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集積世界  作者:
1/4

 スイッチ一つで世界が滅ぶ。

 こう書くと、核戦争を思い描く人は多い。だが実際にはもっと多くの人が世界を滅ぼしている。例えば今、パソコンに向かって頭を悩ませる青年もその一人だ。

 青白く光るディスプレイには、書きかけの文章が並ぶ。その中には大地があり、空があり、海は無いが人はいる。戦争があり、通貨があり、料理がある。

 匂いはなく、色もない。息遣いは感じないし、貨幣の重みもない。それは、その世界を「文字」として認識しているからだ。

 だが、そこで綴られるものは紛うことなく世界の営みに他ならない。

「……」

 今、彼はその世界の上から自らが作り上げた箱庭を難しい顔で睥睨している。

 彼は行き詰っていた。設定という名目で一つの世界を構築し、いざ書き進めたところまでは良かった。しかし、途中で違和感を覚えて筆が止まっている。もう二日間試行を重ねているが、百文字書いて百文字消すような膠着状態が続いている。

 悩んだ末、彼は一度構築された世界を消すことにした。大きさ1cmにも満たない矢印が、画面中央の「はい」に向かう。その少し上には死刑を告げる残酷な宣告の文字が躍る。

 一瞬だけ躊躇い、彼は右手人差し指にほんの少し力を込めた。

 

 これで世界は滅ぶ。


 そんなこと意にも介さず、創造主は次の世界を創造する。

 水滴が滴るような音が、そんな彼の耳に微かに響いた気がした。


 自分の部屋をあてがわれた際に買ってもらった勉強用の机の上には参考書と小説が並んでおり、よく見るとその中には小説の書き方について言及された本も点在している。数時間前と変わらず青い光を湛える画面の向こうでは、どこかの漫画にあったキャラクターが飛び跳ねている。

 その画面の手前で、創造主の青年は机に突っ伏した状態で寝ていた。焦茶色の髪が表情を覆い隠しているが、その双眸が固く閉じられていることは、深く上下する背中の動きですぐに判別できる。濃青色のジャージから僅かに覗く肌は平均より白いような印象を覚える。五月の早朝は掛け布団なしでは肌寒いが、かといって何も被らなければ寝られないといった風でもない。

 散乱する資料の中で、彼は眠りについていた。体勢こそ快適とは言えないが、深い睡眠だった。

「こらぁ、起きなさいっ!」

 だがその平和は永遠のものではない。目覚まし時計と階下からの大声が、深い眠りの底から意識を引っ張り上げる。鉄のように重い瞼をこすりながら開けて硬直すること三秒。彼は昨夜の自らの行動についてようやくはっきりと認識するに至った。

「やばい。寝落ちたのか」

 そう独り言を吐きつつ、緩慢な動作でパソコンの画面に目を向ける。「ローウッド」と書かれたマイページ画面の下部には昨日彼が参加していたチャットの履歴が文字通り羅列されている。その数は優に三桁を超えており、活発な内容であったことをうかがわせる。

「あちゃ~」

 昨夜消してしまった設定を考えつつ会話に興じていたところで眠ってしまったらしい。とりあえず昨夜の失態について詫びの一文を入れたところでようやく青年はその視線を真後ろにある時計に向けて。

 硬直する。

「あ、やばい」

 自らの口から語られた言葉は思いのほか軽いが、現実の無常さは迫るものがあった。あと五分出発が遅れたら最短距離で学校へ行っても間に合わない。一泊遅れて伝わる危機感に突き動かされ、慌てて身支度を済ませる彼に、階下から再び督促の声が迫った。

『樹生!急がないと授業に間に合わないわよっ!』

 もう間に合わねえよ……と心の中で一言入れてから、ハンガーにかけてあった制服に手を伸ばす。突き抜けるような青空を割るように、漆黒の城が今日も町を見下ろしている。

 

「あーあ。散々な一日だったわ」

 放課後、椅子の背もたれに背中を預けたまま指宿(いぶすき) 樹生(たつき)は愚痴を漏らす。焦茶色の頭髪は適当に整えられた程度なのであちこち好き放題に飛び跳ね、朝の状況を雄弁に物語っている。

