月と姫
「ねえ……今度の満月、いつだか知ってる?」
私はテーブルの向こうへと問いを投げかける。
大学の近くのカフェ、窓際の二人席。すっかり暗くなった南の空には、先ほどまで眺めていた上弦の月。そして目の前には少し冴えない男……友達以上で彼氏未満の同期、久米仁君。
「……二十三日の早朝か。午前三時前だから二十二日の夜というべきかも」
久米君はスマートフォンで調べたみたい。
空の半月で見当つくと思うけど……現代人だと分からないかもね。上弦の月は新月から満月になる間、つまり約一週間後に望月なの。
それに上弦の月が南中するのは夕方、下弦の月は明け方だもの。
「クリスマス・イブの前……あの満月に乾杯、とはいかないね。冬至と近いけど、そっちは星占いくらいでしか話題にならないだろうし……」
コーヒーカップに手を伸ばしながら、久米君は私に微笑みかける。
ここはクリスマスの予定を訊くべきところだと思うけど……それとも幼なじみの余裕かしら?
「しかし竹野さんは昔から月が好きだよね。最初は夜が好きなのかと思っていたけど」
「夜も好きよ……うるさい人達が来ないし」
久米君の無邪気な笑みが、なぜか気に障る。彼の自然体なところは好きだけど、もう少し気にしてくれてもって思うときもあるのよ。
「最近は五人くらいだっけ? 一流建設会社の若社長に、自動車メーカーの後継者、それに大物政治家の孫とか……でも美人だし仕方ないんじゃない? ほら、今だって……」
さっきとは違う意味深な笑みを浮かべると、久米君は僅かに視線を動かす。
すると周りのテーブルで気配が動く。皆、私達の様子を窺っていたのよ。
一方の久米君は、そ知らぬ顔で再び口を開く。
「大学の美人コンテストどころかミス・ユニバース候補にって誘われたくらいだからねぇ……どれも断ったけど。それに家は老舗の箪笥問屋でしょ? 室町時代だか、もっと前から続く名家って評判の……誰もが『姫』と呼ぶのも当然だよね」
「面倒は嫌いなの。それに私……」
もう長く居られないもの。喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
キチンとお別れしたいから久米君を呼び出した。でも、彼の悲しむ顔は見たくない。
そもそも悲しんでくれるか分からないし……そっちの方が大きいかも。
私は冷めかけた紅茶に目を落とす。
◆ ◆
「もうすぐ去る……だから目立ちたくない、か」
「……気づいていたの?」
私は思わず顔を上げる。
久米君は真っ直ぐ私を見つめていた。とても真面目な顔をして、今までとは違う鋭い目で。
「そりゃあね。竹野さんで箪笥問屋……つまり『かぐや』でしょ? それに老夫婦の養子で凄く可愛い女の子だし……小学生かそこらだったかな? まだ君を月子とか月ちゃんとか呼んでいたころさ」
久米君は、何を今さらといったような顔になる。
苗字に家業、養父母の一人娘。私を『かぐや姫』と呼ぶ人は多いけど、本気にしている人はいないと思っていた。
でも久米君は違うみたい。
「それじゃ……うるさい男が多くても動じなかったのは?」
「そう簡単に落ちないと思った……というか竹野さん、嫌そうだったし」
それはそうだけど……もっと焦らせたら良かったのかしら?
私が自分のことを竹取物語と重ねたのは、小学生になる前だった。まずは久米君と同じように色々な符合から、そして夜や月に惹かれたから。
静かな夜、月を見つめているとドキドキしてくるのよ。なんだか懐かしいような、それでいて少し怖いような。
特に満月。小さいころは夜更かししすぎて、お父様やお母様に怒られたこともあったわ。
ここまで差し迫った予感を覚えた……今度の満月と確信したのは、つい最近だけど。
「もっと早く打ち明ければ良かったかしら。そしたら久米君とも……」
いくら色々重なるからって、今は二十一世紀。かぐや姫と自分を一緒にしているなんて頭がおかしいと思われる。
だから私は、今まで両親以外に話したことはない。
「それで、どうするの?」
「どうするって……月の姫だから月で暮らすしか無いんじゃない? ……あのアニメみたいに」
久米君の問いかけに、私は拗ねた声で応じた。
大人になったら月に帰る運命。今まで、こう信じていた。
私が生まれたころ流行っていたアニメのように、月のプリンセスとして暮らすのだろう。そして王子様と……久米君を意識する前は無邪気に憧れていたわね。
「ああ……一緒に観たね。君が大好きで、シリーズ全て揃えたんだった」
なぜか久米君は苦い顔をする。
お父様とお母様にDVDを買ってもらい、彼と一緒に何度も観た……正確には付き合わせた。やっぱり女の子向けだから、イヤだったのかしら?
