナは、死ぬつもりでもあったのだろうか。

 だとすれば、死にそこねたのはタスクより、むしろマナの方だろう。

 余計な拾いものをしたせいで、今日まで永らえてしまっている。

 ひとでごった返す路地。身体の向きを変えながら、タスクは器用に雑踏を抜ける。

 目当ての店も、効率のいい周り方も、頭にちゃんと入っている。

 チキンとトマトの缶詰に、大入りのパスタ。朝食用のミルクと林檎、ディナーに添えるためのバケット。

 予定の食材に加え、ワインを仕入れた。マナ好みの軽い赤。

 せっかくのクリスマスだし。珍しくワインなんか、欲しがってたし。

 滅多にされないリクエストをつれなく振った罪悪感を口実に、アルコールの瓶を荷物に加える。

 街のお祭り騒ぎに乗じることを考えなくもないけれど、せいぜいアルコールまでだろう。

 甘いケーキやリボンの飛び出すクラッカー、時間をかけて大事に選んだプレゼント。

 そうしたものが自分たちにそぐう気は欠片もせず、タスクはそこで買い物を切り上げた。

 今日は双子のための特別な一日だから、拾われたかつての子どもには、舞台の隅がちょうどいい。

 予定より重たくなった荷物を抱え、家路を辿る。

 暮れしなの朱、空の端の藍。灯り始めた街路灯。

 三番街から四番街へ、来た道を引き返す。

 汚れた路地の浮浪者は、冷たい石になっていた。

 日が暮れて、気温が下がったせいだろう。

 壁に凭れた形のまま、着ていた衣服がたぐまっている。

 ひとの厚みはどこにもなく、探せば布の束の中に石の粒があるはずだ。

 その瞬間のあっけなさを知っている。

 ひとだったものがさらりと崩れ、ひと欠片の石になる。

 細かい粒子は風にさらわれ、石だけが残るのだ。

 おめでとうを唱えるのは、酷薄に過ぎるだろうか。

 だとしても、終わりはある種の救いに思えて、名も知らぬ誰かをそっと祝った。

 角を折れ、辿り着いた彼らの家は、しんと夜に沈んでいた。

 鍵を開け、手探りで明かりを点す。

 まだほのかに空気がぬくい。出掛けに消した暖炉の名残。

「ただいま」

 工房は無人で、当然応える声はない。

 足元に食材で膨れた紙袋を下ろし、まずは暖炉に火をくべた。

 寒さに弱い同居人が、いつ帰ってきてもいいように。

 ぱちぱちと薪のはぜる音がするのに、妙に静かだと思う。

 普段であればマナが銀をいじっている。

 削るにも伸ばすにも硬い金属の音がするから、優しいばかりの火の音はかえってタスクを落ち着かなくさせた。

 部屋が暖まる頃にはマナも帰ってくるはずだ。彼はあまり家を空けていたがらない。

 タスクは食事の仕度を始めた。

 チキンをトマトで煮込みながら、ヨーグルトに林檎を浮かべただけの簡単なデザートを作る。

 色合いがケーキとイチゴに似てるから。

 無茶な理屈をこねくり回し、望まれてもいないのに、食卓に華を添えてみる。

 バケットを切り分けて温めるのは、マナが帰ってきてからだ。

 くつくつと湯気を立てるフライパンの番をしながら、外の音に聞き耳を立てる。

 表を通り過ぎる足音はするくせに、ドアの開く軋んだ音は聞こえてこない。

 午後七時。

 料理をすっかり作り終えてしまっても、マナは戻ってこなかった。

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