 教室からは既に多くの生徒が去った後で、僅かに赤みを帯びた空が教室を照らしている。窓を開けなくても暑くはなく、むしろ密度の下がった空間は静かな寒ささえ覚える。窓の向こうでは野球部の掛け声とテニス部の応援が混ざって賑わっている。

「まあ、お前獅子座だろ。今日の運勢最悪だし、仕方ねえな」

 同じ制服に身を包む友人がそう言って樹生を小突く。

「占いなんかあてにならねえよ。もし占いが当たるんなら、この前のテストお前学年最高点叩き出せるだろ?」

「そういうこと言う?」

 痛いところを突かれて友人が唇を曲げた。樹生はそんな彼の小さな抗議を無視して席を立つ。その後から、馴染みの彼から声がかかる。

「おいタツ。お前今日カラオケ行かね?」

「パス」

「じゃあ、マッコ行かない?」

「行かない。今日は夜に予定あるし」

 機関銃のように飛んでくる提案を全て拒絶し、樹生はそのまま教室を出た。

 三階建ての校舎には驚くほど人の気配がなく、文化部がどこかで活動している、その残滓すら感じられない。文科系の部活は必ず休部の日が備わっているはずだが、それは必ず重複しないようになっているはずなので、全く部活動の気配がない日はテスト前しかありえない。

「でもテストは三日前に終わったし……」

 つまり、樹生にはこの異様なまでの静寂を説明できるだけの理由が思いつかなかった。誰か人の姿を見つけようと首を回したところで、誰もいない現実は覆らない。

「……?」

 だが、その代わりに奇妙なものを見つけた。

 それは小さな欠片だった。三階中央に備え付けられた消火器の脇に落ちていたそれは、消火器の「火」の文字を一部消すように欠けていた。しかし塗料が剝げ落ちたというのではなく、小さなガラス片のように抜け落ちているようだ。欠片のようなものが抜け落ちた後には、洞窟の入り口のような闇が黒々とたたずんでいる。

「塗料が欠けたんじゃない……」

 ほんの気まぐれで、その欠片を手に取ってみた。外れてから時間がたっているのか、触れた指先からひんやりとした温度が伝わってくる。指で摘まむのは思いのほか難しかったので、爪先で摘まんで元の位置に戻そうとしてみる。位相がずれてしまい何度か失敗したものの、最後には欠片は元の場所に収まった。

「……ま、何もないか」

 繋ぎ目らしいものも残らないほどぴったり一致した欠片だが、かといって何も変わることはなかった。期待していたような現象も起こらないため、わかっていても多少の失望感が隠せない樹生の背中に、不意に声がかかる。

「どうした、の?」

「……ああ。御剣か」

 務めて平静を装いつつ、樹生は楚々とした雰囲気の同級生――御剣(みつるぎ) (るい)へと声をかける。小さな膝小僧に両手を添え前かがみになってこちらを見ているので距離が近い。息遣いや心臓の鼓動まで聞こえてしまいそうな距離だが、御剣の表情には悪意がない。純粋に興味だけが張り付いていた。

「いや、なんでもない」

「何でもないのに、消火栓の前で屈んでいた、の? お腹でも痛いの、かな?」

 そうじゃないと苦笑を混ぜつつ否定してみせてから、「御剣はどうしたの?」と水を向けてみた。

「ノート、わすれちゃった、の」

 そう言ってはにかんで見せる彼女を見て、ほんの少しだけ心の鞠が弾む。

「じゃあタツ君、私、そろそろ、行く、ね」

「……ああ。また明日、御剣」

 パタパタと移動したと思うと、御剣は足を止めて樹生の方へと顔を向けた。

「バイバイ」

 消え入りそうな小さな声でそれだけ言うと、御剣の華奢な背中は廊下の奥へと小さくなり、やがて見えなくなった。

「高嶺の花」とまで言われる御剣と思わず会話をしたその衝撃は、樹生から違和感を消し去ってしまった。


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