「ごめんなさい」
残された時間は少ない。だから私は素直に頭を下げた。
もうすぐ久米君と会えなくなる。だったら少しでも多くの思い出を作りたい。今まで月に帰るからと躊躇っていたけど……。
「その……」
「観たのは良いんだ。ただ、ああいう場所じゃないと思うんだよね」
清水の舞台から飛び降りる心境で、私は口を開く。でも先んじたのは久米君だった。
久米君は『気づいていなかったの?』とでもいうような調子で話し始める。私が好きな優しい微笑みと、彼独特の少し皮肉混じりの声で。
◆ ◆
「やっぱり月子も女の子なんだね。お姫様に憧れて他が……とかさ」
「私は女よ……さっき仁が確かめた通りに」
クリスマス・イブ、あのカフェからも近いホテル。ほんの僅かに欠けた月を見上げながら、私達は抱き合っていた。
「そうだった。でもさ、女性なら不老不死……後ろはともかく前半分は魅力を感じたんじゃない?」
「不老も考え物よ。だって、あんなに上が沢山いるんだもの……正直、わずらわしいわ」
私は昨日の未明を思い出す。それと先日のカフェでの会話を。
昨日の午前三時前、私の家に月からの使者がやってきた。西の空に煌々と輝く満月から降りてきたの。
竹取物語みたいに平安絵巻っぽい感じで来るかと思ったけど、二頭の白馬が牽く馬車にタキシードの御者……私のイメージを優先したのかしら?
そんなのが何台も、そして中からは大勢の美男美女。私の本当の両親に、お付きの従者や侍女達ね。
大騒ぎになるかと思っていたけど、何か細工をしたみたいで周りは気づかなかったわ。
そこまでは子供のころからの想像に近かったけど、仁の予想も当たっていた。
月の世界は不老不死。つまり私の他にも姫は沢山いる……それも何世代も。
もちろん上の世代は結婚しているけど、不老だから見た目は私と同じで若いの。要するに、埋もれちゃうのよ!
本当の両親も、あまり私のことを気にかけている様子じゃないし……。でも十何番目かの子供らしいから無理ないわね。
「そうだよねぇ……」
仁は早く……私と一緒にアニメを見たころから疑問に思っていたそうよ。不老で不死なら、プリンセスが一人だけなはずがないって。
もちろんプリンスも沢山いるだろうし、そうなると扱いも軽いかも。だから期待しすぎるとガッカリするかも。あの日カフェで、そう忠告してくれた。
「本当のお父様やお母様以外にも月の王族は大勢いるみたいだし……。戻らないって言ったら、なんだか嬉しそうだったじゃない?」
「まあね。おじさんやおばさんが善行したから君を送り込んだって言ってたけど、人員調整の意味もあるのかもね」
「……恋人になったからって、少し酷すぎない?」
私から触れたことだけど、あんまりな内容に少しムッときた。だから仁の脇腹を少し抓ってやる。
「イタタッ! ゴメン、いい気になりすぎた!」
「分かればよろしい」
平謝りに謝る仁に私は重々しい作り声を返し、抓るのもやめる。
本当は怒っていないし、こういうのもしてみたかっただけ。そう言おうかと思ったけど、口にしたのは別のこと。
「罰として、姫への奉仕を命ずる」
「イエス、ユア・ロイヤル・ハイネス!」
私の冗談に、仁は付き合ってくれる。
このあたり、子供のころと変わっていないわね。私のプリンセスごっこに嫌がることなく何度でも応じてくれたのよ。
でも、ここからは昔々はできなかったこと……というか、思いもしなかったことかな?
2018年12月の満月は23日AM2時49分です。なので企画期間内で最も近い22日23時に予約しました(笑)




